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第26話 特級地区

 王の一言は――おそらく俺に向けられた言葉では無かったのだろう。それは若き国王としての威厳を伴ったはつらつとした声では無かったし、視界の端に捕らえる王の考え込むような仕草も国王としての威風堂々たる仕草とは少し違うように思えた。


 しかし――


その王の言葉が自らの内に向けられたものだったとしても――


なぜだろう――俺の心はその言葉に強く反応していた。


処刑を目前にし、違和感ありありの王の言葉すらほとんど頭の中を素通りしていったのに――そのほんの一言だけが、どういうわけか忘れかけていた俺の記憶と結びついてしまったのだ。


「ここまで言っても分かってくれないとは……」



今の王の声と言葉は――あの時あいつが言った言葉とそっくりでは無いか。


俺がまだ、あの特級地区と呼ばれた場所で暮らしていた時。俺は一人の少年と共にその城壁で囲まれたエーデルの貴族だけが暮らす特級地区を抜け出す計画を立てた。


そしてたかだか1日の脱出ではあったけれども、俺はその時初めて自分と同じ黒髪の人々が生活する本当の王都を知ったのだ。


そう。確かあの少年はエデンと言う名で、その髪はエーデルの貴族にしては珍しい俺と同じ黒色だった――



それは、ノエルがまだ少年だった時――



◇◆◇◆◇◆



セバスト邸の庭にそびえる一本の大木は、ノエルのお気に入りの場所だった。枝ぶりがよく、登れば屋敷の塀より少しだけ高い位置に出られる。


今日もノエルは、幹に手足をかけてするすると登っていった。


「……よいしょっと」


枝の上に腰を落ち着けると、ノエルは塀の向こうを覗き込んだ。


十年前の夏人達の反乱「王都炎上」以来、王城を囲むように築かれた巨大な城壁。その内側は、エーデルの貴族や高官たちが住まう“特級地区”と呼ばれる場所で、その分厚い門は衛兵によって厳重に管理されている。そのため、ノエルがいくら貴族の子供だからといって、大人の付き添いもないままに、簡単に出入りすることは出来なかった。


だからノエルは、こうして木に登ることで、少しでも外の景色を見ようとしていた。


――しかし。


「……ちぇっ。やっぱり見えないか」


塀の外を見渡すにはほんの少しだけ高さが足りない。


ノエルは仕方なく視線を塀の内側へと向けた。そして木の幹によりかかりながら、溜め息を一つついた。


(あ~あ、つまんないなぁ……)


特級地区の景色というのは、どこを見ても同じだった。


丁寧に刈り込まれた木々と、均一に揃えられた芝。庭の中央には真四角な噴水があって、その奥には立派な屋敷。直線的に整備された区画の一つ一つはとても美しく立派だが、どれも変わり映えしない。


ノエルは、未だ見たことのない塀の外に、いつも憧れていた。


ノエルの母アリシアは、十年前の反乱の夜、王城に避難したあと行方知れずとなっていた。しかし実際は――アリシアの幼馴染で王都の炎上から命がけでその身を救ったセバストによって、密かに匿われていたのである。


夫が反乱の首謀者であったため、一度は自ら命を絶とうとしたアリシア。


しかし当時身重だったアリシアはその事をセバストに諭されなんとか思いとどまることが出来た。


そして今ではその子供も10歳となり、今はセバストを親代わりとして何不自由のない暮らしをしている――



(……何か面白いことでも起こらないかな――)


などと、そんなことを考えていたときだった。


「――エデン様、そちらではありません!」


「おい、あちらにいらっしゃったぞ!」


複数の大人の声が、風に乗って届いた。


ノエルは身を乗り出した。


声のする方へ目を凝らすと、庭と庭のあいだを縫うように、小さな影が走っている。


少年だ。その後ろを、数人の役人が追っている。


しかし、切迫した様子はない。むしろ、慣れた調子だった。


「エデン様ー! 授業のお時間でございますよー!」

「どうかお戻りをー!」


(ああ……また皇太子様が逃げ出したのか)


ノエルは苦笑した。この特級地区に住む者なら誰でも知っている。皇太子エデンは、勉強が嫌いでよく屋敷を抜け出すのだ。


今日もその“いつもの逃走劇”が始まったらしい。


だが――


(あっ、そっちは……)


ノエルは思わず声を漏らした。


エデンは庭の角を曲がり、細い通路へ飛び込んだ。その先は袋小路だ。


役人たちは二手に分かれ、ゆっくりと道を塞ぎ始める。


「エデン様、そちらは行き止まりでございますよー!」

「戻ってきてくだされば、叱りはいたしませんから!」


(いや、絶対叱るだろ……)


ノエルは枝の上で足を揺らしながら、ハラハラとその様子を見守った。


エデンは建物の影に身を隠し、役人たちが通り過ぎるのを待つ。しかし、影から影へ移動するたびに、黒い髪がちらりと揺れた。


(……黒髪?)


ノエルは瞬きをした。


この特級地区で黒髪の子どもなど、まず見ない。黒髪は使用人か、夏国系の者に多い色だ。


まして――皇太子が黒髪であるはずがない。


(じゃあ……あれ、皇太子様じゃないんだ)


そう気づいた瞬間――


この地区で、自分と同じ髪の色の子を見るのが初めてだった彼は、途端に興味が湧いてきた。


(……会って話がしてみたい――)


他人から見れば大した理由ではなかったかもしれない。しかしノエルにとっては同じ髪の色をした少年が珍しくて――それだけで十分だった。


そのとき、役人の一人が少年の隠れ場所に気づいた。


「おい! そちらにいらっしゃったぞ!」


(やばい、見つかった!)


ノエルは枝の上で立ち上がる。考えるより先に、体が動いていた。


木から滑り降り、生け垣の隙間へ身をねじ込む。枝が服に引っかかったが、構わない。


外へ出ると、通りの角に身を潜めた。


ちょうどそのとき、エデンがこちらへ向かってくる。


ノエルは手を振った。


「こっちだよ!」


突然の声に、エデンがはっと顔を上げる。一瞬だけ迷うような目をしたが、すぐに足を向けてきた。


背後では役人たちの声。もう、捕まえたも同然とでも思っているのだろうか、その声は言葉よりも落ち着いている。


「エデン様ー! そちらは危のうございますよー!」


「どうかお戻りをー!」


いや、危なくはないだろ……ノエルは苦笑しながら、エデンの手を取った。


「追われてるんでしょ?」


「う、うん……!」


「じゃあ、こっち」


ノエルはエデンを生け垣の中へ引き込み、庭の奥へと走った。



 

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