第3話「繰り返しに名前をつける前に」
何度目かの、XI月二十八日の朝。
マティアスは目を覚ます前に、今日起きることを頭の中で並べていた。
カイルがコーヒーを持ってくる。作戦のことを話す。ハルが声をかけてくる。ミナが湖畔にいる。砲撃が来る。光が来る。そして——。
目を開けた。
テントの天井。午前四時。
全部、合っていた。
マティアスは、その事実を、今日初めてはっきりと認識した。合っていた。予測ではなく、記憶だった。
問題は、何の記憶なのかが分からないことだった。
「マティアス、私だ」
「入れ」
カイルが入ってきた。カップが二つ。
「今日のお前は反応が早いな」
「ああ」
「またいつものか?」
「いつもの、というのは」
「夢の話だ。最近、毎朝何か引っかかっている顔をしているから」
マティアスは、カイルを見た。
「お前は、俺が毎朝引っかかっていると思っているのか」
「ここ数日、そう見える」
「ここ数日、というのは具体的に何日だ」
カイルは少し考えた。
「三日か、四日か……正確には覚えていないが」
「三日か、四日か」
「なぜそんなことを聞く」
「俺には、もっと長く感じる」
「どのくらい長く?」
「……分からない。でも、三日や四日ではない」
カイルはカップを持ったまま、マティアスを見た。
「疲れているんじゃないか」
「疲れているのかもしれない」
「作戦前に無理をするな」
「そのつもりはない」
二人はコーヒーを飲んだ。外では、夜明けの準備が進んでいた。
マティアスは、今日起きることを頭の中で追っていた。この後、ハルが来る。「怖い、って言っちゃダメですか」という話をする。それからベースキャンプを歩く。砲撃が来る。一号機に乗る。
その先は——毎回、少しずつ違う。
そのことに、今日初めて気づいた。
毎回、全く同じではない。細部が違う。カイルが言う言葉が少し違う。ハルのタイミングが少し違う。砲撃の方向が少し違う。
でも、結末は——毎回同じだった。
光が来て、目が覚める。
ハルが声をかけてきた。
「大佐、いよいよですね」
「ああ」
「怖いっていうのは、やっぱりダメですかね」
「ダメではない」
「そうですか。……じゃあ正直に言います。めちゃくちゃ怖いです」
マティアスは、ハルを見た。
今日の彼は、いつもより少し正直だった。気のせいかもしれない。でも、毎回のハルを見てきた目には、そう映った。
「怖くて当然だ」
「大佐は怖くないんですか」
「俺も怖い」
「……大佐が怖いって言ったの、初めて聞きました」
「そうか」
「なんか、ちょっと安心しました」
ハルは胸を叩いた。それから、歩き出した。湖畔の方へ。
マティアスは、その背中を見送った。
何度見た背中だろう、と思った。
でも、その問いに答えが出ない。記憶があるのに、何回目かが分からない。
ベースキャンプを歩きながら、マティアスは数えようとした。
何回、XI月二十八日を過ごしたか。
一回目は、何も分からなかった。
二回目から、少しずつ引っかかりが出てきた。
三回目で、夢の話をカイルにした。
四回目で——カイルが「一号機は俺が乗る」と言った回があった。あれは何回目だったか。
五回目か、六回目か。
その後も、何回かあった。カイルが言った回、言わなかった回。ハルが別のことを言った回。砲撃が少し早く来た回。
でも、数えられない。記憶の順番が、はっきりしない。
夢が積み重なっているような感覚。でも、夢にしては鮮明すぎる。
格納庫でゴッグ一号機を確認した。
整備兵が最終チェックを報告してくる。マティアスはそれを受け取りながら、機体を見た。
何度見た機体だろう。
この機体に乗って、何度出撃しただろう。
何度、光の中に消えたのだろう。
消えた、という感覚が、確かにあった。毎回、光が来た後に目が覚める。その間に何があるのかは、分からない。分からないまま、また朝になっている。
「大佐、準備できております」
「……ああ」
「どうかされましたか」
「いや、何でもない」
マティアスは、機体のハッチを触れた。冷たい金属の感触。
この感触も、何度目かだった。
何度目か分からないまま、今日も触れている。
それが、妙に悲しかった。悲しい、という言葉は正確ではないかもしれない。でも、他に言葉がなかった。
砲撃が来た。
閃光。地面が揺れた。
マティアスは走った。一号機へ。
今日は、カイルの通信は来なかった。マティアスは一人でハッチを開けて乗り込んだ。
コックピットに計器の光。エンジン起動。
外で、ゴッグ二号機が水に入っていく音がした。ハルとミナが乗っている。
マティアスは出撃した。
敵の火力をかいくぐりながら、目標地点へ向かった。途中で、通信に雑音が混じった。
「……サルガッソ02……」
ミナの声だった。
マティアスは手を止めた。
「……こちらサルガッソ02、ミナ・カワシマ伍長……」
声が遠ざかっていった。深度が増すに従って、通信が届かなくなっていった。
マティアスは、その通信を聞きながら、何も言えなかった。
応答すればよかった、と思った。でも、この場面で応答したことが、今まであっただろうか。
記憶が、また混乱した。
光が来た。
全てが白くなった。
目が覚めた。
テントの天井。午前四時。
マティアスは、今日こそ数えようとした。指を折りながら。一回目。二回目。三回目——。
でも、何回目まで来ても、「ここまで」という区切りが見えなかった。
コーヒーの匂いがした。
「マティアス、私だ」
カイルの声。
マティアスは答えなかった。
カイルが入ってきた。赤い軍服。ティーカップが二つ。
「今日も引っかかった顔をしているな」
「……ああ」
「何が引っかかっているんだ」
マティアスは、カイルを見た。
「……お前は、今日が何日だと思っている」
「XI月二十八日だが」
「昨日は?」
「XI月二十七日だ」
「一昨日は」
「XI月二十六日だ。当然だろう」
「……そうか」
カイルには、昨日があった。一昨日があった。
マティアスには——XI月二十八日だけが、何度も来ていた。
でも、それをどう説明すればいいか、まだ言葉がなかった。
【次回 第4話「記録をとる男」へ】




