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七年待たせて、妹とは来月結婚ですか  作者: 九葉(くずは)


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7/10

第7話 もう、あなたは選びません

「ベルタとの婚約を、考え直したいと思っている」


 商会での話し合いから二日後の午後、伯母の家の客間で、ヨルクはそう切り出した。


 場所も時刻も、私から伝えた。

 話を聞くのは、一度だけ。三十分ほどにしましょうと、手紙に書いておいた。


 伯母は隣の部屋にいる。


 私は椅子の背に寄りかからず、向かいの人を見た。


「それを、私にお話しになるのですか」

「君とのことだから」


 ヨルクは、膝の上で両手を組んだ。


「一昨日、商会で話してから、ずっと考えていた」


 彼は一度、窓へ目を向けた。


「君は、支払いの日を知らせてくれるだけではなかったんだな。私が決めたことを、そのあと、どうすれば実行できるのか考えていた」


 私は黙って聞いた。


「君が何とかするから、何とかなるものだと思っていた。昨日も、書斎で分からないことがあって、呼ぼうとして……もう、隣の部屋にはいないんだと気づいた」


 あの小さな仕事部屋は、もう空になっているはずだ。

 残したものと持ち帰るものを、自分で分けて出てきたのだから。


「ひどいことをした。君に、甘えていた」


 ヨルクが頭を下げた。


 その姿を見て、私は膝の上の手を重ね直した。


 謝ってほしいと思っていた。

 七年待ったことを、傷ついたことを、少しでいいから分かってほしかった。


 今、その言葉を聞いている。


「それだけでは、ないんだ」


 彼が顔を上げた。


「水路を直した翌年、麦がよく実った時のことを覚えているか」


 私は、思わず頷いた。


 ヨルクが帰ってきて、書斎まで私を呼びに来た日がある。

 何か困ったことが起きたのかと思ったら、今年はいい実りだと、ひどくうれしそうに話し始めた。


 どの畑まで見に行ったのか。

 去年と何が違うのか。


 私は途中でお茶を淹れ、その話を聞いていた。


「君が、よかったですねと言ってくれて、もう一度うれしくなった」


 ヨルクは、ゆっくり言った。


「最近、領地を見て戻っても、そんな話をする相手がいない。何を見たのか、何がうれしかったのか。君に話していたんだと、いなくなってから気づいた」


 あの時の私は、彼の話を聞くのが好きだった。

 少し早口になるところも、途中で思い出したことを付け足すところも。


 その人と、毎日一緒に暮らせたらと思っていた。


 私は目を伏せ、息を整えた。


 うれしかったことまで、なくなってしまったわけではない。

 今も、思い出せる。


「君を、もっと大切にするべきだった」


 ヨルクの声が、かすれた。


 私は顔を上げた。


「そう思ってくださったことは、分かりました」


 彼の肩から、少し力が抜けた。

 そのまま上着の内側へ手を入れ、小さな箱を取り出す。


 開ける前から、何か分かった。


 私が返した指輪だった。


「もう一度、婚約してほしい」


 箱の中に、細い金の輪があった。


「今度は、きちんとする。君が望んでいたように、二人で暮らしたい」

「ベルタとは、お話しされたのですか」

「まだだ。まず、君の気持ちを聞いてからと思って」


 私は、箱から彼の顔へ視線を移した。


「君が戻ってくれるなら、ベルタには私から話す。婚礼も、改めて考えよう」


 ヨルクの声に力が戻っていく。


「今は、返済や売却のことがある。家が片づいたら、今度こそ君を迎えたいんだ。だから、もう少しだけ待ってほしい」


 もう少しだけ。


 私は、その言葉を聞いた。


 同じ言葉を、何度受け取ってきただろう。

 手紙に書かれていたことも、会って言われたこともある。


 そのたびに、彼を困らせたくなくて、分かりましたと答えていた。


 今日は、答えが決まっていた。


「お待ちしません」


 ヨルクがまばたきをした。


「……トーヴェ?」

「あなたとは、結婚しません」


 言い終えるまで、彼の顔を見ていた。


 ヨルクは、開いた箱へ目を落とした。

 それから、もう一度私を見る。


「今度は本当だ。返済を終える日も決めた。そのあとなら――」

「お金が返ってきても、答えは変わりません」


 私は首を振った。


「結婚するための条件を、お話ししているのではないのです。私は、あなたとの婚約には戻りません」


 彼の手が、箱の脇で止まった。


「そんなに、簡単に決められることなのか」


 小さな声だった。


「私たちは、七年も一緒にいたんだ。君も、私のことを好きでいてくれたはずだろう」


 私は頷いた。


「好きでした」


 その返事には、迷わなかった。


「二十歳の時、あなたと結婚できることがうれしかった。手伝ってほしいと言われるのも、頼りにされるのも、うれしかったです」


 ヨルクが、顔を上げた。


「だから、待ちました。お金が足りないなら、式は小さくてもいいとお伝えしました。日取りだけでも決めてほしいと、何度もお願いしました」


 彼の口が、わずかに動いた。


 私は、その言葉を待たずに続けた。


「でも、あなたは私には待ってほしいと言いながら、ベルタとの結婚を決めました」

「それは、間違っていた。本当に後悔している」

「はい。今、伺いました」


 それでも、あの日のことは消えない。


 白い絹を持った妹。

 金の縁取りの中に並んだ二人の名前。

 来月と聞いて、自分の婚礼衣装を考えてしまった私。


 胸の奥は、まだ痛んだ。


 私はその痛みごと、息を吐いた。


「七年待ったことは、これからも待つ理由にはなりません」


 ヨルクは、何も言わなかった。


 昔の自分が選んだ人を、今の私も選び続けなければいけない。

 そう思っていたから、あんなに長く、立ち止まっていた。


 私は、卓上の小さな箱に触れた。


 蓋を閉じる。

 それから、彼の前へ戻した。


 箱を押す指は、震えなかった。


「これは、お返ししたものです。もう持ってこないでください」


 ヨルクが箱を見たまま、息をついた。


「何をすれば、君は戻ってくれる?」


 私は少しだけ間を置いた。


「戻りません」


 短い言葉になった。

 けれど、ほかの言い方を探して、曖昧にしたくなかった。


「ベルタとの婚約をどうするかは、お二人で話し合ってください。私が戻るかどうかを、理由にしないでください」


 彼は俯いた。


 私は、彼がこれから何と言えばいいかを考えかけた。

 傷つけすぎないように、何か慰める言葉を足した方がいいのだろうか。


 膝の上で、手袋を揃えた。


 今、優しい約束を足せば、その約束のためにまた会うことになる。


 私は自分の鞄を持ち、立ち上がった。


「お話は、ここまでにさせてください」


 ヨルクが顔を上げる。


「待ってくれ」

「返済についての連絡は、商会を通して、書面でお願いいたします。先日決めた期限に、受け取ります」


 時計を見ると、まだ約束した三十分には届いていなかった。


 私は客間の扉へ向かった。


 謝ってもらえたことは、覚えていられる。

 けれど、戻るとは言わない。


「さようなら、ヨルク様」


 扉を開けて、私は廊下へ出た。


 ◇


 伯母は隣の部屋から出てきて、私の顔を見た。


 何を言われたのかは、尋ねなかった。

 ただ、少し近づいて、私の手に触れた。


「お茶を飲んでいく?」


 私は首を振った。


「ありがとう。今日は、帰ってしたいことがあるの」


 伯母は頷いた。


「では、気をつけて」


 私はその手を、一度握り返した。


「場所を貸してくださって、ありがとう」

「また、いつでもいらっしゃい」


 玄関を出ると、午後の風が頬に当たった。


 私はゆっくり歩いた。

 泣きたいような気もしたし、少し疲れてもいた。


 それでも、客間へ戻って返事を変えたいとは思わなかった。


 七年の間に、好きだった時間も、うれしかった時間もあった。

 そのことまで、嫌いにならなくてよかった。


 私は、家へ帰った。


 ◇


 窓を開け、机の上を片づけた。


 借用書の入った引き出しは、そのままにしておく。

 今日、書きたいのは返済の手紙ではなかった。


 新しい紙を一枚、出した。


 ニーロ様。


 宛名を書くと、お茶の席で笑った顔が浮かんだ。


 胡桃のお菓子を、思っていたより早く食べてしまったこと。

 私の話を聞いて、自分も用事を思い出してしまうと笑っていたこと。


 旅の本の続きが気になると、言ってくれたこと。


 私は、窓辺の本へ目を向けた。

 少しずつ読み進めて、海辺の町の話も、終わりに近づいていた。


 その話をしたい。

 彼が最近、どんなことを面白いと思ったのかも聞いてみたい。


 私はペンを取った。


『先日は、楽しい時間をありがとうございました。

 また、ニーロ様にお会いしたいです。

 四日後の午後、ご都合はいかがでしょうか。

 旅の本を読み進めたので、お話ししたいことがあります』


 読み直して、少し頬が熱くなった。


 会いたいと、書いてある。


 私はそのまま、自分の名を記した。


 封をした手紙を持って家を出る。

 商会で使いを頼み、ニーロ様への手紙を託した。


 受け取ってもらってから、もう一度、空になった手を見た。


 今度は私から、会いたいと伝えた。

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