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蜘蛛の塔  作者: シュリ
Truth

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32/43

第三十二話 手記 八

 冷たい月がぼうっと浮かんだ夜のことである。武装して魔の森周辺を固めた兵たちの間に恐ろしい噂話が囁かれていた。

「こんな風に暗い、寒々しい夜中の話だぜ。俺の先輩の先輩の同僚の先輩が交代でここの見張りに着いたんだ。ただでさえ不気味で、仕事でなけりゃけっして近づこうとも思わねえ森だが、その日はやけに生暖かい風がびゅうと吹き込んできて、この世のものとも思えないようなおっかねえ叫び声が風に乗って聞こえてきたんだと……」

「お、おっかねえ声だって?」

「ああ、それはもう、身の毛のよだつような、恐ろしい化け物がうなり声を上げたような、それとも誰かが恐怖に冒されて泣き叫ぶような得体の知れねえ声だったと言うぜ……」

「ひえっ。そりゃ、やっぱり、魔女の仕業なのか」

「間違いねえだろうな。こんな森深くに閉じこもってる陰惨な魔女だ、人目に隠れてどんなおどろおどろしいことをやっているか知れねえ」

「おお俺、なんだか、妙な寒気がしてきたぞ……」

「本当に恐ろしい奴だ、領主様のご判断は全く正しいと思うぜ。いつかどこかであの魔女をくたばらせた方が人間のためになるってもんだ」

 ざあ。湿った風が二人の頬を舐める。兵たちはおっかなびっくり森の方を見、ぶるると震えた。

「まあ、あれだよな、とにかく魔女にはくたばってほしいが、俺の見張りでは遭遇したくねえもんだぜ」

「お、俺もだぞ」

 ざ、ざ、ざ。

 ふいに背後で草をかき分ける音がして、二人の全身が瞬時に縮み上がった。慌てて振り返れば、陰鬱な森の闇の中に、ぼうっと浮かび上がる真白の女の姿がある。

「うわあああああっ」

 二人はどちらともなく一斉に叫び、無我夢中で緊急灯に飛びついた。赤々と燃える火が夜空に向かってはじけ飛ぶ。

「捕らえろおおおおお」

 二人の兵は足元のひもを遮二無二引いた。

 太く固いひもが土煙を上げて地を走る。途端に足元を掬われ、ばたりと地に伏せた魔女めがけて網が覆い被さり、その細い身体を絡め取った。

 思わず尻餅をつき、はあはあと荒い息を繰り返す二人の向こうから、がしゃがしゃと鎧の足音が迫る。

「魔女が出たのかっ」

 立派な口ひげを蓄えた男の声に、二人の兵はみっともなく腰を抜かした格好で、がたがた震えながら目の前を指さした。

 森の入り口に、網に絡まった女が倒れている。振り乱した髪も地に投げ出された手足も、全てが蝋細工のように白い。その姿を確認して、口ひげの兵長はうなった。

「これはまさしく奴だ。よし……すぐに領主様に知らせろ」

 兵長の合図で背後に待機していた兵たちが一斉に動き出す。その間、捕らえた魔女に剣の切っ先を突きつけ、わずかでも怪しい動きがないか、鷹のような鋭い目で睨めつけた。

「魔女よ、動くなよ。それとも、おまえの妖しい力でその罠を抜け出すことができるのか?」

 女はぴくりとも動かない。顔を地に伏せたまま沈黙している。

 やがて遠く馬の蹄の音が響き、大勢の兵を引き連れた領主の男が到着した。

 男が馬を降りて、一歩、また一歩と魔女に近づく。その両脇には槍を構えた兵がぴたりとついている。

 男は立ち止まり、足元に転がる魔女を見下ろした。

「おい」

 低い声で呼ばれて、魔女は初めて顔を上げた。額からはらはらと土埃を落とし、瞳孔の判別できない白い瞳で男をじっと見上げている。

「やっと、来てくれたのね」

 その声は、責めるでもなく、縋るでもなく、柔らかな優しさを滲ませていた。

「ずいぶん待ったわ。あなたと約束してからずっと。もう、忘れられているかと思ってた」

「約束なぞした覚えはない」

 男は冷たく一蹴した。

「おまえは魔女だ。これまで幾多の人間がおまえを殺そうと画策し、そのたびにおまえは生きた。だが今度こそ、私が確実におまえの生命を絶ってやる」

「ひどい人ね」

 言いながら、それでも女の白い口端には儚い笑みが浮かんでいる。

「私、あなたに何かした? むしろ助けてあげたじゃない。あなたの領地が侵されたとき、私は私のお友達に頼んで、手を貸してもらったのよ……」

「そうだな。おまえの力を目の当たりにして、ますます確信を抱いたよ。その力は我々人間にとって脅威となる。今でも、森の奥で魔女が棲んでいる、ただそれだけで、我が民は怯えた暮らしを強いられているのだ」

「あなた方を脅かすつもりはないわ」

「今は、な。だが、未知の力を持て余す魔女よ、おまえにその気が起こらぬと如何に確信を持って言えようか。私は、我が民の安寧のためにもおまえを殺す」

 男の目が爛々と殺気立っている。魔女は諦めたように嘆息した。淡雪のかけらのような白い睫がそっと伏せられ、目尻に薄い影を落とす。

「領主様。私が何も考えず、ただのこのこと人里へ下りたとお思いですか」

「なんだと」

「私を殺せば、貴方のみならず、領民たちにまで厄災が降りかかりますよ」

 男の眉がぴくりとつり上がる。尻餅をついた二人の兵の、ひっと息を呑む音が聞こえた。

「……ほう。厄災だと」

「そもそも、この魔女の身体を殺害する方法はありません。これは私を幾度も処刑してきた歴史が刻む事実。……しかし万が一、人の手によって私の命が潰えるようなことがあれば、手をかけた者とそれを取り囲む全ての命に災いが降りかかるでしょう」

 魔女の白い唇が淡々と語りかける。

「嘘だとお考えなら、どうぞひと思いに。ただし、それで町が滅びたとき、貴方がどう責任をお取りになるのか、この目で見られないのがひどく残念でなりませんわ」

 口ひげを蓄えた兵長は、黙りこくった主の顔をそっと横目に見た。領主は水を浴びたような顔で唇を引き結び、目だけは魔女を睨み据えている。

「……なるほど。それならそれで、こちらにも手はある」

 男が右手で合図すると、兵たちが寄ってきて魔女を捕らえた網に手をかけた。

「連れていけ」

 男の冷たい声と共に、魔女の身体はずるずると地を引きずられていった。白く細い身体が土にまみれ、草いきれに傷つけられた肌に血が滲む。

 カアと鴉の不穏な声が頭上に響き渡った。夜の闇に溶け込むようにして鴉の群れが兵たちの周りを取り囲んでいる。

 ――やめて、来ないで!

 魔女は瞳孔のない白い眼を向けて必死で訴えた。

 鴉たちはしばらく鳴いて辺りを旋回していたが、やがて姿を消した。

 兵たちは魔女を森の中へ引きずっていった。陰鬱な木々に囲まれた獣道をずるずると進み、やがてぴたりと静止する。そこは魔の森の奥深く、木々が少し開けた空間であった。

「蓋を開けろ、一斉に降ろすぞ」

 兵たちの荒々しい声と共に重い鉄の傾いだ音が響く。魔女の細い身体は網にくるまれたままぐいと持ち上げられ、地下深くに落下した。

 とすん、と柔らかいものが固い地に落ちた音が響く。穴の底は漆の闇に埋もれて見えない。兵たちはしばし耳を傾け様子を探り、魔女の微かな呻きを確認してから安堵したように蓋を閉じた。

 蓋は頑丈な鉄格子であった。地上から突き出た井戸のような穴の入り口から月光が細々と降り注ぎ、濃い闇間へ消え入るように溶け込んだ。

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