29 乾坤一擲。
「さぁ、決着を付けてやるぜ!」
と、カッコイイ台詞を言ってみたものの、太平には勝算などこれっぽっちもありはしなかった。
今も太平の鼻孔には肉の焼け焦げる臭いが漂ってきては、吐きそうになるのを必死に我慢している始末だった。これが美味しい牛肉であればヨダレを垂らして大喜びするところだろうが、自分の手の肉が焦げる匂いでは、堪ったものではない。
聖なる力による浄化が、手だけで無く太平の全身を襲っては、気が狂いそうになる痛み与える。 もはや、太平に次の言葉を発する余力はなかった。
太平が取るべき行動はたったひとつ。
聖剣ドラゴンスレイヤーに全身を浄化されてしまう前に、残った力のすべてをぶつけて、この剣を赤竜バルカンに振り下ろすことだけである。
「頑張れ男の子〜」
燃え盛る炎のど真ん中で、ルルは何処からか小さな旗を取り出しては、それを振って平然とエールを送る。旗が燃えないのが謎で仕方がなかったが、今の太平にそんなことに突っ込む余裕はなかった。
そんな最中、巻き上がる爆炎の炎のせいで、赤竜バルカンは太平の姿を見失ってしまっていた。
「こうなったら、何処に居ようと、この場もろとも灼熱地獄に変えてやるわ!」
そして竜言語魔法の詠唱を始める。
『炎と風の力の本流よ、我が炎竜との契約に基づき、ここに顕現せよ! 炎爆風』
赤竜バルカンの詠唱に従い、巨大な炎の竜巻が現出する。それは太平のみならず、ルルすらも巻き込んで全てを灰へと変える……はずだった。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
声にならない叫びを上げて、太平はその竜巻の只中を聖剣ドラゴンスレイヤーの切っ先を真正面に構えて走る。聖剣の聖なる力が、炎の竜巻を一刀両断に切り裂いてみせる。
「馬鹿な……。そんなものを魔族が使う!? 正気か!?」
この時初めて赤竜バルカンは聖剣ドラゴンスレイヤーの存在に気がついたのだ。聖剣ドラゴンスレイヤーが竜族にとって天敵といえる武器あることは知っていた。しかしまさか魔族が聖剣を持ちだそうなどとは、予想しているはずもなかった。そして気がついた時にはすでにすべてが遅かった。
炎の竜巻を突っ切った太平は、渾身の力で大地を蹴りあげてジャンプをする。月を背中に従えて、その高さは赤竜バルカンの頭部まで達していた。
「いけぇぇぇぇ!!」
ヴァンパイアの力をフルに使い、太平は聖剣ドラゴンスレイヤーを頭部めがけて振り下ろす。その刃は頭部を両断……すると思われた。だが現実はそうではなかった。咄嗟に出した赤竜バルカンの右腕がその刃の前に立ち塞がったのだ。
結果、太平が切り落としたのは、赤竜バルカンの頭部ではなく、右腕一本だけ。すぐさま次の攻撃へと移れば、太平は勝利することが出来たであろう。しかしそれは、それだけの体力と精神力が残っていた場合である。
聖剣を振り下ろした太平は、そのまま地面に顔面から叩きつけられた。その手の中にはいまだ聖剣ドラゴンスレイヤーがあった。焼けて溶け落ちた肉が、半分剣の柄と融合しかけていたために、握力が無くなっても離れることはなかったのである。
「脅かしやがって……。とは言え、その聖剣だけは厄介だな。放て炎の矢よ!」
バルカンの手から一本の炎の矢が放たれては、聖剣ドラゴンスレイヤーと共に太平の右腕を消し炭に変える。だが消し炭となったのは太平の右腕だけ、聖剣は聖なる光を放ったまま以前健在であった。
「流石は聖剣といったところか……。しかし、それを扱う腕がなければ……」
続けざまにバルカンが炎の矢を放つ。次の矢は太平の残った左の腕を消し炭へと変えてしまった。両腕を失った太平は、すでに再生する力も残っておらず、ミノムシのようにもがくしか無かった。
――なんでだ、なんでこんな事になってるんだ……。俺死ぬのか!? 死ぬ? 死ぬってあれだよな、死ぬことだよな? 真っ暗になってなんにも考えられなくなることだよな……。待てよ、冗談だろ? 俺まだ二十代だぞ? 死ぬとか、そんなのまだまだ先の話だろ……。嘘だ……嘘だ……。
迫る死を、今になって太平は初めて実感していた。
「い……や……だ……。た…す…け……て……ぇ……」
太平の喉は枯れてしまい、まともに声を発することすらできないでいた。かろうじて動く両足を、もぞもぞと動かしてこの場から逃げ出そうとした。しかし、悲しい事にその歩みは、カタツムリほどのものでしか無かった……。
「あーはっはっはっは! 面白いな人間。いやさ、ヴァンパイアのなりそこないか? 一瞬は驚かせてくれたが、所詮貴様など聖剣がなければゴミ虫よ。そうやって無様に地面を這いつくばっているのがお似合い存在なのよ!」
バルカンの嘲笑する言葉が耳に入るが、それに反応する力など太平には無かった。太平にあるのは、どれだけ惨めであっても、死にたくない、殺されたくないという、ただそれだけの思いでしなかった。プライドなどは既に火炎に焼きつくされてしまい、消し炭になって跡形もなく消え去っていた。
必死の力で顎を上げて、視線を上に向ける。そこには美しい女性が月明かりに照らされて立っていた。
「ル……ル……さ……ん……」
太平は助けを求めるために、ルルに向かって手を伸ばそうとした。が、伸ばす手は既に存在していない。届くのは手ではなく、哀れみを求める視線だけだった。
「はぁ……。こんなもんなの? 魔王の知り合いっていうからさ、もう少しなんかあるのかと思ってたけど、やっぱり只の人間ね。それも、極々普通、極々平凡な」
ルルは太平を助けるどころか、侮蔑の言葉を投げつけては、肩をすくめて呆れてみせた。その子と場は刃のように、太平の心に突き刺さる。
「へ……い……ぼ……ん」
突き刺さった言葉の剣が心臓に突き刺さっては、真っ赤な血しぶきを上げる。
「所詮人間、所詮凡人、所詮何も出来ない出来損ないよ! さぁさぁさぁさぁ、これからはじっくりと時間をかけて嬲り殺してくれるわ」
赤竜バルカンは余裕の笑みを浮かべた。ルルが手を出さないことがわかった以上、聖剣ドラゴンスレイヤーを使うことの出来ない太平を屠ることなど、まさに赤子の手をひねるがごとしなのだ。
「ぼ……ん……じ……ん……だと……」
覚えているだろうか? 太平は凡人と呼ばれると、ブチ切れるということを。しかし、ブチ切れたとしても、たかだがネチネチと嫌がらせをするだけの情けない存在、それが太平だった。いや、それが人間だった太平だった。しかし、今の太平は人間ではない、ヴァンパイアの力を得ているのである。
「俺を、この俺を凡人と……呼んだなァァァァァァッ!!」
死を目前とした恐怖の感情、そして罵倒された時に得た強い怒りの感情。この二つが混ざり合って、太平の脳内シナプスを焼ききった。常人であるならば、そこで終わるとこだが、今の太平は違う。その感情は、その思いは、ダイレクトに肉体に変化を持たらさせたのだった。
既に太平は這いつくばってなどいない、二本の足でしっかりと立っていた。その全身に炎を凌駕するオーラを漂わせながら……。
「これって凡人が強い怒りによって目覚めるという……。伝説のスーパー凡人! なんてね、適当言っただけだけど〜」
ルルは太平の変わりようを見て、キャッキャッと幼女のようにはしゃいでみせた。
「た、立ち上がったからといっても、聖剣が使えなければ、貴様など……」
太平は地面に転がっている聖剣の柄を、左足で蹴りあげる。聖剣はクルリと回転しながら、太平の頭の位置まで舞い上がる。太平はそれめがけて大きく口を開けると……。
「こへでどうら!」
聖剣ドラゴンスレイヤーを口で咥えたのだ。
「正気の沙汰か!?」
聖剣は魔族にとって天敵である。それを口に咥える。それは想像もつかない激痛が、口の中と、内臓を襲うということである。すでに太平の口の中は、ドロドロに焼けただれ、頬も穴が開きかけていた。
「ありえん、こいつは、凡人でも、人間でもなく、ただのキチ○イだ!」
この時、赤竜バルカンは初めて太平に対して恐れを抱いていしまっていることに気がついた。そして、認めたくはなかったが、兄妹な力を持つ竜族が、恐れのあまり一歩後に下がってしまっていたことにも……。
そして、それとは全く正反対の感情を抱く美女が一人。
「面白い! すっごい面白い! あんたやれば出来る子じゃない!」
パチパチパチと陽気に拍手で賛美するルルを横目に、太平はバルカンを睨みつける。そして、全身の筋肉を脚部に集中させる。ブチブチと筋肉繊維が絡み合う音がして、太平の足は大型トラックのマフラーほどの太さへと变化していた。そして、引き絞った弓の弦から、弓が放たれるが如く、踏み出した足は地面のアスファルトを大きく削り取りながら、自身を光の矢として撃ち放った。
「ま、待て! 話せば分か……」
赤竜バルカンに次の言葉はなかった。
何故ならば、その刹那、身体は太平によって一刀両断にされてしまっていたからである。
「今よ!」
ルルはこの時初めて動きを見せた。ピョンと宙空に飛び上がると、真っ二つの肉片へと変わり果てた赤竜バルカンに向けて、一見ゴムボールのような球を投げつける。そのボールから触手のような物が無数に現れると、見る見るうちに巨大な赤竜バルカンの身体を飲み込んでしまった。
「赤竜ゲットだぜぇい! えへへっ」
どこのポケ○ンマスターだよ! と、突っ込みを入れたい太平だったが、口が完全に溶け落ちてしまった今の状況では、言葉を発することすら出来なかった。
そして、太平はそのまま意識を失って倒れるのだった。




