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ないまぜの今

 天神人形と同じく、自由に動いている清少納言と呼ばれた女性は、檜扇で隠していない目を細め、陽菜に親しげな視線を送った。


「こんにちは、陽菜ちゃん」

「こ、こんにちは……」


 返事をするも、勝手に次々と動き出す人形達に、戸惑いを隠せない。

 いったい、なにが起こっているのだろう。

 今まで、飾っていた雛人形が勝手に動き出すなんてことはなかった。

 しかも清少納言は、手の平に乗る人形サイズから、大人サイズになっているのだ。


(夢でも見てるのかな?)


 みんながそうか分からないけれど……陽菜の場合、夢の中で、これは夢だと察する瞬間がある。

 でも、今はどちらなのか分からないでいた。

 画用紙が落ちた瞬間に寝落ちてしまったのか、現実が続いているのか。夢と(うつつ)が混じり合い、ひどく曖昧になっている状態なのか。

 昨年の秋に出会ったセツやツクヨミと過ごした時間は、夢や幻じゃなかった。今年の正月に大年神や御年神と話したことも、現実の出来事だった。

 ウサギの精や神様が本当に居たのだから、人形に魂が宿り、勝手に動き出してしまうこともあるかもしれない。

 そんな非常識をすんなり受け入れてしまえるくらいには、陽菜の常識的な感覚は、少しズレ始めてしまっている。

 人形が勝手に動くという非現実を……そういうこともあるだろう、と受け入れてしまっているのだ。


(夢でも現実でも、どっちでもいいや)


 天神人形と、雛壇に立っていた清少納言が、陽菜の目の前に居て会話をしている。

 これが陽菜にとっての、今の現実なのだ。


「天神様との話は聞いていた。陽菜ちゃんは、勉強のなにが心配なのじゃ?」


 清少納言は問いかけながら、陽菜の隣に腰を下ろす。

 裾が広がり、動きに合わせて黒髪が揺れる。檜扇で目から下を隠す清少納言は、平安絵巻に描かれている女性そのものだった。

 天神人形の視線から隠すように檜扇を掲げ、陽菜にだけ素顔を見せる。

 ニコリと笑む口元と細められた目が、モデルが浮かべる微笑のようだ。


(平安時代の美人の顔は、お多福の顔らしいけど、全然そんなことないわ)


 イラストや面のお多福と、目の前で微笑む清少納言を一緒にしてはいけない。むしろ一緒にしては失礼だ。

 陽菜が見惚れていると、清少納言がわずかに小首を傾げる。


「いかがした? 勉強のなにが不安なのか、思い浮かばぬか?」

「あ、えっと……」


 清少納言に問われ、陽菜は自分の中に答えを探す。

 勉強のなにが不安なのか。なにを不安に思っているのか。

 陽菜は指をモジモジさせ、上目遣いに清少納言の様子を伺った。

 清少納言は陽菜の答えを待ってくれている。急かすような素振りも無く、穏やかに。

 陽菜は、胸の内をポツリポツリと語り始める。


「勉強ね、できないと……嫌じゃない?」

「嫌?」

「うん……。できないって、かっこ悪いよね」


 勉強が不安なことの、具体的になにが、という部分は思い浮かばなかった。

 ただ、イメージが先行してしまっているのだと自覚する。


「みんなが理解してるのに、私だけ分からなかったらどうしよう。かっこ悪いなって、思っちゃうの」

「できないは、かっこ悪い……か」


 なるほどねぇ、と呟きながら、清少納言は檜扇を顔の前に戻した。

 伏し目がちになるとしばらく沈黙し、陽菜への返答を考えている。

 ジッと見詰めていたけれど目が乾き、堪えきれずに瞬きをすると、筆で描かれた黒い瞳が陽菜に向けられた。


「勉強は、環境だと思うのじゃ」

「……環境?」


 どういうことだろう。

 静かな部屋とか、塾に通うとか、そういうことだろうか。


(わらわ)の日常には、学問があった」

「ん? 日常に勉強があるのは、普通じゃないの?」

「我らの時代には、普通ではないのだ」


 清少納言に向けた問いだったのに、天神人形が答える。

 陽菜の対角に胡座を掻き、台座に座っていたときと同じ姿勢をとる。

 清少納言は、わずかに膝を陽菜のほうに向けた。


「妾の時代は、女子が学問をするというのは、褒められたことではなかったのじゃ。学問は男のするもの。女は和歌を詠み、手習いをし、筝を奏でる。けれど妾は、男と同じく漢文が読め、学問ができることを誇らしく思うておった。その才能を隠そうとせず、むしろ女子でもできるのだと、ひけらかしてみせたのじゃ」


 学問ができる女性の素晴らしさが、今の感覚と違いすぎて、陽菜にはピンとこない。だから、共感もできなかった。


「妾の場合、妾が学問をすることに家族が寛容だったのじゃ。むしろ、誇らしく思うてくれた。そのおかげで、宮中に入ることができたのじゃからな」

「宮中に入る?」

「今で言うところの、いい会社に就職できた、というところだ」


 天神人形の補足を聞き、なるほど……と、陽菜は頷く。


「清少納言さんは、キャリアウーマンだったんだ……」


 清少納言は、驚いたように目を丸くする。パチパチと目を瞬かせ、陽菜を注視した。


「ふふっ、あはっ、あはは! キャリアウーマン! それはカッコイイのぅ」

「えっ、違う?」

「いやぁ、そのようなもんじゃ」


 天神人形も声を押し殺し、肩を震わせて「くくくっ」と笑っている。

 しばらく待っても、笑いが治まらないようだ。目に涙を浮かべながら、天神人形は陽菜に問いかけた。


「そのキャリアウーマンの代表作は、枕草子だ。陽菜は、枕草子という書物を知っているか?」


 陽菜は初めて耳にする本のタイトルに、フルフルと頭を横に振る。


「妾の書いた随筆じゃ。今の世まで、ずっと読み継がれてきておる。それはそうじゃ。なんせ、妾の感性が詰まっておる至極の作品じゃからの」

「随筆ってなに?」


 陽菜の質問に、やっと笑いが治まった天神人形が答えた。


「日記とは違い、日々感じていることを大衆向けに書き記してある書物だ。春はあけぼの……このときの春は、今の時代で言う冬だが……冬は朝日が昇る頃がステキとか、そういう個人の感性が記されている」


 陽菜が持っている知識の中で、随筆に該当するものはひとつしかない。


「随筆って、コラムみたいなものかな? 清少納言さんはキャリアウーマンじゃなくて、コラムニストなのね」

「ふふふ、コラムニストか。それは大層な肩書きじゃ。嫌いではない。今度から、そう名乗ることにしよう」


 清少納言も、コラムニストという響きが気に入ったらしく、満更ではないようだ。


「清少納言がコラムニストか。ならばやはり、紫式部は小説家という肩書きになるのであろうな」


 得心したように、天神人形は膝をポンと叩く。清少納言は、そんな天神人形に冷ややかな眼差しを向けた。


「まぁ、嫌だ。あの女の名を口になさるとは、気分を害するというものじゃ」

「それは、妾も同じこと」


 新たに加わった女性の声。

 見上げると、檜扇で顔を隠した女性が、清少納言の背後に佇んでいた。

 おや、と天神人形が親しげな表情を浮かべる。


「紫式部。そなたも来れたのか」


 紫式部と呼ばれた女性は目を細め、ええ、と天神人形に穏やかな声音で答えた。そして、清少納言には嫌悪の眼差しを向ける。


「学問ができることをひけらかすのは下品であると、陽菜ちゃんに伝えなければと思いまして」


 清少納言と紫式部の間で、見えない火花がバチバチと散っていた。

 陽菜は、それとなく七段飾りを盗み見る。


(あ、やっぱり……)


 案の定、また雛壇の三人官女が一人減っていた。向かって右側に立っていた一人が居ない。

 雛壇には、もう中央に座っている一人しか残っていなかった。

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