34 夢じゃない!
正気を取り戻したマギアは、美しい顔立ちからは想像もできない憤怒の形相で勇者を一睨みした。そして、首でクイッと合図をして、勇者に一切の反論を許させずに正座をさせたのだった。
そして自分は部屋の上座で腕を組んで仁王立ちをすると、子供を叱りつける母親のように勇者を見下ろした。
その様子を見ていたシバさんは、犬歯を見せて口元をほころばせた。
「こいつは愉快だわい」
いつも傍若無人な振る舞いばかりをされて、勇者に散々な目に合わされているシバさんは、ここぞとばかりに、マギアの真似をして偉そうにふんぞり返ってみせる。それを見たイクも、何だかよくわからないままに、その真似をしてみせる。
さて、この部屋の主である太平はどうしているかというと……未だ気を失ったまま下半身丸出しで部屋の隅に転がっていたのだった。
全裸のまま放置するのは、流石にまずかろうと、シバさんが嫌々パンツを履かせようとしたのだが、『やっぱ無理』と途中で断念。最終的にはイクが興味津々な眼差しでパンツをはかせることになった。
『パンツを履いていないと、怖い魔物が襲ってくる……』
前に太平に言われたことを、イクはきっちり覚えていたのだ。
「ふむ、ところで先程から謎なのだが、マギア殿は勇者とはどのようなご関係なのかの?」
「わ、わたしと勇者との関係……そ、それは……その……えへへっ」
頬を軽く赤らめ言葉を濁しながら、マギアはチラッチラッと勇者の方に目配せをする。
が、勇者は『そんな事知らねぇよ』、とばかりにちゃぶ台に頬杖をついて無視をしてみせる。その刹那、マギアのこめかみに血管がピクピクと浮かび上がりかけたが、既の所で精神を落ち着すことに成功した。
「わ、わたしと勇者はね、共に魔王軍と戦うパーティーメンバーなの。まぁ、それ以上の親密な関係かと聞かれたら……うふふふ、それはまぁご想像にお任せするわ」
と、これまた勇者に殊更わざとらしく目配せをするのだが、当の勇者は鼻毛を抜いていた。今度はマギアのこめかみに浮き上がった血管から、ブチッという音をしてぴゅるぴゅると出血をする。
「うふふ、わたし何だか意味もなく雷撃魔法を撃ちたくなってきたわ……。それも特大のを……。どうしましょう。撃っちゃおうかしら……。もう別にいいわよね、世界の一つや二つ吹き飛んだとしても……ぐふふふふふっ」
マギアは聖杖アヴァロンを召喚すると、完全に正気を失った瞳で呪文の詠唱を開始しだした。
この時シバさんは、どうして何時も横柄な勇者が、この女にだけは頭が上がらないのかを瞬時に理解した。
「イクよ! マギア殿に腹パンを食らわせるのだ!」
「?」
イクは意味がわからずに、小首を傾げた。
「腹パンを食らわせた後は、好きにペロペロしてもよいぞ! 吾輩が保証する!」
その言葉に、イクの目が爛々と輝き出す。
「ぶべらっ!!」
またしても、マギアはイクのパンチをみぞおちに食らって気を失うのだった。
……
……………
………………………
「はっ!? ここはどこ? わたしは誰!? そして、どうしてわたしの太腿や顔がベトベトしているの?!」
目を覚ましたマギアは、自分の身体が異様にベトついていることに気がついた。それは勿論、イクがペロペロしたわけなのだが、シバさんは勿論、誰もその事については触れはしない。
「なかなかのお味……」
イクがポツリと呟いたが、その言葉の真意をマギアは読み取ることなど出来るはずもなかった。
因みにだが、太平は未だに気を失ったままである。
勇者はといえば、一升瓶片手からグラスに酒を注ごうとしていた。
「だーめーっ!」
即座にその酒瓶をマギアが奪い取る。
「紆余曲折ありましたけど、さっきのあの光景……お、男同士で……あんな破廉恥な……。せ、説明してもらいますからね!!」
マギアは酒瓶をドンとちゃぶ台に叩きつける。ミシッとちゃぶ台にヒビが入ったかのような嫌な音が響いた。
「そうだぞ! この飲んだくれ勇者! ちゃんと説明するのだ!」
「……のだ」
シバさんは虎の威を借る狐のごとく、鼻息を荒くして調子ぶっこいていた。イクはと言えば、そんなことはどうでもよく、先ほどのペロペロの余韻を楽しんでいた。
「だーかーらー! さっきの変な光景はだな、偶然だよ! 完全なるぐ・う・ぜ・ん!! それよか、どうしてマギアがこっちの世界に来てんだよ!?」
酒瓶を取り上げられ勇者は苛立ちを隠せなかった。
「はい、今質問をすり替えて誤魔化そうとしましたね? やっぱり……私たちに隠れて男同士の禁断の愛を育んでいたんですね!!」
「育んでねぇよ!」
勇者がちゃぶ台を叩きつける。
「育んでたもん!」
負けじとマギアもちゃぶ台を叩きつける。ちゃぶ台のHPはもう限りなくゼロに近かった。
「なんが、『もん!』だ。いい歳してカワイコぶってんじゃねえよ!」
「と、歳のことは言うなぁァァァ!! うぅ……うわぁぁん」
「な、泣きやがった……だと……」
マギアはその場にしゃがみ込んで、目頭を押さえてシクシクと泣いた。結婚適齢期のマギアにとって、年齢の話は禁句中の禁句だったのだ。
「こ、これだから女は面倒くせぇんだよ……」
吐き捨てるように言った勇者の言葉に、マギアがピクッと反応する。
「やっぱり、やっぱり女より男がいいのね! そうなんだ!」
泣いていた顔を上げると、四つん這いになって、まるで幽霊のようにぬらりと勇者に覆いかぶさる。
「お、おい! 今のは言葉の綾でだな! 俺の話をちゃんと聞きやがれよ!」
「だって、だって、色々おかしいだもん……。いつもならもっと丁寧な言葉づかいだし、こんなに怒鳴ったりしないし……。お酒なんて飲まないし……」
そう、マギアの知る勇者は、こんなチンピラじみた酔っぱらいとは、まるで正反対の存在だった。清廉潔白で正義を貫く絵に描いたような好青年、それがマギアの知る勇者の姿だった。
「だからだなぁ……。色いろあるんだよ、俺にも……」
勇者は優しくマギアの頭を撫でた。
「説明して……。一から十まで全部説明して! そうじゃなきゃ、わたし帰らないから! 帰れないからっ!」
「……」
面倒くせえという言葉が口に出かかったが、勇者は口に出さずに飲み込んだ。その言葉を口に出したならば、今以上に面倒くさくなることをわかっていたからだ。
そのやり取りを、カーテンの裏に隠れるようにしてみていたシバさんは……。
「イクよ、これが修羅場というやつだ。覚えておくが良い」
イクに余計な知識を与えていた。
「しゅらば……」
「さらにこれが悪化すると、刃傷沙汰にまで発展するから、ここもよく覚えておくように、テストに出るぞ」
「にんじょうざた……。ふむふむ。奥が深い……」
イクは、修羅場の意味も、刃傷沙汰の意味も、まるで理解していなかった。が、理解したかのように『ふむふむ』と頷いておけば、大体の事は何とかなるということを、太平を見ることで学習していたのだ。これを事なかれ主義という。
……
……………
………………………
「そうだったんだ……。勇者、アナタも色々と精神的に追い詰められていたのね……」
勇者は渋々ながら、こちらの世界では勇者として演じること無く、自分をさらけ出してリラックスできることなどを懇切丁寧に説明した。
――まったくよぉ、魔物相手にしてるほうが、よっぽど楽だぜ……。
勇者は顔を手で抑えながらため息を吐き出した。
「けれど……。男同士に愛だけは理解できません! どうして? ねぇ、どうしてなの? 勇者としてのプレッシャーが、背徳的な愛を求めてしまうの? そういうものなの!? お事同士じゃなくちゃダメなの!!」
勇者はズッコケてちゃぶ台に顔をしこたま打ち付ける。
「わたしは断じて認めませんからね! 男同士なんかよりも……ち、近くに素敵な女性が居たりとか……してるんじゃないのかな! ねぇ、そう思わないかな!」
コホン、コホン、とわざとらしい咳払いを数度繰り返して、マギアは勇者に何度となく目配せをする。それに反応がないと見るや、マギアは胸を強調するように伸びをしてみたり、太腿を露出させるように足を組みかけてみたりと、色仕掛けを仕掛ける。
が、勇者はまるで無反応だ。
勇者は馬鹿でも鈍感でもない。だから、マギアの自分に対する愛情には気がついていた。
だが、重いのだ! マギアの愛はとんでもなく重いのだ! もし交際をOKしようものならば、即座に結婚の話に持って行かれ、さらには子供は何人がいいか、老後はどうするか、等と墓場までのスケジュールを作らされてしまうほどなのだ。さらに、マギアの親族は身分の高い宮廷魔術師である。祖父などは、国王直下のお抱え魔術師だ。
そうれば、今まで以上に窮屈な生活が待っていることは必至……。ゆえに、勇者はマギアからの愛情をスルーせざるを得ないのだ。
まぁ、それを無しと考えても、今の勇者には《美女》との恋愛よりも《美酒》に浸ることのほうが数倍も甘美なものだった。
今も、何とかしてこの話を打ち切って、酒を浴びるように飲みたい。そんなことばかりを考えている始末。少しばかり手の先が震えだしているのは、アル中の兆候やもしれない。
「こうなったら……本当に禁断の愛に溺れていないか、はっきりするまで監視させていただきます!!」
「なん……だと……」
マギアの言葉には、反論を許さない凄みがあった。
「けれど、勇者としての仕事はちゃんとしてもらいますからね!!」
※※※※
「う、うぅ〜ん」
ようやく目を覚ました太平が目にしたのは、知らない天井だった。そして知らない布団。いやさ、ベッドだった。太平の部屋にはベッドはない。畳の上に直接布団を敷いて寝ている。それなのに、ここはベッドの中だった。
訳が分からないまま、身体を起こすと、そこには……。
「お目覚めになりましたか?」
見たことのない、赤毛でショートカットの修道着を着た可愛らしい女性が待ち構えていた。
「なるほど……」
瞬時に太平は理解した。これは夢なのだと……。しかも、可愛い女の子が出てくる夢、良い夢だと理解した。
太平は、ポカーンと口を開けたまま、修道着姿の女性を上から下までじっくりねっとりと眺めた。
「ど、どうなさいましたか?」
少し不審に思いつつも、その女性は好意的な笑顔を崩しはしなかった。
――好みのタイプだ……。
ボーイッシュな髪型、修道着ゆえに良くはわからないが、あまり凹凸のないお胸、のどかな田舎の雰囲気をほんわかと漂わせつつも、端正な整った顔立ち。これは太平にとってはかなりのストライクゾーンど真ん中の女性だった。
夢の中ならばと、太平が取った行動は……。
「好きです! 付き合ってください!」
太平は腕を強引に掴むと、唐突極まりない告白をやってのけた。
――ふふふふ、現実ならば、好みのタイプだとしても、そんな言葉口に出せやしない、そう俺はチキン野郎だから!! だが、これは夢だ! 夢ならばいける! 目が覚めればノーカンだから!!
「そんな……初めてお会いしたばかりなのに……。なんて情熱的な愛の告白……。で、でも、もう少しお互いのことをよく知ってからじゃないと……」
女性は頬を赤く染め視線を逸らした。が、掴まれた手を拒もうとはしなかった。
「愛に時間なんて関係ないですよ! 運命の歯車はもう回りだしてしまったんですよ!!」
現実ならば絶対に口にできるはずもないこっ恥ずかしい台詞を言いながら、太平は掴んだ腕を自分の胸元へと引き寄せる。なすがままに女性は太平のベッドの上に上半身を覆いかぶさり、二人の顔の距離が近くなる。
「そ、そんな……わたし心の準備が……。そ、それに、太平様は、勇者様と……あの、男同士の……あの……あれな関係だとマギア様から聞かされているんですけれど……」
「は? 何それ……。あれ……ちょっと待てよ……」
太平の頭のなかに気を失った時のシーンがフラッシュバックする。
――たしか俺は、いきなり現れた勇者に押し倒されて、あられもない格好になったところを、これまたいきなり現れた謎の女性に見られ……それで……。それからどうなった!?
混乱しだす太平を他所に、ドアが開く。
そして入ってきたのは……
「おう、太平よ目覚めたようだな」
「……おはよう」
シバさんとイクだった。
「あれ……これは夢……なんだよな? んでこれは一体……」
「夢? 何を言っておるのだ? まぁ、いきなり異世界に連れてこられては夢だと勘違いしてもおかしくはないがな」
「異世界……?」
太平はシーツをはねのけて立ち上がると、窓を開けて外の風景に目をやる。
そこには中世を思わせるレンガ造りの街並みが広がり、馬車が街道を行き来していた。耳を澄ますと、カキーンカキーンと鍛冶屋が鉄を打つ音が耳に入ってくる。
「どういう事なの……、どういう事なのォォォォォォォォ!!」




