第2話「また同じ朝」
目が覚めた。
テントの天井が見えた。
時計を見た。午前四時。
マティアスは上体を起こした。南米の夜明け前の空気が、肌に当たった。今日も蒸し暑い。今日も作戦がある。今日もカイルがコーヒーを持ってくる。
その三つが、同時に頭に浮かんだ。
マティアスは、その感覚を不思議に思いながらも、すぐに流した。
コーヒーの匂いがした。
「マティアス、私だ」
「分かっている。入れ」
カイルが、少し驚いた顔をした。
「珍しいな。今日は返事をした」
「いつも返事をしている」
「たいていは黙って待っている」
「……そうだったか」
カイルはカップを置いた。マティアスはそれを受け取った。コーヒーを一口飲んだ。
うまかった。
「作戦のことだが」
「ゴッグ一号機の話だろう」
「……そうだ。何もお前が乗ることはないと思うのだが」
「他に頼めるものがいない」
「……それも、分かっていた」
カイルは少し首を傾けた。
「今日のお前は、少し様子が違うな」
「そうか」
「何か、あったか」
「変な夢を見た。ここ最近、同じような夢を繰り返している気がする」
「どんな夢だ」
「今日のことを、事前に知っているような夢だ」
カイルは少しの間、マティアスを見た。
「それは、単なる予測ではないのか。今日の作戦のことを、頭が整理しようとしているだけでは」
「そうかもしれない」
「不安があるなら、正直に言った方がいい」
「不安というわけではない。ただ——」
「ただ?」
「何かが、ずっと引っかかっている」
カイルは、コーヒーを一口飲んだ。
「引っかかりの正体が分かれば、楽になるか」
「分からない。でも、分かりたい気はする」
「珍しいことを言う」
「そうか」
「お前は普通、引っかかりがあっても動く方を選ぶ」
「……そうだな」
マティアスは、テントの外を見た。まだ暗い。夜明けまで、もう少しある。
「カイル」
「なんだ」
「今日の作戦で、何か起きた場合——」
「何が起きると思っている」
「分からない。でも、何かが起きる気がする」
カイルは、マティアスを真剣な顔で見た。
「それは、作戦を中止すべきだという意見か」
「そういうわけではない。ただ、お前に言っておきたかった」
「何を」
「……気をつけろ」
カイルは、少しの間、何も言わなかった。それから、静かに言った。
「それはこちらの台詞だ」
二人はコーヒーを飲んだ。外では、夜明けが近づいていた。
作戦は、予定通りに始まった。
砲撃が来た。閃光。地面が揺れた。
マティアスはゴッグ一号機へ走った。
走りながら、振り返った。ハルとミナが湖畔へ向かっているのが見えた。
一号機に乗り込んだ。ハッチを閉めた。
コックピットに計器の光が溢れた瞬間、通信が入った。
カイルではなかった。
「大佐、敵の規模が想定を上回っています。一号機では——」
「分かっている。予定通り動く」
「しかし——」
「予定通りだ」
マティアスは操縦桿を握った。
その時、もう一つの通信が入った。カイルだった。
「マティアス。俺が行く」
また、この言葉だった。
マティアスは、固まった。
「カイル」
「一号機は俺が乗る。お前は——」
「待て。なぜお前が乗る」
「今日の作戦では、俺が乗った方がいい。理由は言えないが」
「理由が言えない理由を言え」
「……言えない理由の理由も言えない」
「ふざけるな」
「ふざけていない。マティアス、俺を信じてくれ」
マティアスは、操縦桿を握ったまま、答えられなかった。
外で、また爆発があった。
「時間がない」
カイルの声が続いた。
「生きて帰れ、マティアス」
通信が切れた。
マティアスは、ハッチを開けようとした。間に合わなかった。
光が来た。
全てが白くなった。
目が覚めた。
テントの天井。午前四時。
マティアスは、しばらく動かなかった。
今回は、夢の感覚が残っていた。光の記憶。カイルの「生きて帰れ」という声。そして、間に合わなかった、という感覚。
コーヒーの匂いが来た。
「マティアス、私だ」
カイルが入ってきた。
生きている。
マティアスは、カイルを見た。何も言わなかった。
「……どうした。顔色が悪いぞ」
「……何でもない」
「何でもない顔ではないが」
「夢を、また見た」
「同じ夢か」
「似ている。でも、少し違う部分があった」
カイルはカップを置いた。
「どこが違った」
「……今回は、お前が俺の代わりに一号機に乗ろうとした」
カイルは、少し間を置いた。
「なぜ俺がそんなことをする」
「分からない。でも、お前はそう言った。『理由は言えない』と」
「……奇妙な夢だな」
「ああ」
「それで、どうなった」
「光が来た。そこで目が覚めた」
カイルは、コーヒーを一口飲んだ。その顔を、マティアスはじっと見た。
生きている。今は、生きている。
「カイル」
「なんだ」
「今日の作戦で、一号機から離れるな」
「どういう意味だ」
「一号機以外に乗るな」
カイルは、マティアスを見た。
「……それは命令か」
「命令だ」
「理由は」
「……夢を見たからだ」
カイルは少し笑った。
「夢を根拠にした命令は、初めてだな」
「俺もそう思う。だが、命令だ」
「……了解した」
カイルはそう言ったが、その表情には、何かが残っていた。了解、とは言ったが、納得とは別の何かが。
マティアスには、それが気になった。
でも、今は時間がなかった。
その日の作戦で、マティアスはゴッグ一号機に乗って出撃した。
砲撃の中を抜け、目標地点まで到達した。
カイルは、後方で支援に回っていた。
ハルとミナは、ゴッグ二号機で別のルートを進んでいた。
途中で、通信が途絶えた。ゴッグ二号機の反応が、深度計から消えた。
マティアスは、その事実を確認した時、何か大切なものを失ったような感覚を覚えた。
でも、作戦は続いた。任務は続いた。
そして、夜が来た。
翌朝、マティアスはまたテントで目を覚ました。
時計を見た。
午前四時。
……また、この時刻だった。
マティアスは、ゆっくりと上体を起こした。外の音を聞いた。兵士たちが動き回る音。通信車両のエンジン音。誰かが何かを怒鳴っている声。
全部、聞き覚えがあった。
昨日聞いた音ではなかった。もっと前に聞いた音だった。
マティアスは、時計をもう一度見た。
XI月二十八日。
昨日もその日付だった気がした。いや、一昨日も。もっと前から。
コーヒーの匂いがした。
「マティアス、私だ」
マティアスは答えなかった。
カイルが入ってきた。赤い軍服。上品な所作。手にはティーカップが二つ。
「……また、お前か」
「また、とは失礼な」
「今日は何日だ」
「XI月二十八日だが」
「……そうか」
マティアスは、コーヒーを受け取った。飲んだ。うまかった。
いつも通りに、うまかった。
何度目の、いつも通りなのか、まだ分からなかった。
【次回 第3話「繰り返しに名前をつける前に」へ】




