菖蒲と尚武
申し訳ない気持ちはどこへやら。陽菜の好奇心に火がついた。
立場や上下関係など、そんなものはお構い無しだ。
陽菜は義経の袖を引っ張った。
「ねぇ、小鬼って……どんな? どんな感じなの?」
「えぇい、離せ」
義経は迷惑そうに陽菜の手を振り払う。上司という立場にありそうな鍾馗に、義経は目配せして差配を伺った。
鍾馗は胸の前で互いの指を組み、致し方ない……とでも言うように、天井を見上げながら目蓋を閉じる。クッと下唇を突き出し、髭に囲まれている口をへの字に曲げた。
「ワシが捕まえていた小鬼だ。気づいたら、いつの間にか居なくなっていた」
「鍾馗様が掴んでた、小鬼……?」
陽菜は、床の間に飾った掛け軸の絵を思い出す。祖母と話題に挙げていたから、記憶にも新しい。
描かれていた鍾馗の右手部分。掴んでいるモノの部分が、汚れてしまっていた。
あっ……と、声が漏れ出る。
「もしかして、私とおばあちゃんのせい? 今年の節句にと飾ったら、鍾馗様が掴んでる部分が汚れちゃってたの……」
小鬼は、掛け軸が汚れたから逃げ出せたのか、逃げたから汚れたようになってしまったのか。
「分からぬ。ただ、陽菜ちゃんや祖母殿のせいではない。逃がしてしまったのは、ワシの失態だ」
鍾馗は座卓に肘をつき、両手をガッチリ組む。己を罰するように、その手を何度も額に打ちつけた。
「鍾馗様! おやめください」
慌てて義経は駆け寄り、額を打つ鍾馗を止めに入る。
「今、全員で手分けをして捜しています。まだ、諦めてはなりません!」
励ます義経に、鍾馗は「いや……」と、否定の言葉を呟く。
「これだけ捜しても見つからんのであれば……もう、この家を抜け出してしまったかもしれんな」
「そんなことは……!」
なおも励まそうとする義経の言葉を遮るように、ガタンッと襖が鳴った。
「話は聞こえてましたぜ」
居間に入って来たのは、丸に金と刺繍されている赤い前掛けをつけた、おかっぱ頭の男の子。丸々と肉づきがよく、ふっくら張りのある頬に、富士山のような口元。キリリとした太眉に、三白眼の目が印象的だ。
前を見据えたままの男の子は、横に立つ陽菜の存在に気づいていないようで、鍾馗と義経に向かって自分の見解を語る。
「鍾馗様の推察どおり、この家を抜け出しちまった……その可能性が高ぇですよ。外のほうも見回ったけど、敷地内どこにも居ねぇわ。早急に配備する手筈にしたほうがいいぜ」
「金太郎殿……」
「金太郎?」
義経が呼んだ名前に、陽菜は反応せずにいられなかった。
ん? と、金太郎の視線が陽菜に向く。
陽菜を視界に収めた金太郎は、怪訝な表情を浮かべた。クイッと、立てた親指を陽菜に向ける。
「誰でぇ、この女の子は」
「金太郎。指差すのはやめなさい」
「おっと、いけねぇ。失礼したな」
鍾馗に諌められ、金太郎は手の平をパッと開き、悪気は無かったと意思表示した。
鍾馗は「よし」と頷き、金太郎から陽菜に視線を向ける。
「この子は陽菜ちゃん。コッチの世界に入り込んでしまった、この家の子だ」
「入り込んじまった?」
器用に片方の眉を上げた金太郎に、義経が答える。
「私と同じ装飾の兜を被っていた。おそらく、その拍子に来てしまったのだろう」
「はぁ〜? なんでまた、嬢ちゃんは兜を被ろうなんて思ったんでぇ」
金太郎に尋ねられても、出来心だったから、明確な理由は特に無い。取り繕ってもボロが出るから、素直に答えることにした。
「……なんとなく、被ってみたかったの」
陽菜の答えに、はぁ? と、金太郎は目を丸くする。
「なんじゃァそりゃ! 今の世じゃ、アッチの世界の兜は飾りなんだろぅ。しかも女の子だ。なに考えてんでぇ」
女なのに、というニュアンスの言い方が、陽菜の神経を逆撫でした。腹の底から、不快感が増幅していく。
女なのに、男なのに、そういう言い方をする場面は多々ある。けれど、今の金太郎の言葉には、反発したい気持ちが強くなっていった。
ムッとして、陽菜は金太郎に食ってかかる。
「女の子だから、兜を被っちゃダメなの?」
「当たり前ぇだ。鎧は大事な戦道具。穢れがあっちゃなんねぇ。禁忌だってあるんだ」
なにをバカな、と言わんばかりに、金太郎は目をひんむく。その顔を見て、陽菜の頭にはカッと血が上った。
「そんな考え、古い!」
「古かろうがなんだろうが、コッチじゃァそれが今も常識だぃ。端午の節句なんてぇのは、厄除け厄祓いの節句だ。飾り物や供え物は、祓うのに必要な装置なんでぇ。いくらこの家の子でも、勝手なことォしちゃなんねぇよ」
確固たる信念の元に言い返され、陽菜は怖じ気づく。
悔しくて、小さな声で言い返した。
「だって……私も、欲しかったんだもん」
ワガママなのは、重々承知。
胸中に渦巻く気持ちの持って行き場所が無く、どこかの誰かに、悶々とした気持ちをぶつけたかっただけなのだ。
陽菜の傍にやって来た義経が、悔しくて拳をギュッと握る陽菜の頭に、ポンと手を置いた。
「欲しかったって、なにが?」
「……お兄ちゃんは、桃の節句のときに天神人形が飾ってもらえるんだよ」
陽菜の目には、泣きたくないのに涙が込み上げてくる。
「なんで私は、端午の節句になにも飾ってもらえないの? 男の子の節句だから? だったら、なんで女の子の節句に、男のお兄ちゃんは天神人形を飾ってもらえてるのよ! 端午の節句が男の子の節句なんだから、桃の節句のときじゃなくて、天神人形も端午の節句のときに飾るようにしたらいいじゃない」
不満たらたらな陽菜に、義経は穏やかな声音で問いかけた。
「不満は、それだけか?」
「そうだよ……お兄ちゃんだけ、ズルいんだよ」
兄が嫌いなわけじゃないけれど、原因を兄のせいにしたかった。そうしないと、自分が守れそうになかったから。
義経は陽菜の正面に屈み、ギュッと握り締めている左右の拳それぞれに手を添えると、涙が溢れそうな陽菜の目を覗き込んだ。
「いいかい、陽菜。端午の節句に、男児に向けた飾りが多いのは、武家社会の名残りだ」
「武家社会って、お侍さん? チョンマゲの、江戸時代……だっけ?」
少ない知識を絞り出した陽菜に、義経は「そうだ」と笑みを浮かべて頷く。
「端午の節句の甲冑飾りは、元を辿ると宮中の行事になる。厄除けのために菖蒲を飾り、皇族や臣下達にはヨモギを始めとするの薬草を配っていた。そして病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治するべく、邪気祓いのために行われていたのが、馬から弓を射る儀式なんかの武技だ。それが民間へと伝わっていく過程で、武具を飾る習慣へと変化した」
「男の子は、関係無かったの?」
陽菜の目から、堪えきれなくなった涙がポロリと零れる。
そうだよ、と答えた義経は、陽菜の頬に残る涙の筋を手の平で拭った。
「一番変化したのは、私が生きていた鎌倉から、陽菜の言う江戸時代の頃。菖蒲が、発音を同じとする尚武と捉えられ、端午の節句を菖蒲の節句として、武家が盛んに祝うようになったのだ」
「だから、女の子はダメなの?」
陽菜の声が震え、また涙が零れそうになる。
「ダメというわけではない。ただ、歴史がそう語っている。習慣であり、伝統だ」
「そんな伝統、今の時代に合わないよ!」
「陽菜ちゃん、よくお聞き」
陽菜が声を荒らげると、黙って聞いていた鍾馗が口を開いた。
「端午の節句も、平安の世から変化して、今の形になっている。受け継ぐことも大事だ。だが、時代と共に変わっていくのもありだと思う。今では、端午の節句をこどもの日と言うのであろう? ならば、陽菜ちゃんも子供だ。陽菜ちゃんも含まれている。端午の節句に、家に親族から贈られて飾られる品は、伝統のとおり男児に向けたものばかりであろう。だが、イベントとして楽しむがよい。日の本の民は、イベントとして取り込むことに長けているからな。ずっと昔からは、ワシの母国である唐の国の文化。最近では、ハロウィンと言ったか。あれも違う宗教の大事な祭だ。それに、海外の風習に乗っかり、製菓会社が作り出したイベントもあったな……ば、ば……」
「バレンタイン?」
陽菜が助け舟を出せば、鍾馗は「そう、それだ!」と嬉しそうに目を細める。
「バレンタイン。バレンタインだよ。んで……とにかく、この国の民は、そういうのが上手いのだ。取り込んで、対立せずに融合させる。だから節句として祝うことを大事にしながら、イベントとしても楽しむのだ。男児も女児も一緒になって、紙を折りながら兜飾りを作り、ハサミやノリを使って鯉幟を作る。そんなふうに、作って楽しむ。楽しみは、作り出してよいのだ」
「楽しみを……作る?」
問い返した陽菜に、鍾馗は頷く。
「陰気でなく、陽気であれ。さすれば、本来の意味らしく、邪気も祓うことができよう」
「そうだぜ、陽菜。どんちゃん騒ぎゃァ、憂いも晴れらぁ」
楽しくいこうぜ! と、金太郎はニカッと白い歯を見せて笑う。義経も、そうだぞ、と陽菜の手をギュッと握ってくれた。
「それに、この時期に飾ってくれるから、私達もコッチの世界から守り助けることができるのだ」
「義経さん……」
会ったばかりの頃はツンケンしていたのに、今は優しさに溢れている。
義経に感謝の言葉を伝えようと、陽菜は口を開く。
すると襖の向こうから、ドカドカと廊下を歩く足音が近づいて来た。
「鍾馗様、義経様、金太郎様! 急ぎ、北東の空をご覧ください」
部下らしき人からの報告を受け、鍾馗と義経、金太郎の三人は居間を飛び出して縁側に向かう。
障子を開け、カーテンを開き、ガラス窓を開けて素足のまま外に飛び出した。陽菜も一緒になって空を見上げれば、モヤがかかった暗く黒い集まりが見える。
雨雲ではない。半紙に墨を霧吹きで吹きかけたような黒。禍々しい雰囲気を醸し出している。
チッと、義経の舌打ちが聞こえた。金太郎は手の平にパンッと拳を打ちつけ、ニッと楽しそうに片方の口角を上げている。
「ヤツめ……引き連れて来おったわ」
鍾馗は刀の鞘を掴み、柄に手をかけると、ゆっくり刀身を引き抜いた。
軸に描かれていた小鬼が、暗く黒い瘴気と共に戻ってきたのだ。
見上げていた陽菜はバランスを崩し、尻もちをつく。
まるで百鬼夜行のように、小鬼を筆頭とした禍々しいモノ達が迫り来る。
陽菜は改めて、とんでもないときに来てしまったと、少しだけ……いや、かなり後悔した。




