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多摩の土手と、四葉の約束  作者: Fos B


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番外編:【幻影の王国】

俺には妻と長男と2人の娘がいる。

俺は本当は、医者になるはずだった。都内でも優秀な高校を卒業し、現役のまま医大に受かったのだ。それまでの俺の人生は順調そのものだった。しかし、俺の父親がすべてを台無しにした。もともと賭け事が好きだった親父が、あろうことか破産してしまったのだ。

医者になるには莫大な金がかかる。奨学金を借りてまで通うほど優秀ではないと判断され、俺は泣く泣く夢を諦めざるを得なかった。だから、俺は親父を一生許さない。

母親は「お前は自慢の息子だ」と言うが、自慢なんかされたって金にはならない。本当になんて理不尽な世の中だ。これほどまでに自分の思い通りにならない人生があるなんて、信じられなかった。

俺は頭がいいから、器用に何だってこなせる。就職してからも、周囲からは期待の星として扱われた。適当に仕事をしていても、優秀だから難なくこなせる。時々、まわりの変な奴らに邪魔をされるが、そんなものは気にしていない。連中は、優秀な俺が憎くて嫉妬しているだけなのだから。

ある時、職場の人に見合いを勧められた。

田舎から出てきた学のない女だとは聞いていたが、母親が「体だけは田舎の人だから丈夫そうじゃない。すぐに弱々しく病気になるような人じゃあなたが大変よ、早く孫の顔も見たいしね」と言うので、その女と結婚することにした。

確かに、本当に体だけが丈夫な女だった。そのうえ、親戚が多すぎて、東京で生まれ育った俺とは生活の何もかもが違った。最初からうまくいくはずもない。だからこそ、優秀な俺が色々と教えてやろうと頑張ってやったのに、あの女はいつもおとなしく、俺に口答えもしない。

そのうち子供たちも生まれ、俺たちは団地で細々と暮らすことになった。

だが、俺は本当は団地などに住むような人間じゃないという強い不満があった。だから、長男には俺の代わりに――いや、俺を超えて弁護士になり、世の中の理不尽な奴らを叩きのめしてほしいと願った。それを事あるごとに言い聞かせていた。

ある時、長男が俺のことを冷たい目で、見下すような表情で見ていた気がしたが、そんなことあるわけがない。優秀な俺の子なのだから、俺を敬うのは当然だ。

次女のことは、妻がやたらと可愛がっている。まあ、確かに可愛いには可愛いが。

長女のほうは、しっかりしていて、家事の手伝いなど色々と使い勝手がいいと思っていた。ある時、出張に行ったついでに、当時流行っていた「幸福行きの切符」のキーホルダーを適当に買ってきて長女に投げ渡した。別に深い思い出があったわけじゃない。「こういう流行り物のある場所に、俺は仕事で行くくらい優秀な人間なのだ」ということを長女にわからせたかっただけだ。そのために渡してやったのに、長女は変な顔をしていた。長男にも次女にも同じように適当にやったが、どいつもこいつもそっけない態度だった。

妻なんて、「この切符を持って幸せになれたら苦労はないわね」などとぬかして、すごく腹が立った。俺のこれまでの苦労も知らないくせに、何がわかるというんだ。

ある日、俺はもううんざりだと思った。

こんな家族から離れたい。責任なんかすべて押し付けられてたまるか。俺は俺1人でどこかに行きたい。家族を養う面倒なんて、もうまっぴらだ。

俺は、暖炉のある家でブランデーを片手に、娘のピアノの音色を聴きながら優雅に暮らす――そんな夢を見ていたのに、現実のあまりの虚しさに、つい家を飛び出してしまった。

でも、特に行く当てもなく団地の周りをウロウロしているうちに、罰が悪くなって家に電話をかけた。最初に出たのは長女だった。泣き叫ぶように「帰ってこい」と言ってきた。

「やっぱり、俺がいないとこの家は何も回らないんじゃないか」

そう思い、少し満足した。

次に受話器を取った次女は、甘えた声で俺に話しかけてきた。やはりこの家族には俺がいなければならない。みんな俺に依存しているのだと確信し、俺は堂々と家に帰ってやった。

家に帰るなり、次女が嬉しそうに俺に抱きついてきた。それを見た妻の顔が憎々しげに歪むのを見て、俺は心の底から満足した。

長男は一応俺の言うことを聞いて勉強し、将来は弁護士になりそうだと思っていた。これまで妻がどうやり繰りしたのか知らないが、大学に行くための仕送りや授業料は払うよう妻に命じた。地方の大学というのが少し引っかかったが、まあ優秀なところだから良しとしてやった。

それと同時に、なぜか長女がまだ高校生のうちに、未成年のくせに「家を出て自立する」と言い出した。

「何をとち狂っているんだ、この馬鹿娘は」と思ったが、長女はほとんど荷物も持たずに、逃げるように家を出て行ってしまった。

――勝手にしろ。親に迷惑をかけて、前のいじめの時と同じように、どうせ自業自得なのだろう。自分が悪いのだから仕方がない。

そう自分に言い聞かせ、長女の存在など初めからいなかったものとして片付けた。そのうち長女は完全に音信不通になり、俺の記憶からもきれいに消えていった。

問題は長男だった。

いつまで経っても大学から帰ってこない。「弁護士になるための勉強が忙しくて帰れないし連絡も取れない」と妻が言うので、まあ卒業するまでは待ってやろうと思っていた。

だが、いざ卒業が間近になった時、妻が青い顔をして「長男から伝言がある」と言ってきた。

なんと、長男は弁護士にはならないと言い出したのだという。

それを聞いた瞬間、俺は頭に血が上った。

「何だと!? 親を騙して、四年間分の授業料も生活費の仕送りもお小遣いも、全部返せ!!」

これから長男が社会に出て理不尽な目に遭ったら、俺と一緒になって叩き潰してくれる、俺の今までの理不尽さも叩きつぶしてくれると思っていたのに、長男まで音信不通になってしまった。この怒りをどこにぶつけていいか、俺にはまったく分からなくなった。怒りが爆発した次の瞬間、底知れない虚しさだけが胸を漂った。

もう、俺がやるべきことは何も残っていなかった。

次女はまだ家にいて、母親がその執着でしっかりと絡め取っている。

俺たち家族は、これからどうなってしまうのだろう。

もう2人いなくなった。いや、最初から誰もいなかったのかもしれない。

妻と次女、そして俺。この3人で、これからどうやって「理想の家族」を築けばいいというのか。

――ただ、冷たい虚しさだけが、俺の周りを漂っていた。


《これにて番外編全て書き終わりました。このお話はこれで完結です。長い間お話にお付き合いいただいてありがとうございました。》

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