エピソードⅠ【アホのナカダテ】(2)
泉が森支店に新しい支店長がやってきた。
村上銀太。四十八歳。支店長として三か店目の支店だ。ここ泉が森の出身であり、入行時の支店としても在籍経験があった。
自分の地元の支店長というのはあまり例は多くないが、営業エリアが県単位に限定される地方銀行では、決して珍しくはない。
地元の支店に入行し、地元の支店に支店長として戻ってくる。地元で生まれて地元で生きていく。地方銀行の行員の多くが、職場においても、人生という場においても、円環のように閉じられた地元から逃れられずに一生を送っていく。働く場が、幼少期や青春時代を過ごした場に直結している。
銀太というややいかめしい名前だが、どちらかというと人当たりは良さそう、同期のなかで出世は早いほうだが、ガツガツと営業実績をむさぼるタイプではなさそう、というのが、着任前の村上に対する泉が森支店内の下馬評だった。
出身大学は慶応大学だ。そう聞けば、慶応ボーイらしい雰囲気も漂っている。もっとも、アホのナカダテも慶応大学の出身だ。慶応大学だろうが、早稲田大学だろうが、東京大学だろうが、アホの範疇に入る出身者はどこの大学にもいる。
村上としても、同じ大学の後輩には親近感を覚える。自分の後輩がアホ呼ばわりされている。着任時点ではその呼び名に嫌悪感が強かった。嫌悪感が払拭されるのに、一週間もかからなかった。
「ちょっと中館さん」
村上が呼ぶと、
「はい」
素早く立ち上がって支店長席に小走りで向かってくる。すがすがしいほどの俊敏さだ。だが、機敏な動作の過程でなぜかパソコンの電源を切っている。
「中館さん。今、電子稟議書を作成中だったのでは?」
と訝しがる村上に、
「大丈──」
語尾までいかないうちに、パソコンの操作画面が脳裏を横切ったようで、「あうー!」と叫びながら、頭を抱えて天井を仰いでいる。文書保存ボタンと電源ボタンを押しちがえたようなのだ。
村上が着任した日の朝会でも、自分が発表する場面で、法令遵守を「ホウレイソンシュ」、「ホウレイソンシュ」と連呼してはパートさんたちの失笑を買っていた。誤りに気づいていないというよりは、どうも条件反射的に口を突いて出てしまうようだ。たしかに、見た目からは、「ソンシュ」と読みたい気持ちもわからなくはない。
昨日の外訪への出発時などは、「支店長、行ってきまーす!」勢いよく村上の席の前を通り過ぎていったと思ったら、入行二年目の女子行員がトイレから営業室に戻ろうとして押し開けた扉におでこをぶつけていた。ドアが開くのも営業室を出て行こうとするのも、どちらにも勢いがあったものだから、村上の席まで、ゴツンという衝突音が響いてきた。そこで、
「あっ!」
と何かを思い出したらしく、
「ラッキー」
とわけがわからない言葉を発しては自分の席へ戻っていく。
扉をぶつけた女子行員は一瞬緊張に顔をこわばらせたが、相手がアホのナカダテだとわかると、
「まったくナカダテさんは!」
責任転嫁して呆れ顔に変わっている。お詫びのひと言もない。
身なりにしても、スーツは上下とも皺がよっているし、ネクタイを毎日交換しているようにも思えない。靴は黒いスニーカーだ。
周りから自分がどう見られるか気にならないのか。自分を飾ろうとする欲求自体が欠落しているのだろうか。
先日、本部の常務取締役が臨店した際も、全員が立ち上がってあいさつしているのに、ひとり素知らぬふうにパソコンの画面とひたすらにらめっこしていた。
ほとほとさようなありさまなので、「アホのナカダテ」は支店長の村上にも、一週間を待たずに、実にしっくりした呼び名となっていた。
冗談がスーツを着て仕事をしているようなアホのナカダテなのだが、本人としてはいたってマジメだ。でも、何かが変なのだ。
判断の水準が他人とどこかズレているというか、目のつけどころが普通の人間とはちがうというか、出だしの音程が狂っていて、狂ったまんまに一曲を歌い終えてしまう、本人に自覚はない、そういう類いの人間なのだ。
性格は悪くない。人と歩調を合わせていけないわけでもない。アホのナカダテが生理的にダメでなければ、そこそこの人間関係を築くのは可能だ。
小学生のおぼっちゃまが、あいだの経験抜きに、ひとっ跳びに二十歳年を取ってしまえばこうなるのかもしれない。
仕事に対しても手を抜かない。手を抜くズルさを知らないと言ったほうが正しいだろう。そういう意味では、模範的な行員と言えなくもない。
だが、判断の原点にズレがあるわけだから、それが軌道修正されないままに突っ走っていくと、本当にアホな結末になっていたりするのだ。




