第4話「記録をとる男」
何度目かの朝に、マティアスは紙とペンを用意することにした。
テントの中に、軍の手帳があった。作戦メモを書くためのものだった。彼はその最後のページを開いて、今日起きることを書いた。
カイルがコーヒーを持ってくる。
作戦の話をする。
ハルが「怖い」という話をする。
砲撃が来る。
光が来る。
目が覚める。
それだけ書いた。
それから、カイルを待った。
「マティアス、私だ」
「入れ」
カイルが入ってきた。手帳を閉じた。
「今日は書き物をしていたのか」
「作戦メモだ」
「こんな早朝から?」
「眠れなかった」
カイルはカップを置いた。マティアスはそれを受け取った。コーヒーを飲んだ。うまかった。
「作戦のことだが」
「ゴッグ一号機の話だろう。何もお前が乗ることはないと思うのだが」
「……お前、今日は先回りが多いな」
「そうか」
「俺がそう言う前に、全部言った」
「……そう聞こえたか」
「事実だろう」
マティアスは手帳を開いた。書いてあることを指した。
「見てくれるか」
カイルは手帳を見た。
カイルがコーヒーを持ってくる。作戦の話をする。ハルが「怖い」という話をする。砲撃が来る。光が来る。目が覚める。
「……これは何だ」
「今日起きることだ」
「予測か」
「予測ではない。記憶だ」
カイルは、手帳からマティアスへ視線を移した。
「記憶、というのは」
「今日は、何度も来ている。俺だけが何度も繰り返している。お前には昨日があり一昨日があるが、俺にはXI月二十八日だけが何度も来ている」
カイルは黙った。
「……信じないか」
「信じるかどうかより、先に聞きたいことがある」
「何だ」
「それが事実だとして、お前に何ができる?」
マティアスは少し考えた。
「まだ分からない。だから記録をとることにした」
「記録をとって、どうする」
「何が変わって、何が変わらないかを確認する。そこから、何かが見えてくるかもしれない」
カイルは、手帳を返した。
「……それは、真剣な話として聞いていいか」
「そのつもりだ」
「なら、一つだけ言っていいか」
「言ってくれ」
「今お前が言ったことは、俺には確認できない。俺の昨日は存在している。一昨日も存在している。XI月二十八日が繰り返されているという感覚は、俺にはない」
「分かっている」
「つまり、俺はお前の言葉を信じることはできても、証明することはできない」
「それも分かっている」
「……それでも記録をとるのか」
「とる。俺にとっては事実だからだ」
カイルは少しの間、マティアスを見た。それから、コーヒーを一口飲んだ。
「……分かった。俺には確認できないが、お前の話を否定もしない」
「それで十分だ」
「一つだけ聞いていいか」
「なんだ」
「毎回、結末は同じか」
「……ほぼ同じだ」
「どんな結末だ」
「光が来て、目が覚める」
「その光は——何だ」
「まだ分からない」
カイルは頷いた。それ以上は聞かなかった。
その日の作戦の間、マティアスは細かく記録をとった。
砲撃の方向。タイミング。規模。使われた火力の種類。
ゴッグ二号機が湖に入ったタイミング。
カイルの行動。
そして、光が来た瞬間。
いつもと同じだった。ゴッグ一号機で出撃し、敵をかいくぐり、光が来た。
でも今日は、光が来る直前に、マティアスは目を閉じなかった。
見ようとした。
光の中に、何かがあるかどうか、確認しようとした。
見えなかった。
あまりにも眩しくて、見えなかった。
目が、焼かれるような感覚があった。でも、痛みはなかった。ただ、光だけがあった。
そして——。
目が覚めた。
テントの天井。午前四時。
マティアスは手帳を確認した。
昨日書いたことが、全部そのまま残っていた。
「……残っている」
声に出した。手帳は、リセットされていなかった。
これは重要だった。マティアスだけが、この繰り返しを跨いで記憶と記録を持ち越せている。
コーヒーの匂いがした。
「マティアス、私だ」
「入れ」
カイルが入ってきた。
マティアスは手帳を開いた。昨日書いたメモに、今日の日付で追記した。
「記録は持ち越せる。カイルには繰り返しの記憶がない。光の中は見えなかった」。
それだけ書いた。
「また書き物をしているのか」
「ああ」
「作戦メモか」
「少し違う」
「何のメモだ」
「……繰り返しの記録だ」
カイルは少し首を傾けた。
「繰り返し?」
「昨日も話した」
「俺は昨日そういう話を聞いた覚えがないが」
「そうだろう。お前には昨日がある。俺には昨日がない」
「……まだそれを言うのか」
「毎朝言うことになるかもしれない。お前には記憶がないから、毎回初めての話になる」
カイルは、少し困った顔をした。
「……それは、お前にとって孤独な話だな」
「そうだな」
「分かり合えない、ということだから」
「完全には分かり合えない。でも、お前が否定しないことは、助けになる」
「俺は毎朝初めて聞くわけだが、それでも否定しないでいられるか」
「昨日も否定しなかった」
「昨日の俺は覚えていないが——」
カイルは、コーヒーを飲んだ。
「……俺という人間が、お前の話を否定するかどうかは、俺の性格の問題だ。記憶があるかどうかとは別に、否定しない可能性が高い」
「そうだな」
「それなら、毎朝同じ話をしてくれても構わない」
「……助かる」
マティアスは、手帳に一行追加した。
「カイルに話すことは、孤独を少し和らげる」。
その日の作戦も、同じ結末だった。
光が来た。目が覚めた。
手帳には、また記録が増えた。
マティアスは、繰り返しの中で少しずつ、自分が何を知っていて何を知らないかを整理し始めた。
知っていること——今日が繰り返されている。記録は持ち越せる。カイルには記憶がない。光の中は見えない。毎回、細部が少し違う。
知らないこと——なぜ繰り返されているのか。いつから繰り返されているのか。何回目なのか。どうすれば終わるのか。
知らないことの方が、圧倒的に多かった。
でも、知っていることが少しずつ増えていく感覚は、不思議と悪くなかった。
これが何回目かは分からない。でも、次の朝にもこの記録は残っている。それだけが、確かだった。
【次回 第5話「細部の違いを追う」へ】




