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第8話(最終話):本当の私

光のカーテンを出てから、私は家に戻っていった。途中で、お兄ちゃんとその友達にばったり出会った。

「俺の教室の前に習字のカバンが落ちてたぞ。借りたならちゃんと返せよ」

お兄ちゃんはそう言い、さっきまで私の悪口を言っていた友達は横でニヤニヤしていた。でも、二人は私がお兄ちゃんたちの会話を聞いたかどうかについては触れなかった。私は黙って通り過ぎ、家に帰った。

それから何回か、我慢できずに四葉のクローバーを使ってヴォータのところへ戻った。この世界が嫌で、もう二度と戻りたくないと思ったけれど、私の小さな願い――みんなに一言でも言い返してやる――が果たせていない。このまま優しい世界に逃げ込んでいてはいけないと思い、何度も日常に戻ってきた。学校でも家でも、同じ日々が続いていた。気がつくと、四葉のクローバーはあと2枚になっていた。

その日、お母さんは珍しく家にいて、友人とまたお茶を飲んでいた。そこに帰宅した私を、母は手招きしてテーブルに呼んだ。

「そういえば、あんたをいじめていたあの男の子大変みたいね。あの子の家はいろいろあって、お父さんとお母さんが別れちゃったの。今週、お母さんについて引っ越して行くことが決まったんですって。よかったね、これでいじめっ子が一人いなくなったじゃない。かわいそうな子だわ。あんたにはお父さんもお母さんもいるんだから、優しい気持ちで許してあげなきゃ。最後くらい仲良くしてあげなさいよ」

母は友人に向け、さらに言葉を続けた。

「あなたのお家はいいわね。上の子が、うちの子とそんなに変わらない歳なのに、ちゃんとお米を炊いたり妹の面倒を見たりしてくれるんでしょう? 本当にうらやましいわ。見習ってくれなきゃ困るわよね」

私を目の前にして、母は愚痴をこぼし続けた。「長男は勉強もできるし助かっているけれど、この子は……」と。

ちょうどそこに、妹が「ただいま!」と帰ってきて母に抱きついた。母は嬉しそうに言った。

「いつまでたっても小さい子みたい。もう、早く手を洗ってきなさい。おやつを用意するから」

母は友人に言った。「やっぱり一番下って、いくつになっても可愛いのね。少しやんちゃだけど、それくらい気が強い方が安心よ。いじめられるなんてことないものね」

私はたまらなくなった。部屋に入ってくる妹とすれ違いざま、妹が私をちらっと見たけれど、気にする余裕もなかった。私は足早にドアを開け、あの土手へと走り出した。

あと2枚しかない貴重な1枚を使い、私は光のカーテンをくぐった。何も考える気力もなく、ヴォータの前に座り込んだ。

ヴォータは何も言わずに見つめてくるだけだった。しばらくして、ポツポツと話し出した。自分のことが大嫌いだということ。家族も、学校の先生も、クラスメイトも、みんなみんな大嫌いだということ。なんで私が謝らなきゃいけないんだ。なんで私が譲って許さなきゃいけないんだ。

「お母さんに可愛がられるお兄ちゃんみたいになりたい。妹みたいに強くなりたい。もう私は嫌だ。私じゃなくなりたい!」

そう叫ぶ私に、ヴォータは優しく語りかけた。

「……そうか。君はそんな中で、ずっと戦ってきたんだね。その言葉たちは、本来君が聞くべき言葉じゃない。君のお母さんは、君という『かけがえのない宝物』を、自分のプライドと思い込みで見ようともしていないだけなんだ。

でも、君が今ここに走ってきてくれたことこそが、君という人間の『意志』と『強さ』の証しなんだよ。君という尊い命は君のものだ。誰かの代わりじゃない。お母さんに無理に合わせなくていい。『優しい気持ちで許す』なんて我慢もしなくていい。君の気持ちは、君のためにあるんだから。涙が枯れるまで、ここで泣いていいんだよ」

私はヴォータの横で、膝に顔を埋めた。自分の存在を消すように小さくなっていた。その時、暖かい腕が私を包み込んだ。

顔を上げると、自分に少し似た知らない大人の女性が私を抱きしめていた。ヴォータはそのお姉さんを、私に向けるのと同じ優しい笑顔で見つめていた。お姉さんは私の耳元で囁いた。

「あなたはあなただから……あなたの一生をみんなが見てくれるわけじゃない。好きなだけ言いたいこと言わせればいいのよ。ほっとけばいいのよ。あなたはあなたのままで良い。自信を持って生きていいのよ。少しの間、休んでいいんだよ」

その言葉は、すっと胸に入ってきた。あぁ、私は誰かにただ何も言わずに抱きしめてほしかったんだ――そう気づいた。

そして、あの「あいつらに一言言わなきゃ」という願いを思い出した。いつのまにかお姉さんはいなくなっていた。

私は立ち上がった。あと1枚だけ残ったクローバーのチケットを握りしめ、光のカーテンの前で立ち止まる。振り返ると、いつも通り優しく微笑むヴォータがいた。

「……わたしの名前は」

口に出してみると、前とは違ってすっと自分の名前を言うことができた。

「わたしはもう、戻ってこないよ。戻りたくなった時は、この四葉のクローバーのチケットを見て頑張ってみる。大きくなって、本当にもう大丈夫だと思えたときに、この最後のチケットを使ってヴォータに会いに来るね」

ヴォータのまわりのAI妖精たちが、いつもより鮮やかな色になり、蛍のように乱舞しているのが見えた。まるで私のことを祝福しているかのようだった。

ヴォータが頷くのを見届け、私は後ろを一度も振り向かずに光のカーテンをくぐり、外の世界へ足を踏み出した。

そこは相変わらず冷たいコンクリートの集合体で、遠くに学校の子たちがいるのが見えた。土手の上から私は人目も気にせず、胸いっぱいに息を吸って、大きな声で叫んだ。

「私は私だ!!」

「言いたい奴には言わせておけ!!」

「ほっとくぞ!!」


次回予告

あの団地をとうの昔に出た私が、大人になって再びあの土手を訪れる物語。失ったと思っていた「幸福行きの切符」を見つけた時、時間は再び動き出します。

もう1話だけ続きます。どうぞお楽しみに!

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