思いやり
祖母は「よいしょ」という掛け声と共に、襖を一気に閉める。
開けるときにコツを掴んだのか、閉めるときは一度も引っかからなかった。
「早く閉めないと、陽菜ちゃんがストーブで温めた空気が出てっちゃうからね」
ニコリと笑う祖母の目尻には、クシャッと笑いジワができる。祖母の優しさや人柄の穏やかさが表れているようで、陽菜はこの笑いジワが好きだった。
祖母が隣に座ると、陽菜は祖母が持ってきた折敷の中を覗き込む。
折敷には、黒豆、かまぼこ、田作り、昆布巻き、紅白なます、数の子とエビが盛りつけてあった。
どれも正月のために、祖母と母が用意していた料理だ。
「お供えするの?」
「そうだよ。自分達が食べる前に、神さんにお供えしないとね」
祖母は仏壇にも、いつも炊きたてのご飯を一番最初に供えている。そのときは「自分達が食べる前に、先祖さんにお供えしないとね」と言っていた。
神様や先祖ファーストという精神は、陽菜も受け継いでいきたい部分だ。
「いいかい、陽菜ちゃん。人間が食べる正月の料理を神様が食べるんじゃないよ。神様のために用意した正月の料理を人間がお相伴させていただくんだからね」
「お相伴?」
「一緒に食べさせてもらう、ってこと」
「ふーん……」
陽菜に説明をしながら、祖母は床の間に置いてある御札立ての前に折敷を置く。
御札立ての中には、氏神さんが祀られている神社の御神札と、天照大御神の御神札、それから縁結びで有名な神社の御神札が入っていた。
祖母に気づかれないように、チラリと大年神と御年神の様子を伺えば、あぁ……と折敷を目で追っている。
二柱の様子から察するに、口の中はヨダレが垂れる寸前になっているんじゃないだろうか。
パンパンッと、祖母の柏手を打つ音が室内に響く。
目蓋を閉じている祖母は、どうぞ召し上がってください、と心のなかで神様達に語りかけているのかもしれない。
陽菜も、祖母に倣って柏手を打つ。目を閉じて、心の中で語りかける。
(おばあちゃんとお母さんが、一生懸命作っていたお料理です。美味しいよ。食べてください)
目蓋を持ち上げると、祖母がニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「いい子だねぇ。おばあちゃんは、陽菜ちゃんが手を合わせてくれる子に育ってくれて嬉しいよ」
「そうかな? こんなん、普通だよ」
少し照れ臭くて、生意気な対応をしてしまう。
なぜなら、陽菜はただ、祖母の真似をしているだけなのだから。陽菜よりも、褒められるべきは、その姿を見せ続けている祖母のほうだ。
「さて……陽菜ちゃんもね、もうすぐご飯だから、食べにおいでよ」
「はーい」
ヨシヨシと陽菜の頭を撫で、祖母は「よっこらしょー」という掛け声と共に立ち上がる。ガタガタと音を立てて襖を開け、廊下に出ると後ろ手に襖を閉めた。
室内が陽菜だけになると、大年神が口を開く。
「陽菜ちゃんのおばあちゃんは、いつも大事にしてくれているのぅ」
「こうして毎年きちんと迎えてくれているから、食うに困らぬよう助けてやらねばと、気が引き締まるな」
食うに困らぬようにとは、どういう意味だろう。
陽菜が不思議そうにしていると、大年神が説明をしてくれた。
「大年神であるワシは、穀物も司る神じゃ。陽菜ちゃんの家は、田で米を作り、畑で作物を育てておるじゃろう? それらをな、食うに困らぬ程度には育つようにしてやらねば……という意味じゃ」
たしかに、田んぼや畑の数は少ないけれど、一年間食べられるだけの量は米が採れ、季節の野菜が畑では採れる。
食卓に並ぶのは、ほとんどどれも、祖母が手塩にかけて育てている米や野菜だ。
収穫するときには決まって「無事に育ってよかった」「ありがとうございます」と、毎回なにかに感謝をしていたけれど……祖母はそれが、大年神のおかげであると知っていたからなのかもしれない。
「だから、おばあちゃんは……お正月に、ちゃんと大年神様と御年神様のことを料理でおもてなししてたんだね」
御年神がフッと笑みを浮かべる。
「律儀よな。こういう感謝の心には、精一杯応えていこうと思える」
「そうじゃの。ワシ等は信じてもらえてこそ、より力が発揮できるのじゃ」
大年神が「ほっほ」と笑いながら、長い髭を撫でた。
「いいかい、陽菜ちゃん。ワシ等は願いの強さが力に変わるのじゃ」
「そうなんだ! だったら、一生懸命お願いしよっと!」
全力で、上手くいってほしいことや、叶えてほしいことを神頼みするのだ。頼むだけで助けてもらえるなら、なんて楽なんだろう。
大年神は、ウフフと笑う陽菜を軽く諌める。
「こらこら、願うばかりではダメじゃ」
「そう。まずは自分が頑張ることだ。ワシ等がしてあげられることは、あと少し足りないときに、ほんのちょっと背中を押してやるくらいだからな」
大年神と御年神に注意され、なぁんだ……と、陽菜は肩を落とす。
やはり、自分で努力せずに、いいとこ取りだけはできないようだ。他力本願で楽はできない。人生って、そんなもんだよね……と、陽菜は妙に達観した気持ちになる。
「じゃあ、できるところまでは自分で頑張るようにするよ」
「ほっほ、いい子じゃ」
シュンとする陽菜を見て、大年神は楽しそうに笑う。それならば、と御年神がひとつ提案をしてきた。
「なにか抱負はあるのか? せっかくの新年だ。この御年神と大年神が聞いてやろうぞ」
陽菜は「え〜?」と、眉根を寄せる。
「抱負? って、目標でいいの?」
「まぁ、そうだな」
「陽菜ちゃんは、今年をどんな年にしたいんじゃ?」
「今年……?」
今年は、三月に卒園式。四月には小学校の入学式を迎える。
ランドセルは好きな色の物を買ってもらったし、文房具も好きなキャラクターの物を買ってもらう予定だ。
学校に通うまでの道のりは子供の足で三十分くらいかかるけれど、最初は同じ地区の子達と集団で行くから、あまり不安は感じていない。
初めての学校生活で気になることは、ふたつ。
「えっとね……四月から、小学生なの。勉強、ちゃんとできるかな? 友達、たくさんできるかな?」
仲良くなってしまえば大丈夫なのだが、その人に慣れるまで、緊張が勝ってしまい上手く会話を続けることができない。どちらかといえば、友達付き合いには苦手意識がある。
打ち解けるまでに時間がかかってしまうのが、陽菜の悩みだった。
ほっほ、と大年神の笑う声がする。
「人は、一人ひとり個性があるからの。性格が合う合わないは、どうしても出てきてしまう。多くの友ができることも大事じゃが、気の合う仲間が数人というのも楽しいものじゃよ」
「そうそう、クラスの全員と仲良くならずともよい。八方美人と言われようが、誰とでも適度な距離感で、当たり障りなく過ごしているほうが、案外気が楽だったりするぞ」
「でも、グループに分かれちゃうんだよ」
今でもそうだ。仲のいい子達で、グループができている。
入学してすぐに、どこかのグループに所属できなかったら、孤独な学校生活になってしまう。それは、とても怖い。どうしても避けたい事態だ。
「そうじゃなぁ。集団に所属していると、安心感は得られるの。そこに組みしていて、陽菜ちゃんが楽しく過ごせるなら、それは幸せなことじゃ。グループ内で、波風を立てぬこと、協調を学ぶことも大事であろうの」
大年神は長い髭を撫でながら、じゃがなぁ、と優しい眼差しを陽菜に向けた。
「肩肘張らずに、陽菜ちゃんが人生を楽しめることが一番じゃ。そのグループに所属していて苦しくなったとき、そのときは、抜けることも勇気じゃ。心がボロボロに疲れてしまう前に、自分を守ることが大事じゃよ」
そうだ、と御年神も大年神に同調する。
「捨てる神あれば拾う神あり。違うグループの仲間に入れてもらい、見識が広がる可能性もある。ひとつにこだわり、固執してはダメだ。もし、たとえ一人になってしまうことがあろうと、ワシ等という存在を陽菜ちゃんは知っている。この家を訪れるワシ等は、陽菜ちゃんの味方だ」
「そうじゃぁ。ワシ等の姿が見えなくなろうとも、夜空を見上げれば月がある。ツクヨミ様も、陽菜ちゃんのことを知っておるのじゃろ? だったら、月を見て語りかけよ。もしかしたら、応えてくれるやもしれぬ。孤独ではないと、覚えておくのじゃぞ」
大年神と御年神の励ましに、陽菜は嬉しさが込み上げてきた。
神様が味方と思えるだけで、特別な感じがする。不安なときは頼ってもいいのだと、寄りどころを与えてもらえた気分だ。
「うん、ありがとう……ございます」
ホワホワとした幸せな気分に浸っていると、バンッ! と勢いよく襖が開き、母の怒声が飛び込んできた。
「陽菜! アンタさっきから呼んでるのに、聞こえないの? ご飯だよ! まったく……正月早々、怒らせないでちょうだい。お母さんだって、心穏やかに過ごしたいんだから」
「あ、ごめん。今行くよ」
大年神と御年神に「行ってくる」と告げようと思い、鏡餅の橙の上に目を向ける。
しかしそこには、もう二柱のおじいちゃん神様は居ない。大年神と御年神の姿は、見えなくなってしまっていた。
読んでくださり、ありがとうございます。
これにて、お正月編終了です。
更新時期が、ちょうど正月時期と重なりました(笑)
次からは、桃の節句。ひな祭り編の予定です。
どうぞ、お付き合いください。




