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第27話 二人の黒髪

ノエルは黒髪の少年を茂みの奥へ引き込み、弾む息を整えながら耳を澄ませた。


どうやら追ってきた役人たちは、この場所を探すのを諦めて他の場所を探し始めたようだ。少年を呼ぶ声が次第に遠ざかってゆく。


「……ふぅ。とりあえず一安心だね」


ノエルが言うと、少年は胸に手を当てて、ハーッと深呼吸を一つ。


「助かったよ。まさか、私を助けてくれる人間がいるなんて思わなかった。ありがとう、恩に着るよ」


「恩に着るだなんて大げさだよ。僕はちょっと面白そうだったから助けただけなのに――」


「それでも、私は嬉しかったのだ」


少年の目はまっすぐにノエルを見つめている。


「なんだよそれ、へんなの」


視線を避けるように顔を逸らせてノエルが笑った。少年のあまりに真面目な態度が可笑しかったのだ。


そして――ノエルの笑顔につられた少年も、その大真面目な顔をほころばせ、くすりと笑った。


(やっぱりいいところのお坊ちゃんなんだな、笑い方も上品だ――)


同じく貴族の家で育ちながらも貴族的な教育をまったく受けてこなかったノエルは、目の前の少年から漂う気品に感心しながらも、少年がしきりに辺りの様子を気にしている事に気がつく。


少年は、まだ大人達に見つからないか気にしているのだ。


「僕の秘密の場所だよ。うちの庭だけど、大人はこの場所にめったに来ないから安心して――」


そんなノエルの言葉に――少年は辺りの様子を確認すると、その肩からやっと力を抜いた。


たかが勉強を抜け出したぐらいで大げさな気もする。だが今までまったく勉強をしてきたことのなかったノエルにはその嫌さが分からない。


(逃げ出すほど嫌な貴族の勉強ってどんなだろう?)


そんな事に思いを馳せてみる――


しかし、それよりも何よりも――ノエルにはこの少年を見た瞬間から気になっていたことをまず問うてみなければならないのだ。


「ねぇ、一つ聞くけど……君って本当にエーデルの貴族なの?」


突然の質問に少年は目を大きく見開いた。


「どうしてそんなことを聞くんだ? 始めからこの場所はそういう場所だろ」


「だって……髪が黒いからさ」


少年は自分の髪に触れ、少しだけ首をかしげた。


「黒いから……?」


「うん。この辺り、金髪ばっかりだろ? 僕と同じ髪の色の子なんて、見たことなくてさ」


「それを言うなら、私だって初めてだ。こんなところで私と同じ黒髪の子に会うなんて思ってもみなかったぞ」


「じゃぁやっぱ君もエーデルの貴族なんだね――」


「まぁ……似たようなものだな……」


「良かった、僕はこの地区に住んでる黒髪は自分だけと思ってたんだ――」


ノエルは自分の髪をつまみながら言った。


「小さい頃さ、この黒い髪がだんだん金色になるんだって思ってたんだ。みんな金髪ばっかりだから」


「なるわけないじゃないか。私の髪が黒いのは、私の母が夏人だからだ」


「夏人……?」


「エーデルと夏人の間に子が生まれると、その髪は必ず黒くなるんだ」


ノエルは目を丸くした。


「じゃあ……もしかしたら僕の父親も夏人だったのかな」


少し驚いたようにノエルを見る少年。


「なんだ? お前は自分の父親を知らないのか?」


「僕はね、母さんの連れ子なんだ。今の父さんは……その、母さんが再婚した相手でさ、父さんと血はつながっていないんだ」


「気にしているのか?」


「少しね――でも、君がいたから安心したよ。」


「まぁ黒髪なんて珍しくないぞ。塀の外に出れば、金髪も黒髪も、両方たくさんいるんだから」


「もしかして君は塀の外に出たことがあるのかい?」


ノエルが身を乗り出すと、少年はわずかに言葉を詰まらせた。


「……ないけど、でも聞いた話だ。実際に見てきた者の話なんだから本当だぞ!」


「なんだよ、じゃあ、自分は出たことないのか……」


瞬間に曇ったノエルの表情。だが、それを見た少年はむっとしたように言う。


「仕方ないだろ。私だって……色々あるんだ。私だって本当は本だけじゃ無く直にこの目で見てこの国のことを知りたいのに――大人達は私が塀の外へ出ることを許さないんだ。今日だって――」


言いかけたところで、少年はふいに口をつぐんだ。その表情には、ノエルに向けられた怒りよりも思い通りにならない自分の境遇への苛立ちが滲んでいる。


しかし、少年の個人的事情など知る由もない。ノエルはその微妙な感情の変化には気づかなかった。

ただ、少年が“外へ出たい”と言ったことだけが、彼の心に刺さる。


次の瞬間、目の前の少年の表情とは裏腹に、ノエルはぱっと顔を明るくした。


「なぁ、君も塀の外へ出たいと思ってるのか?僕もさ……外に出てみたいんだ。どんな場所なのか、自分の目で見てみたい――」


思わぬ言葉に、少年はノエルの横顔をじっと見つめた。


「だから……一緒に出てみない?塀の外に」


そう言うとノエルは決心したように茂みの奥を指さした。


「実はさ……あそこに、誰も知らない隠し通路みたいなのがあるんだ」


「か、隠し通路?」


「うん。まだ全部は見てないけど、もしかしたら塀の外に出られるかもしれない。ずっと気になってたんだ」


「えっ?そんな場所……本当にあるの?」


「本当だよ。だから――今度、一緒に行ってみないか?」


少年は息を呑んだ。


それは彼にとってはまたとないチャンスであった。


迷いと期待が交差して、少年はしばらく黙っていた。


だがやがて――少年は意を決したようにその口を開く。


「……いいのか? 私なんかと」


「黒髪同士だろ。仲間じゃないか」


少年は驚いたように目を見開き、それからゆっくりと笑った。


「……わかった。約束だ」


ノエルは手を差し出し、少年はその手を握り返す。


そのとき――


「エデン様ー!! どこにいらっしゃるんですかー!!」


再び、大人達の声は聞こえてきた。少年は苦笑すると、静かに立ち上がり、茂みの外を気にしながら言った。


「……じゃあ、また来る。必ず」


ノエルも立ち上がり、少し照れたように笑った。


「俺の名前ノエル。よろしくな」


少年は静かに頷く。そして「私の名は――エデン――」そう彼が言い終わるやいなやノエルが肩をすくめて笑った。


「なぜ笑う?」


「だって、君の名前なら最初から知ってるから――。今もほら――」


その言葉に重なるように、外から必死な大人たちの声が響いた。


「エデン様ー!! どこにいらっしゃるんですかー!!」


「エデン様! お返事をー!!」


さっきまでの余裕ぶった呼びかけとは違う、切羽詰まった声。ノエルは思わず噴き出し、エデンは顔を赤くした。


「……行かなきゃ」


「うん。また来いよ、エデン」


エデンは小さく手を振り、茂みを抜けて走り去っていった。

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