26 夜空に舞う。
「キィィィィ! ゴール寸前で甲羅を投げるの禁止! 訴えてやる!」
シバさんがテレビ画面に向けて怒鳴り散らす金切り声に、太平は目を覚まして身体を起き上がらせた。普段寝起きの良くない太平だったが、今は心なしか身体がいつもよりも軽いように感じた。
太平が目覚めたのを察知したイクは、即座にスリープモードから復帰。そしてペロッと太平の頬を舐めた。
これはイクのおはようの挨拶のようなものであり、エッチな意味はまるでない。
「うん? もう夜か……」
窓の外を覗くと、太平の皮膚を焼いた忌々しい太陽の光はすでに無く、夜の帳と月明かりがが舞い降りていた。
「おう、何時まで寝ておるのだ! いい加減一人でマ○オーカートをするのに飽きてしまったわ!」
と言いながらも、シバさんはコントローラーから手を離そうとはせず、視線も画面に釘付けだった。
そして、謎の美女、謎のヴァンパイアであるルルは……
「すぅーすぅー……」
穏やかな寝息を立てて、未だ睡眠の真っ最中だった。
全ての問題の張本人であるルルが寝ていては、何一つ現状は解決へ向かいはしない。とは言え、寝ているヴァンパイアを無理矢理に起こすという行為は……
「おっかないよな……」
君子危うきに近寄らず。眠れる獅子――どころか眠れるヴァンパイアを起こすことは、危険極まりないことであるのは違いない。
「まぁ、そのうち起きるだろ。テレビで見るか……」
太平は現実逃避も兼ねて何の気なしにテレビをつける。
勿論、そのテレビをと言うのはシバさんがゲームに興じているモニターである。
「き、貴様ァァァァァァ! ファステストラップを更新できそうだったというのにィィィ!」
耳元で怒号を上げるシバさんを完全に無視して、太平はテレビのチャンネルをニュースに合わせた。
テレビの画面に映し出されたのは偶然にも近場にある遊園地。そこで報道アナウンサーが一人の男にインタビューをしていた。
『いやいや! 見たんですって! 本当ですって! 酔ってなんかいないよ! 素面だよ!』
レポーターのに答えたている男は、とても興奮して何かを訴えていたが、途中からチャンネルを合わせた太平にはさっぱりわからなかった。
『俺は見たんだ! 竜を見たんだよ!!』
男の目は血走っていた。それが酒によるものなのか、それとも……恐怖によるものなのか、太平には見分けることは出来なかった。
「遊園地に竜が出た? 無茶苦茶なゴシップニュースだな」
魔王と勇者に挟まれて住んで男とは思えない常識的なコメントだったが、こういう荒唐無稽なニュースは大好物だった。とりわけ、自分に何の害も及ばないニュースは更に大好きだった。対岸の火事とはよく言ったもので、燃え盛る炎を見ている分には綺麗でしか無いのだ。
そんな訳で、今自分の置かれている立場など完全に忘れて、そのニュースの続きを胸をワクワクさせて見るのだった。
が、それは叶わなかった。
プツン
「え……」
テレビの画面は消え。液晶画面にはマヌケヅラの男が映った。
「なるほど……。探す手間が省けたってわけね」
太平の後ろでテレビのリモコンを手に立っていたのはルルだった。
どうしてヴァンパイアがテレビのリモコンの操作方法を知ってるんだよ! と、突っ込みたかった太平だが、魔王の知り合いというのだから知っていてもおかしくないのか? と思い直した。
「こほんこほん、お初にお目にかかります。吾輩はこの駄人間の隣人……もとい隣犬である、シバと申します。美しいお嬢さんにお目にかかれて、恐悦至極にございます」
シバさんは前足で毛並みを整えると、女王陛下にでも拝するかのように深々と頭を下げてみせた。
それをみたルルは目をキョトンとさせて、太平に何やら耳打ちをした。
「ねぇねぇ、何アレ? アンタあんなの飼ってるの? 趣味悪いわね」
「いや、あれは飼ってるというか、勝手に居着いているだけで……」
そんな二人の内緒話など無視して、シバさんは勝手に会話を進めだす。
「あっはっはっは。お嬢さん、犬が喋ることに驚いていらっしゃるのかな? ふふん、無理もありませんな。吾輩のような高等な知能を持った犬は珍しいですからなぁ、あーっはっはっはっは」
胸を張り過ぎて、思わず後ろにデングリ帰り思想になったシバさんは、ふらつきながらもなんとか体制を立て直し、さらに高笑いを続けた。
「え? 喋る犬とか別になんとも思わないわよ? だってうちの人狼も喋るしね」
「な、なんと……」
「さぁ、太平。こんな変な犬に構っていないで、出発よ」
「出発?」
「変な犬……。変な犬だとおおおおおおおお!!」
出発の言葉に首を傾げる太平を、怒りの化身へと变化したシバさんが突き飛ばす。そしてその勢いのまま、ルルに向かって猛突進をかけ、美しい太腿に足にすがりついた。
「こ、この我輩のアイデンティティーを、《変な犬》の一言で叩き壊しおってぇぇ! 美人とはいえ許しはせん、許しはせんぞぉ!! さぁ、我輩をほめたたえよ! 毛並みとか、鼻の先がツヤツヤしてりとか! いろいろ褒め称えろおお! そうじゃないと、鳴くぞぉぉぉ! アオォーーーン」
鼻水を垂らしまくったシバさんは、まるで駄々っ子の子供のように、鳴くとも泣くとも付かない声を上げるのだった。
「はぁ……。五月蝿い&鬱陶しい」
ルルは片手でシバさんを払いのけながら、もう片方の手の指先をくるりと回すと、小さな声で呪文を唱える。黒い雲のよう塊が、シバさんの顔の周囲に漂いだす。
「褒めろぉ! 我輩を……ほめ……ろぉ……。スヤスヤスヤ……」
その黒い雲の塊を吸い込んだシバさんは、鼻提灯をあげながらあっという間に眠りの世界へと落ちていってしまった。
「さぁ、邪魔ものは消えたわ。さぁ行くわよ」
「いや、あの、大丈夫なのシバさんは?」
「少しの間寝ててもらうだけよ。そんなことよりも早く!」
「じ、事情を説明してもらわないと……」
「そんなの道すがら話すわよ。もぉ、面倒くさい男ね」
ルルは強引に太平を引っ張りあげると、有無を言わさぬ力でそのまま玄関へと引きずっていった。それは一般的な女性の力とは確実違っていた。太平は掴まれた腕の肉が削げ落ちてしまうのではないかと、本気で心配せざるを得なかった。
だが、それを阻もうとする可愛らしくも頼もしい存在が、玄関の前で両手を広げて仁王立ちでルルの前に立ちはだかる。
「ダメ。太平を連れて行ったらダメ。太平嫌がってる。太平に嫌なことをしたらダメ!」
ルルはシバさん同様に、眠りの呪文を唱えてイクを排除しようとしたのだが……。
「魅了と同様に、睡眠の呪文も効かないのね……。ってことは、アナタが魔王の言っていた《イクちゃん》ってわけか」
その言葉にイクが小さく頷く。
「なら……」
ルルは一変して笑顔でイクの側に近づくと、なにやら小声で耳打ちした。その言葉に見る見るうちにイクの目が輝き出す。
「なんと! それならいい! 太平を何処にでも連れて行って問題ない!」
さぁどうぞどうぞ! とばかりに、イクは玄関の前をあっさりと退いた。
「……あの、ルルさん。イクに何を言ったんですか?」
「うん? ああ、良い子でお留守番をしていたら、美味しいケーキを買ってきてあげるって言っただけよ。うふふふ」
「なるほど……」
イクを封じるのに、魔法も力もいらぬ、ケーキが一つあればいい。なんという残念な超古代兵器なのだろうか……。
こうして、シバさんは眠りについたシバさんと、手を降って玄関でお見送りをするイクを部屋に残して、太平とルルはアパートの外へと出たのだった。
「うーん、いい夜ね。月明かりが心地よいわ」
月明かりを浴びたルルの身体は、更に艶やかさを増し、銀色の髪はホタルのように薄っすらと光り輝きだした。それはヴァンパイアと呼ぶよりも、月の女神であるアルテミスと呼びたくなるほどの神々しい美しさを湛えていた。
太平は思わず唾を飲み込んだ。魅了の呪文をかけられていなくても、太平はこの美しさに完全に虜となってしまったのだ。
「うふふふ。わたしに見惚れていないで行くわよ」
「あの、せめて行き先だけでも教えてもらえませんか?」
「もぉ、察しの悪い男は嫌いよ? テレビでやってたでしょ、あの遊園地よ」
「遊園地……?」
「そう、夜の遊園地でデートと洒落込みましょう」
ルルの妖美な唇が、デートの言葉を発しただけで、太平の頬は真っ赤に染まった。さらに、ウィンクをなんかをしてくれたものだから、今にも心臓が胸を突き破って出てくるのではないかってほどに、ドクンドクンと大きく脈打った。
「うふふ。そこまで露骨なリアクションをしてくれると、なんだかこっちも照れちゃうわね」
初めてルルは少し戸惑ったような表情を見せた。太平のあまりにストレートな感情表現に、些か参ってしまったようである。
太平は心臓を落ち着かせるために大きく深呼吸をした。何度か深呼吸を繰り返すうちに、やっとのこと心音は穏やかなものへと戻ることが出来た。
「ふぅ〜。心臓が口から飛び出しれ死ぬかと思った……。兎に角、あの遊園地に行くんだったら、まずは駅に行って電車に乗らないと……。この電車の時間何分があったかなぁ」
太平がスマホで電車のダイヤを調べようとしているのを見て、ルルは大きなため息を付いた。
「何を言っているのよ。わたしたちは夜の眷属ヴァンパイアなのよ?」
「へ?」
「さぁ手を出して」
ルルは右手を差し出す。太平は吸い込まれるように、その白魚のような手を掴む。ルルの手は氷細工のように冷たかった。
ルルが地面を軽く蹴り飛ばしてジャンプをする。それで数十センチほど飛び上がっただろうか。普通なら重力に従って地面へと戻るのだが、ルルはそうではなかった。そのまま大空高く飛翔したのだ。
「う、うわぁぁぁ。何だこりゃァァァ!」
「ヴァンパイアが夜空を飛べなくてどうするのよ? ほらほら、夜風が気持ちいいでしょ〜」
いつの間にか、ルルの背中には黒くて大きなコウモリのような羽が生えていた。物理的に考えれば、その羽の大きさで二人の身体を浮かべる揚力を得ることは不可能だった。しかし、ルルのヴァンパイアの魔力は、人間の物理法則など軽く超越してしまっているのだ。
「こ、これは気持ちいいというより、怖いんだけどォォォォ!」
既に二人は数十メートルもの高さを飛翔しており、ここから落ちたならば通常の人間ならば即死、幾らかヴァンパイアの力を得た太平といえども、身体が四散することは免れないだろう。太平は吹き付ける突風と、恐怖のあまり目を強く瞑った。
しかし人間というものは、見てはいけないと思うと見たくなってしまうもので……。恐る恐る太平が目を開け、ついつい下を見てしまう。太平の眼下にミニチュアのようになった夜の街が見えていた。
「ひぃぃ……」
一瞬にして金玉が縮み上がる感覚を覚えた太平は、力の限りでルルの腕を握りしめるのだった。
「さぁ、スピード上げるわよ−!」
「そこらの絶叫マシンよりも、圧倒的にこえええええよおおおおお!」
悲鳴を上げる太平の言葉を完全に無視して、ルルは更に速度を上げて夜空を飛ぶのだった。




