36 謎のブレスレット。
勇者とマギアの馬術は相当なもので、二人を乗せた二頭の馬は、地面を飛ぶような速さでどこまでも続く草原を駆け抜けていく。それに少し遅れるようにして、リンデが手綱を握る二頭立ての馬車が追随する。リンでの横に座って、ずっと馬のお尻を眺めていたイクだったが、それに飽きてしまったのか空をボーッと仰ぎ見る。この世界の空にも、太平の世界と同じように、太陽が天高く光り輝いていた。
「何か……少し違う……」
太陽光を直視しながら、イクはポツリと呟いた。それが何を意味しているのか、その時気がつくものは誰一人としていなかった。
そして、馬車の中に引きこもっている太平とシバさんは……
「こんな事になるんだったら、ヴァンパイアから戻してもらうんじゃなかった……」
馬車に中で水の入った樽にもたれ掛かりながら、太平は己の不運を呪う言葉を吐いた。まかりなりにもドラゴンと渡り合ったヴァンパイアの能力があれば、魔獣相手でもなんとかなったのかもしれない。だが今の太平は、極々普通、いや普通以下のレベルの人間でしかない。
「こんな事になるんだったら、酔い止めの薬を持ってくればよかったわい……」
馬車の中で太平にもたれ掛かりながら、シバさんは自分の不運を呪う言葉を吐いた。もはや胃の中にあったものは全て吐き出してしまい、吐くものは無くなっていた。だが、気分が悪いのは消えることはなく……。もういっその事、馬車を降りて犬らしく走ってやろうかとも思ったのが、シバさんは己の体力の無さを自覚していた。きっと自力で走ろうと試みたならば、一分も立たずに置いて行かれることだろう。
「もうこうなったら……」
「なるようになれ!」
二人はそのまま身体を横たわらせて、現実から逃避するかのように大の字になって眠りにつくのだった。
※※※※
「太平さん、シバさん、起きてください」
「ペロペロ……」
太平はリンデの声と、頬を這いずりまわるイクの舌の感触で目を覚ました。
「あ……おはようございます。イク……いい加減そのペロペロはやめような?」
太平は馬乗りになっているイクを抱え上げながら上半身を起こす。イクの身体は羽毛のように軽く持ち上がる。これはイクが慣性制御をおこなっているせいである。
荷台から顔を出して外の風景に目をやると、既にどっぷりと日は落ちてしまっていた。どうやら太平は結構な時間眠りについてしまっていたようだ。
馬車から降りてみると、そこは何もない開けた草原のど真ん中だった。果てしなく続く地平線が、自分が居世界に来ていることを太平に実感させた。
「これから夕食の準備をしますね」
既にかまどの用意はできているようで、リンデはそれだけ告げると、荷台から料理道具と食材を取り出して、黙々と調理へととりかかった。
太平は硬い荷台の中で毛布も敷かずに眠ったせいで、身体のあちこちが悲鳴を上げていた。だから、体をほぐすために、柔軟体操をやってみる。そうするとイクが隣にやってきては、真似をするように体操を始めだした。
「うふふふ、仲の良い兄妹みたいで微笑ましいですね」
鍋の中で野菜を煮込みながら、リンデは太平とイクの体操を眺めては、小さく手を振ってみせる。
そうこうしていると、シバさんが頭を前足で抑えながら馬車の中から出てきた。
「頭痛い……。でも、お腹すいた……。だって吾輩、井の中からっぽなんだもの……」
フラフラとよろめきながらリンデの横まで来ると、殊更わざとらしく倒れてみせる。
「あの、大丈夫ですか?」
リンデは甲斐甲斐しく、シバさんを抱き起こしては膝枕をしてあげる。
修道着越しからでも伝わる太腿の弾力、犬でありながらもシバさんはこの感触にしばし酔いしれた。
「うーむ、これはなかなか良いものである……」
等と言いながら、調子に乗ったシバさんはぐるりんと身体を回転させると、自分の顔をグリグリグリグリと高速でリンデの太股の付け根に押し付ける。その甘く香る匂いと甘美な感触に、発情にも似た興奮をシバさんは感じた。
「ちょ、ちょっと……あの、その……」
犬が無邪気にじゃれつく、それで片付けることの出来ないなにか邪なものを、リンデは感じざるを得なかった。
「ウォォォォォン!! これは……これは良いものだァァァァァ!」」
その刹那、太平のキックが見事シバさんの後頭部に炸裂する。シバさんは水切りをする平たい石のように、二度三度とバウンドして飛んで行っては、十メートル程先の草むらの中に顔面から着地するのだった……。
「大丈夫ですかリンデさん。……ったく、エロ駄犬が」
「はい、大丈夫です」
リンデは頬を少し赤らめながら、慌てて乱れた修道着の裾を整え直すと、火のかかった鍋のもとへと戻り、何事もなかったかのように料理を続ける。
「……ピクピク、ツンツン」
イクは何処からか棒きれを拾ってきて、痙攣するシバさんの身体を、ツンツクツンとリズミカルに突付いていた。
「何やってんだかなぁ……。そう言えば、勇者とマギアさんは?」
周りを見渡してみても、勇者とマギアの姿はどこにもない。それどころか二人の乗っていた馬の姿すら見当たらなかった。
「お二人なら、この周辺の安全を確認してくると言って、お出かけ中ですよ」
リンデの返答に、一応勇者らしい仕事もするのだなと、太平は感心した。それと同時に、今この場所には自分とリンデさんの二人きりだということにも気がついた。ちなみにイクとシバさんは数の中に入っていない。
「そ、そうなんですかー。いやぁ、そうなんですねぇ〜。本当にそうなんですねぇ〜」
訳のわからないことを言いながら、太平はリンデとの距離を少しずつ詰めていった。そしてリンデのは以後に回りこんだ……その刹那。
「そうだ。味見してみますか?」
リンデはまるで後ろに目があるかのように振り返って、太平のもとに木で出来たスプーンを差し出す。
そのスプーンからは食欲を誘う香りと湯気が漂っている。
「あ、はい。いただかせていだきます……」
もしかしたら、『あ〜ん』と口元までスプーンを運んでくれるのではないかと、暫し待ってみたものの、リンデはそのままの状態から動いはしてくれなかった。残念に思いながらも、太平は差し出されたスプーンを手に取ると、ふぅ~ふぅ~と息を吹きかけて冷ましながら、胃の中にスープを流し込む。
――これは……広大な大地を感じさせる芳醇な野菜に風味! そしてその中に溶け込んでいる野性味あふれる獣肉のコクが……。これは、これは……美味い! 美味いぞォォォォ!
「美味い! 凄い美味しいですよ!」
スプーンに残った少しのスープも綺麗に舐め取りながら、太平は素直に感想を述べた。
「お口にあって良かったです。後は、みんなが揃ってからですからね?」
できればみんなが揃わなくても、二人きりで食事がしたい……。そんな邪念が、いやさ恋心が太平の胸の中をよぎる。
そんな時、リンデの袖口にキラキラと光る大きめのブレスレットが目に止まった。
「これ……とっても綺麗ですね」
太平はリンデの両手首にはめられているブレスレットを褒めてみせる。女の子のお洒落を褒める。これは好感度を得る第一歩だと、ネットで見たことをふと思い出したのだ。
「あ、これは……その……。あの……はい。どうも、ありがとうございます」
感謝の言葉を口にしながらも、リンデは困ったような表情を浮かべると、両手を後ろに回してしブレスレットを隠してしまう。
「あれ……」
地雷を踏んだ。そんな言葉が太平の頭のなかをよぎった。
――まさか、前に別れた男からもらったプレゼントだったり! 昔の恋を忘れることが出来ずに、つけていたんだったり?!
二人の間に、重く気まずい空気が流れた。
どうにかしなければならない……。こんな時に限って、空気を読まずに会話に入ってくるシバさんはぶっ倒れたままだった。
なんでも良いから会話を続けよう。太平がそう思い言葉を口に出そうとした時。
「おっ、いい匂いしてるじゃねえか」
「わたしもお腹ぺこぺこだわ」
馬に乗った勇者とマギアがタイミングよく戻ってきてくれたのだった。




