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七年待たせて、妹とは来月結婚ですか  作者: 九葉(くずは)


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4/10

第4話 私の名前で、頼まないでください

「お引き受けしていません」


 私は、申込書から顔を上げた。


「この申し込みも、今初めて知りました。ヨルク様の代理で、こちらと相談することはありません」


 オスモさんは頷き、書類を手元へ戻した。


「承知しました。ご本人に、担当者の変更と、現在の返済案の提出をお願いします」

「婚約解消と、仕事を終えたことを確認する書面もあります。明日の朝、写しをお届けします」

「では、こちらで保管しましょう」


 話がそれで済んだことに、私は少し戸惑った。


 何か一つ、言い足さなくてはいけない気がした。

 急に関わらなくなって申し訳ないとか、困っているなら今回だけはとか。


 けれど、私が新たな借り入れを申し込んだわけではない。


「今ある帳簿は、すべて引き継いでいます。支払先との約束も、書き残してあります」

「でしたら、その資料をもとに、ご本人が説明できますね」


 オスモさんは、ハーゲ家の申込書をほかの書類と分けて置いた。


 私の名前を書くだけでは、話は進まない。

 それを確かめて、ようやく鞄を持ち直した。


「よろしくお願いいたします」


 商会を出ると、通りに午後の光が差していた。

 伯母との約束には、まだ間に合う。


 私は待ち合わせの場所へ向かった。


 ◇


 翌朝、署名のある書面の写しを商会へ届けた。

 今後はハーゲ家の代理を務めない旨も書き添え、受け取ってもらった。


 その帰りに、ドレン伯爵から届いた資料を預かった。


 約束どおりの、午前中だった。


 職人たちと相談してきた支払いの条件と、地代が入る日付。

 前の面会で確かめたいと伝えたところには、短い説明も添えられていた。


 私は家へ戻り、窓辺の机にそれらを広げた。


 途中で一度、お茶を淹れた。

 熱いうちに半分飲み、残りの計算を確かめる。


 夕方には、案の形が整った。


 ヨルクからの手紙が届いたのは、筆を置こうとした時だった。


『商会から、私が出向いて返済の計画を説明するようにと言われた。領地の見回りも婚礼の準備もあるのに、困っている』


 見慣れた文字が続いていた。


『君がこれまでどおり調整すると、一言伝えてくれればいい。名前を書いたのは、その方が早く話が進むからだ。ベルタも支払いが決まらないと困ると言っている。妹の祝い事なのだから、意地を張らないでほしい』


 私は、手紙を机に置いた。


 婚約を終え、仕事をやめたことが、意地を張っていることになるらしい。


 今ある資金と支払いの予定を確かめ、計画を説明するべきなのは彼だ。

 私に一度頷かせれば済む話ではない。


 そう思ったのに、返事を書き始めると、違う言葉が出てきた。


 意地を張っているわけではありません。

 私は七年間、あなたとの結婚を待っていました。


 そこまで書いて、手が止まった。


 この続きを、読んでほしいのだと思う。

 どれほど楽しみにしていたか。どれほど傷ついたか。

 分かってくれたら、せめて、こんな頼み方はしなくなるかもしれない。


 でも、そのことはもう伝えた。

 分かってもらえなかったことが悲しくて、何度でも同じ説明を始めてしまいそうだった。


 私は書きかけの紙を脇へ置いた。


 もう一枚、白い紙を取る。


『婚約解消時に確認したとおり、ハーゲ家の支払いに関わる仕事は終えています。私は代理人ではありません。新たな借り入れは、ご自身で商会とご相談ください』


 最後に、一行を加えた。


『私の名前で、頼まないでください』


 読み直し、署名して封をした。

 これ以上書き足さず、返事を使いに託した。


 机に戻ると、ドレン伯爵の資料がそのまま広がっていた。


 私は完成した案をもう一度確かめた。

 人に見せられるように清書を終えた頃には、窓の外が暗くなっていた。


 明日は二時に、これを届ける。


 ◇


「こちらが、最終の案です」


 翌日の午後二時。

 私は商会の応接室で、ドレン伯爵と向かい合っていた。


 職人側の希望を確かめると、材料費の支払いは、私が最初に考えた日より少し早い方がよかった。

 その分を直し、工賃を支払う日と、地代が入る日を合わせて、無理のない順に並べた。


 入金が遅れた場合に必要となる額も、別に記した。

 その備えは、彼が自分で用意すると言っていた。


「工事を始める前に、先方へ確認していただくのは、この二点です」


 説明を終えると、彼は綴りを最初から見直した。


「何を、いつまでに決めればいいか、分かりやすいですね」


 私が印をつけたところを、指でたどっていく。


「職人への最終確認は、私がします。入金が遅れた時の用意も、こちらで進めます」

「はい。日程が変わった場合は、その都度、支払いの方も確かめてください」


 彼は頷いて、綴りを閉じた。


「これで、工事を進められそうです。ありがとうございました」


 胸の奥が、ゆっくり温かくなった。


 彼は案を受け取り、自分で動こうとしている。

 私が毎日傍にいて、代わりに頼み続ける必要はないのだ。


 照合と計画の作成に対する報酬も、約束した額で受け取った。

 領収証を渡すと、彼はそれを書類と一緒に鞄へしまった。


 今回の仕事は、これで終わりだった。


 ほっとした。

 間違いがないか、説明が伝わるか、昨夜まで何度も気にしていたから。


 私は手元の控えを揃えた。


 次の面会の日を、決める必要はない。


 そう思うと、紙を片づける手が遅くなった。


「トーヴェ様」


 呼ばれて、顔を上げた。


「もう少しだけ、お話ししてもよろしいですか」

「はい。まだ、お時間はありますので」


 私は閉じかけた手帳を開いた。


「追加のご相談でしょうか」

「いえ」


 彼は一度、鞄へ目を落とした。

 それから、私に向き直る。


「よろしければ、今度、お茶をご一緒していただけませんか」


 私はペンを持ったまま、動きを止めた。


「……お茶、ですか」

「はい」

「お仕事のお話を?」


 尋ねると、彼は少し笑った。


「仕事の話も楽しいのですが、それだけで終わるのが、残念になりまして」


 私は、手帳の何も書かれていない頁を見た。


 書類があれば話せる。

 尋ねることも、答えることも分かる。

 それを持たずに、この人の向かいに座るのだろうか。


「私と、お話ししたいということですか」


 口にしてから、ひどく率直な聞き方になってしまったと気づいた。


 彼はからかわなかった。


「ええ。あなたと、もう一度お会いしたいと思っています」


 耳まで熱くなった。


 うれしい、と思った。

 その気持ちに、自分でも驚いた。


 まだ、ヨルクとのことを思い出せば悲しくなる。

 婚約解消の書面を片づけたばかりなのに、ほかの人から誘われて、うれしくなってもいいのだろうか。


「あの、私は……婚約を解消したばかりなのです」


 彼の表情が、少し改まった。


「そうでしたか」


 私は、膝の上で指先を重ねた。


 なぜ解消したのかと聞かれたら、何と答えよう。

 七年も待って、妹が選ばれたのですと、この人にも話すのだろうか。


「急なお誘いでしたね。ご負担でしたら、今のお話は忘れてください」


 彼がそう言ったので、私は顔を上げた。


「いいえ」


 考えるより先に、返事が出た。


 彼は黙って待っていた。

 私は自分が何を言いたいのか、もう一度確かめた。


「……ご一緒したいです。お茶に」


 それが、今の気持ちだった。


 ドレン伯爵の口元がほころんだ。

 その顔を見たら、つられて私も笑っていた。


「ありがとうございます。ご都合のよい日はありますか」

「いつでも大丈夫です」


 答えてから、手帳へ目を落とした。


 仕事の案内を作る日も、家の用事を済ませる日も、自分で決めていた。

 全部動かしてしまわなくても、会える日はある。


「いえ、五日後の午後でしたら。三時はいかがでしょう」

「空いています。では、その日に」


 彼も手帳を出した。

 仕事の日取りを決めた時と同じように、私が選んだ日を書き留める。


「広場に面した菓子店をご存じですか」

「ええ。前を通ったことはあります」

「焼き菓子のおいしい店です。よろしければ、席を頼んでおきます」

「ありがとうございます」


 場所と時刻を書きながら、胸が落ち着かなかった。


 もう一つ何か、聞いておくことはあるだろうか。

 必要な資料も、確認する金額も、今回はない。


「それから」


 彼が少しだけ身をかがめた。


「次にお会いする時は、ニーロと呼んでいただけるとうれしいです」


 私は顔を上げた。


「……ニーロ様」

「はい」


 初めて呼んだ名前に、穏やかな返事があった。


「では、五日後に」

「楽しみにしています」


 彼を見送ってから、私は手帳を開き直した。


 午後三時。

 広場の菓子店。

 ニーロ様と、お茶。


 書いたばかりの文字を、指先でそっと押さえた。


 仕事の時と同じドレスで、行ってもいいだろうか。

 そう考えて、窓に映る自分を見る。


 別の服を選んでもいいのだ。

 髪を、いつもより少し丁寧に整えても。


 今度は帳簿を抱えずに、彼に会いに行く。

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