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七年待たせて、妹とは来月結婚ですか  作者: 九葉(くずは)


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8/10

第8話 次の約束は、私から

「次は、私からお誘いするつもりでした」


 そう言って笑ったニーロ様を見て、私は鞄の上で指を重ねた。


 手紙に書いた日の午後。

 私たちは、広場の菓子店で向かい合っていた。


 返事は翌朝には届いた。三時はいかがですか、と。

 その時間を手帳に書き入れてから、今日までが長かった。


「先にお誘いしてしまいました」

「うれしかったです。手紙を受け取った時、すぐに返事を書きたくなりました」


 私は鞄から、旅の本を取り出した。

 話したかった頁には、細い紙を挟んである。


「……本の続きを、お話ししたくて」


 そこまで言って、顔を上げた。


 ニーロ様は、続きを待ってくれている。


「それもあるのですけれど。私が、ニーロ様に会いたかったんです」


 口にすると、頬が熱くなった。

 手紙にも書いたことなのに、目の前で言うのは、ずっと勇気がいった。


 彼は一度、目を伏せた。

 それから、こちらを見る。


「私も、お会いしたかったです」


 運ばれてきたお茶を飲むまで、何を言えばいいのか分からなかった。

 でも、黙っている時間まで、嫌ではなかった。


 ◇


 本を開くと、海へ突き出した桟橋の挿絵があった。


「ここです。海の上を歩いているようだと、書いてあって」

「ずいぶん先まで続いていますね」

「先端から釣りをする人もいるそうです。私だったら、下ばかり覗いてしまいそう」


 ニーロ様が少し身を寄せた。

 同じ頁を見ていると、指が触れそうになる。


「高いところは、平気ですか」

「たぶん。落ちないと分かっていれば」

「それなら、柵のある方を探さないと」

「ニーロ様も、下を覗かれるでしょう?」

「……覗くと思います」


 想像したらおかしくて、二人で笑った。


 いつか行きたい場所の話をする。

 その時、隣にこの人がいたらと、私は考えていた。


 お茶が半分ほどになった頃、ニーロ様がカップを置いた。


「明後日、領地へ戻ることになりました」


 頁を押さえていた指が、止まった。


「橋の工事が終わるので、仕上がりを確かめておきたくて。収穫前に、現地で話しておくこともあります」


 それは、当然のことだった。

 彼には領地があり、そこで待つ人たちがいる。


 私は頷いた。

 けれど、さっきまで近かった次の時間が、急に遠くへ行く気がした。


「そう、なのですね」


 領地へ戻れば、忙しくなるだろう。

 落ち着くまで、手紙も控えた方がいいのかもしれない。


 そこまで考えてから、私は本から手を離した。


 まだ、何も聞いていない。


「次は、いつお会いできますか」


 ニーロ様が顔を上げる。


「私も、そのお話をしたかったんです。ただ、毎週こちらへ出てくるのは難しくて」


 胸の奥が、少し縮んだ。


 だったら、私の方がいつでも行けるようにしておけばいい。

 新しく受けた相談を断って、部屋も空けておけば。


 慣れた考え方だった。


 けれど、あの部屋の窓辺には、好きな本がある。

 机には、明日仕上げると約束した書類がある。


 ニーロ様に会いたい。

 あの暮らしも、続けたい。


「私、今の部屋が気に入っているんです」


 唐突な話になってしまった。

 それでも、彼は頷いてくれた。


「少しずつですが、ほかの相談もいただけるようになりました。仕事も、続けたいです」

「はい」

「でも、お会いしたいです。だから……いつ会えるか分からないまま、ずっと予定を空けて待つのは、もう、したくありません」


 言い終わってから、膝の上の手に力が入っていると気づいた。


 困らせただろうか。


 ニーロ様は、少し考えてから口を開いた。


「月に二度なら、こちらの用事と合わせて来られます。その日は、あなたと過ごす時間を取りたいです」


 月に二度。


 私は、頭の中で手帳を開いた。


「次は、八日後の午後でしたら。トーヴェ様のご都合はいかがですか」

「午前中に相談の約束があります。三時なら、落ち着いて出かけられます」

「では、三時に。今度は少し歩きませんか」

「はい」


 返事をすると、膝の上の手がほどけた。


「その次の月は、私から伺える日もあると思います」


 ニーロ様の顔が明るくなる。


「領地へ?」

「ええ。馬で出かける道のお話も、聞きたいです。ただ、乗馬は得意ではないので、最初は歩けるところを」

「川沿いに、いい道があります。そちらなら、ご一緒できます」


 手帳を出して、八日後の欄に三時と書いた。

 次の月に出かけられそうな日も、二人で確かめた。


「天候や仕事の都合で変わる時は、分かった時点で手紙を出します」

「私も、そうします。その時に、次の日を決めましょう」


 ニーロ様が頷いた。


 来てくれる日がある。

 私から行く日も、選べる。


 手帳を閉じると、彼が本へ目を向けた。


「読み終えたら、貸していただけませんか」

「もう最後まで読みました。よろしければ、今日から」

「ありがとうございます。戻る馬車で読みます」


 本を差し出すと、大きな手が受け取った。


 次に会う時、この人も桟橋の先を知っている。

 それが、うれしかった。


 ◇


 八日後の午前、私は商会の小部屋で、相談に来た人を見送った。


 オスモさんから紹介された、小さな店の支払いについての相談だった。

 今日決められることをまとめ、残る確認は二日後に書面でもらう。


 次の約束と料金を確かめてから、書類を鞄にしまった。


 新しい仕事は、まだ二件しかない。

 それでも、また頼みたいと言ってもらえると、帰り道の足取りが軽くなる。


 家で昼食を取って、着替えた。


 鏡の前で髪を直し、手袋を選ぶ。

 机の端には、ニーロ様から一昨日届いた手紙があった。


 予定どおり、三時に広場の噴水の前で。


 朝のうちに町へ着き、用事を済ませてから来ると書かれていた。


 私も、今日の仕事を終えた。

 これからの時間は、彼と過ごすために空けてある。


 噴水のそばへ着くと、本を手にした人が振り向いた。


「トーヴェ様」


 声を聞いただけで、笑ってしまった。


「お久しぶりです」

「ええ。お会いできてうれしいです」


 ニーロ様は、本を差し出した。

 私は受け取って、鞄へ大切に収めた。


「いかがでしたか」

「桟橋の先で、あんなに大きな魚が釣れるとは思いませんでした」

「釣り上げた人より、周りの人の方が騒いでいたところですね」

「ええ。私も見ていたら、一緒に騒いだと思います」


 彼が笑う。

 私は、騒いでいる姿を見てみたくなった。


 八日間、こんなふうに話すのを楽しみにしていた。


 並んで、広場から続く並木道へ向かった。


 橋の工事が無事に終わったこと。

 私が相談を終えて、ほっとしたこと。


 それから、道端の焼き栗の匂いに足を止めた。


「お好きですか」

「はい。ニーロ様は?」

「好きです。今、どちらが先に言うかと思っていました」


 私たちは小さな紙包みを一つずつ買った。

 手袋を外して、まだ温かい栗の殻をむく。

 立ち止まって食べると、指先にまで温かさが伝わってきた。


 最後の栗を食べ終えて、手袋をはめ直す。

 また歩き出したニーロ様の手が、すぐ隣にあった。


 触れたい、と思った。


 そう思う自分に、少し驚いた。

 お茶を飲んでいる時も、同じ本を覗き込んだ時も、この人の手を見ていたのだと気づいた。


 隣にいるのに、もう少し近づきたかった。


 私は右手を伸ばした。

 彼の左手に触れ、指を添えて、そっと握る。


 ニーロ様が足を止めた。


 私まで止まって、顔を見上げる。


「……嫌でしたか」


 彼はすぐに首を振った。


「驚きました。うれしくて」


 大きな手が、握り返してくれた。


 手袋越しなのに、その力がよく分かった。

 強すぎず、離れてしまわないくらいに。


「私も、こうして歩きたかったんです」


 ニーロ様の声が、少し低くなった。


 私はつないだ手を見た。

 それから、もう一度、顔を上げた。


「ニーロ様が、好きです」


 言ってしまってから、鼓動が速くなる。


 会いたいと思った。

 手をつなぎたいと思った。


 その先の言葉を、今日は隠したくなかった。


 彼は私の顔を見たまま、息をついた。

 口元が、ゆっくりほころぶ。


「私も、あなたが好きです」


 握られた指に、少しだけ力がこもった。


「本の話に夢中になったり、私の話を聞いて笑ってくださったり。その顔を、もっと近くで見ていたくなるんです」


 私はまた頬が熱くなった。

 同じことを思っていたのだと分かって、うつむきたくても目を離せなかった。


「次にお会いした時には伝えようと、領地にいる間、何度も考えていました」

「……また、私が先に言ってしまいましたね」

「ええ。今日は、二度も驚かされました」


 私は笑った。

 彼も笑って、それから、つないだ手を離さずに歩き出した。


 さっきまでと同じ道なのに、歩き方が分からなくなる。

 肩が近くて、時々、袖が触れた。


 ゆっくり歩きたいと言うと、ニーロ様も歩みを緩めてくれた。


 帰り道が、少しでも長ければよかった。


 ◇


 家に戻ると、商会からの封書が届いていた。


 封を開き、差出人を確かめる。

 オスモさんからだった。


 別荘の買い手が決まり、売却代金から返済を行う。

 最終の精算は、取り決めた期限の日に行うので、借用書の原本を持参してほしい。


 私は最後まで読んだ。


 あの人が使ったお金は、あの人が選んだ方法で返される。

 私に求められているのは、自分の分を受け取ることだった。


 引き出しを開けて、原本を確かめる。

 日付と金額を照らし合わせ、精算の知らせと一緒に揃えた。


 これで、最後になる。


 鞄から旅の本を出し、窓辺へ戻した。

 隣には、ニーロ様から届いた手紙を置く。


 次に会った時には、話したいことがある。


 本の続きではなく、私のこれからのことを。

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