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七年待たせて、妹とは来月結婚ですか  作者: 九葉(くずは)


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3/10

第3話 約束の時間に来る人

「トーヴェ・エルケン様ですね」


 午後二時を知らせる鐘が、まだ鳴っていた。


 顔を上げると、商会の応接室の入口に男性が立っていた。濃い茶色の髪を短く整え、腕に厚い書類の綴りを抱えている。


「ニーロ・ドレンです。本日は、よろしくお願いします」


 立ち上がると、思っていたより背の高い人だった。

 差し出された手を握り返す。手袋越しにも、しっかりした指の形が分かった。


「トーヴェです。どうぞ、お掛けください」


 椅子を勧めながら、壁の時計に目が行った。

 針は、二時を指している。


「時間を間違えましたか?」

「いいえ。お約束どおりです」


 私は慌てて首を振った。


 時間どおりに来てくださっただけで、驚いた顔をしてしまった。

 依頼を受ける側の私が、これではいけない。


 卓上の紙を揃え、彼へ向き直る。


「本日は三時まで、こちらをお借りしています」

「はい。手紙で拝見しました」


 彼は綴りを置き、外套を脱いだ。


 私の最初の依頼人だった。


 ◇


 三日前、オスモさんは約束した時刻に私を迎えてくれた。


 その朝、伯母から、両家への婚約解消の届けも済んだと聞いていた。


 ヨルクとの婚約を解消し、あの家の仕事も終えたことを伝えると、驚いた様子だったが、詳しい事情は尋ねなかった。


「今後はこちらの仕事を、有償で受けたいということですね」

「はい。ただ、お金を払ってまで頼んでくださる方がいるかは……」


 言い淀む私に、オスモさんは一通の手紙を示した。


 この町から馬車で半日ほどのところに領地を持つドレン伯爵が、支払いの計画について相談できる者を探しているという。


「ご紹介はできます。条件は、ご本人とお決めください」


 私は頷き、相談に使う場所も借りられないかと尋ねた。


 商会の奥の応接室なら、空いている時間に使わせてもらえることになった。

 料金は、利用した時間に応じて支払う。


 家賃の収入から無理なく出せる額なのを確かめて、お願いした。


 それから相談料を決め、必要な書類を手紙で伝えた。

 初めての面会は、今日になった。


 誰かに頼まれて空けておくのとは違う一時間。

 昨夜は不安で、何度も話す順番を考え直した。


 ◇


「見積書と、工事の日程です。こちらが領地の収入と、決まっている支出」


 ドレン伯爵は、私がお願いした書類を順に並べた。


 途中で一枚、彼の手が止まった。


「これは、古い方の見積ですね。失礼しました」


 脇へよけた紙には、細かな書き込みがあった。


「そちらも、見せていただけますか。変更した理由が分かると助かります」

「捨てずに持ってきてよかった」


 彼は少し笑った。

 それまで真面目そうに見えた顔が、思いがけず柔らかくなった。


 私は手元へ目を戻すのが、一拍遅れた。


「橋の修繕を、収穫の時期までに終えたいのです」


 私は説明を聞きながら、日程に目を通した。

 古くなった橋を直す必要があるが、費用の全額を先に取り分けると、今月のほかの支払いが苦しくなる。


「着工を待てば、お金は揃います。ただ、それでは収穫物を運ぶ頃に工事が重なってしまう」


 彼は自分で作った支払いの案も出した。


「途中で工賃を払えなくなるのは避けたい。見落としがあれば、指摘していただけますか」


 私は収入の欄と、工事の日程を見比べた。


「この地代は、月末に入る予定でしょうか」

「ええ。支払いの日は決まっています」

「遅れたことは?」

「ほとんどありませんが、念のため確かめましょう」


 彼は手帳を出して、私の質問を書き留めた。


 私は肩の力を少し抜いた。

 事情を聞くたび、面倒そうな顔をされることはなかった。


「職人の方への支払いですが、総額だけ記されています。全額を、着工前にお渡しするお約束ですか」

「いえ。支払い方は、まだ相談していません」

「でしたら、材料を仕入れる時、工事の途中、完成した時に分けられないか、確かめてはいかがでしょう」


 材料代と、最初に必要な工賃なら、今の資金で用意できる。

 その後の支払いまでには、地代の入金を挟めるかもしれない。


 私は紙に日程を並べ直した。


「ただ、先方にも支払いがあります。こちらの都合だけで分けるわけにはいきませんので、いつ、いくら必要なのかを聞いてからですが」


 彼が身を寄せて、紙を覗き込んだ。

 袖が触れそうになり、私は少しだけ腕を引いた。


「なるほど。工事を遅らせずに済むかもしれないんですね」


 顔が近かった。

 頷こうとして目が合い、私は、紙を彼の方へ向け直すことに集中した。


「……はい。ほかの支払いと重ならないかも、確認いたします」


 彼は自分で手帳を開き、職人への確認事項を足していった。


「地代の入金が遅れた場合も、考えておきたいですね」

「そうですね。足りない分は、私が一時的に」


 言いかけて、口を閉じた。


 机の下で、左手を握る。

 もう指輪はない。


「申し訳ありません。今の申し出は、取り消させてください」


 顔が熱くなった。

 やめると決めたばかりなのに、困ると分かれば、また自分のお金を出そうとした。


 ドレン伯爵は、私が顔を上げるのを待ってから頷いた。


「承知しました。あなたのお金を借りる依頼ではありませんから」


 責める声ではなかった。


「借り入れが必要なら、私が条件を確かめます。ここが危ないと、教えていただけるだけでも助かります」


 彼は、入金の日に印をつけた。


「この日がずれた場合の案も、お願いできますか」

「……はい」


 私がお金を出さなくても、相談は続いた。

 彼は不機嫌にならず、私の話を聞いている。


 私は固く握っていた手を開き、ペンを取り直した。


 ◇


 職人側の支払い条件と、地代の正確な入金日を確かめてから、最終の案を作ることになった。


「確認したものを、商会に届けます。それを見て、続きをお願いしたいのですが」


 私は料金を書いた紙を手前に引いた。


 次の言葉が、少し言いにくい。


「今日の相談とは別に、書類の照合と計画の作成にも、報酬をいただきます」


 短く息を継いで、必要な作業と金額を書き添えた。


 ドレン伯爵は紙を読み、日程を確かめた。


「この内容でお願いします。資料は明日の午前中までに届けます」

「では、二日後の午後でしたら、改めてご説明できます」

「何時がよろしいですか」


 私が決めていいのかと、聞きそうになった。


 手帳を開き、空いている時刻を確かめる。


「今日と同じ、二時でお願いできますか」

「二時ですね」


 彼も、自分の手帳に書き入れた。


 当たり前のやり取りなのだろう。

 それでも私は、彼のペンが動くのを見つめてしまった。


「では、今日はこのあたりで」


 そう言われて時計を見ると、三時になろうとしていた。


「あの、まだお聞きしておきたいことが」

「次にお会いする時では、間に合いませんか?」


 手元の紙を見直す。

 今すぐ決めなければいけないことではなかった。


「……間に合います」

「よかった。お約束は三時まででしたから」


 彼は綴りを整え、立ち上がった。


 このあと、伯母と生活の品を買いに行く約束がある。

 急いで帰って支度をすれば、と思っていたけれど、急ぐ必要はなさそうだった。


「本日の相談料は、こちらでよろしいですね」


 決めておいた額が、卓上に置かれた。

 私は受け取って確かめ、用意していた領収証に名を書いた。


 ペン先が少し震えた。


「ありがとうございました」


 紙を差し出すと、彼は丁寧に受け取った。


「こちらこそ。話を聞いていただけてよかった」


 顔を上げる。

 彼は私を見て、笑っていた。


「次も、よろしくお願いします」


 次がある。

 そのことがうれしくて、今度は私も自然に笑えた。


「お待ちしております」


 彼が出ていってから、私は領収証の控えを、しばらく眺めていた。


 仕事の最初の一件が終わった。

 無事に話せたし、報酬も受け取れた。


 それなのに、何度も思い出すのは、私を見て笑った顔だった。


 ◇


 紙を鞄に収め、部屋を整えてから、オスモさんの机へ向かった。

 応接室の利用料を支払うと、彼が一通の書類を出した。


「お帰りの前に、一つだけ確認させてください」

「何でしょう」

「先日伺ったお話と、違う内容の申し込みが届きまして」


 私の前へ向けられたのは、新たな借り入れの申込書だった。


 ハーゲ伯爵家。


 その文字に、鞄を持つ手が止まった。


「あなたのお名前が記されていましたので。改めてお引き受けになったのでしょうか」


 私は書類を見た。


 支払い調整の担当者 トーヴェ・エルケン。


 その下には、今後も従来どおり私が商会との相談を引き受けると書かれていた。

 申込人の欄にあるのは、ヨルクの署名だった。


 同じ文字で、彼は四日前、私が仕事を終えるという確認書に署名した。


 私はもう、あの家の鍵さえ持っていない。


 それなのに、私の名前はまだ、彼がお金を借りるために使われていた。

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