武将と神様
仏間の出入口である襖を開き、甲冑を身につけた男は陽菜に鋭い眼差しを向けていた。
陽菜は硬直してしまい、動くことができない。源義経公モデルの兜を被ったまま、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
男の眉間にシワがよる。
「それは私の兜ではないか! なぜ、お前が被っている」
男は陽菜の元へズンズン歩み寄ると、兜を支えている陽菜の手首を掴んだ。
「痛っ!」
陽菜の細い手首が、ミシミシと悲鳴を上げる。強い力で強引に兜から手を離されると、瞬く間に兜を奪われた。
男は兜に視線を落とし、違う……と呟く。
「これは、私の兜ではない。装飾は同じだが、大きさが違っている」
それに……と、男は陽菜を頭の先から足先まで観察する。
「なんだ? その格好は」
「えっ、なにが?」
今日の陽菜の服装は、薄手の長袖にキュロットパンツ。そして素足という、なんの変哲もない普段着だ。
陽菜にしてみれば、甲冑を身につけている男の服装のほうが、なんだそれ? で、しかも家の中に上がり込んでいる不審者ある。
陽菜と視線を合わせるために男が畳に膝をつけば、ガシャガシャと甲冑の擦れ合う音がした。
「髪型も、なんだそれは」
鎖骨の辺りまで長さがある髪は、なんの変哲もない二つ結びにしている。奇想天外、奇抜な髪型ではないし、なんだそれは、と言われる筋合いも無い。
男の表情が険しくなる。
「まるで、アッチの世界の住人ではないか」
アッチの世界、という言葉に、陽菜は大きく反応した。
「アッチの世界って、アッチの世界? コッチって、コッチの世界なの?」
アッチだのコッチだの言っていて、自分でもこんがらがってきた。
ただ確かなことは、陽菜はまた、タイミングが合って入り込んでしまったということだ。
「また、コッチに来ちゃったんだ……」
ということは……この場所は、陽菜の家であって陽菜の家ではない。
どうしよう、という不安もあるが、またツクヨミやセツに会えるかもしれないという期待が膨らんでいく。
家を出て、セツに案内してもらった道を思い出しながら辿れば、あの朽ちた鳥居がある山に辿り着けるかもしれない。そんな淡い期待を胸に抱く。
「チッ。まったく、こんなときに……」
面倒臭いという感情を隠さない男の舌打ちと呟きに、陽菜は自分の置かれている状況を思い出した。
そもそも、この男は誰なんだろう。陽菜が手にしていた源義経公モデルの兜を見て、私の兜、と言っていた。と、いうことは……。
「源……義経さん?」
おずおずと名を問えば、男は頭を抱えていた手を膝の上に置き、怪訝な表情を浮かべた。
「いかにも。それがどうした」
甲冑の男ーー義経は、今さらなんだ? というように、眉間に刻まれたシワを深くする。警戒心を強める義経とは対照的に、陽菜はパッと笑みを浮かべた。
「わー! 凄い、本物だ! っえ? 本物? 本物でいいの?」
コッチの世界に存在している義経を本物だと喜んでいいのか、陽菜はこんがらがってくる。
「なにを言っておるのか分からぬが、偽物なわけがあるか。正真正銘、私は源義経だ」
義経は立ち上がり、陽菜が被っていた兜を小脇に抱えると、なにも無い空間に目をこらす。
「ダメだ。閉じてしまっている」
苛立たしげにワシャワシャと頭を搔き、クソッと毒吐いてから、諦めたように溜め息を漏らした。
「おい、名は?」
「な?」
義経は陽菜をピッと指差す。
「名前。名前だよ。名はなんと言うんだ」
「陽菜だよ」
「陽菜か……。よし、聞き分けよくするんだぞ。いいな?」
念を押し、睨むような義経の目が陽菜に向けられる。色素が薄いのか、瞳の色は鳶色だ。
言葉も無く見詰めていると、諾と受け取ったのか、義経は陽菜の返事を待たずに立ち上がった。
「悪いが、お前の対応は後回しにさせてもらう。今、陽菜に時間を割く余裕が無い」
踵を返し、義経は部屋を出ていこうとする。どうすればいいか、陽菜が判断に迷っていると、義経は肩越しに振り向いた。
「着いて来い」
ひと言告げると、颯爽と歩き始める。陽菜は置いて行かれないように、小走りになってあとを追いかけた。
進む廊下は、陽菜の家と変わりがない。床の模様も壁の模様も、まったく同じだ。
居間にあたる部屋の襖を開けると、義経は中に入るよう、陽菜を促した。
「おぅ、義経。ん? 誰か連れて来たのか」
部屋の中から、バリトンボイスがする。
「アッチの世界から迷い込んだ子供です。手が離せないので、連れてきました」
義経は脇に寄り、陽菜に「入れ」と、顎で示す。おずおずと敷居をまたぎ、居間に足を踏み入れれば、見たことのある人物が座っていた。
顔の半分を覆っている、ボーボーの長い髭。ゲジゲジの眉毛に、ギョロリとした丸い大きな目。官人の黒い服。
「鍾馗だ……」
「コラッ」
陽菜がポツリと呟くと、軽く義経に諌められる。
「様をつけろ。鍾馗様、だ」
「あ……えっと、鍾馗……様」
祖母が、鍾馗は神様だと話していたことを思い出す。
神様に対して失礼になってしまったかしらと、恐るおそる鍾馗の様子と機嫌を伺う。
床の間の軸に描かれていたまんまの鍾馗が、陽菜のことを観察するように、陽菜のほうを向いている。
「あぁ、この家の子だな。チマキと柏餅をありがとう」
ニコリと、鍾馗の目が笑う。
「え! チマキと柏餅って……さっき、おばあちゃんと一緒にお供えしたヤツ?」
「ちょうど小腹が空いたのでな、いただいたよ。美味しかった」
「えへへ、よかった!」
一生懸命作ったから、美味しかったという言葉がとても嬉しい。
「さて」と、鍾馗の表情が真剣味を帯び、ギョロリとした目は義経に向けられる。
「どうだった?」
義経は唇を引き結び、いえ……と、頭を横に振った。
「いまだ、足取りが掴めず」
「チッ。やはり、隙を突かれたか」
鍾馗は拳で膝を叩き、悔しそうに目をきつく閉じる。
陽菜は、本当に厄介なときに現れてしまったようだ。沈鬱な空気に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
それでも、なにが起きているのか把握しておきたくて、近くに居る義経に問いかけた。
「なにがあったの?」
義経はワシャワシャと頭を搔き、気まずそうに視線を泳がせると、自分を守るように両腕を組んだ。
「ーーたんだよ……」
上手く聞き取れず、え? っと問い返す。
「逃げたんだよ。小鬼が」
「小鬼ぃ?」
驚きに、陽菜の声は大きくなった。
義経はバツが悪そうに、片手で顔を隠して項垂れる。鍾馗のほうはと顔を向ければ、背後にテヘッという文字が見えそうな、茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべていた。




