22 犯人だわん!
「助けの神が舞い降りてくれた……」
太平は二人に駆け寄り、まずイクを強く抱きしめると、摩擦熱で煙が出そうになるくらいに勢い良く頭を撫で回した。
「……」
突然の抱擁にイクはキョトンとした表情のまま棒立ちで固まっていた。なすがままにされるイクは身体を太平に預けると、ほんの少しだけ口元をほころばせた。それは、さながら主人からのご褒美をもらえた小動物のよう見えた。
「ほぉほぉ、我輩を撫でたいというのなら、撫でても構わんぞ!!」
次は自分の番であろうと、頭を出してイクの隣に陣取るシバさんを太平は一瞥すると、すぐさま視線をそらしてイクの頭を撫でるのを継続するのだった。
「何故! ほわい! 可愛い柴犬の頭を撫でたくない男などこの世に居ようはずもないのに!!」
可愛い《普通》の柴犬であったならば、何のためらいもなく頭を撫でたであろうが、シバさんは柴犬というよりもただのおっさんである。おっさんの頭を撫で撫でする……それはもう罰ゲームというより他にない。
「おっと、そんなことをしている場合じゃなかった! イク、この聖剣に見覚えはないか?」
「成犬、大人になった犬という意味だな!」
シバさんのボケにかまっている暇などないので、いつもの様にスルーする太平だった。
イクは布団の下にあった聖剣を見てしばらく考えると、
「ああ、これはこの前パンツを履かないと襲ってくる怪物が置いていったやつだ」
と、聖剣を指差して無感情に答えた。
『パンツを履かないと襲ってくる怪物』それは勇者のことを指す。すなわち、勇者が自分からこの聖剣をこの部屋に置いていったことになるのだ。
「ど、どういうことなんだ……」
太平の頭の中はこんがらがった。聖剣を隠した犯人が勇者? それでは何故彼はああも必死になって探しまわっているのか?
「コホン、吾輩が説明しようではないか!」
つやつやした鼻先を肉球で擦りながら、シバさんが自信満々にイクと太平の間に割って入る。
「それは昨日の事だった……」
※※※※
時間軸は昨日のお昼前に戻る。
「わ、吾輩がこんな小娘にやぶれるだとぉ!」
シバさんとイクは二人仲良くテレビの前に座っている。そう、二人で太平のコンピューターゲームに興じていたのだ。
どんなゲームをチョイスしようとも、シバさんはイクに全戦全敗を喫し、その怒りは体の毛を逆立てるほどに達していた。
なにせイクは幼女に見えても超古代兵器である、コンピューターゲームを解析するなど朝飯前なのだ。喋る犬であるだけのシバさんが敵う要因は一つもなかった。
「キィィィィ!! 吾輩の辞書には敗北の文字はないのである!」
シバさんはコントローラーを床に叩きつけながら何度もジタンダを踏んだ。
「……クスクスクス」
イクが挑発するかのように、唇の端を少しだけ持ち上げて、皮肉った笑いをしてみせる。
その笑みがさらにシバさんをヒートアップさせ、コントローラーだけでは飽きたらず、遂にはゲーム機本体をぶん投げようとした時、部屋のドアをけたたましくノックする音が……その数秒後、ものすごい勢いでドアが蹴り破られた。
「オラァァァァァ! 勇者様のお帰りだぁあ!」
そこに現れたのは、片手に一升瓶、もう片手には聖剣を持った勇者だった。
足取りは完全に千鳥足で、周りの風景もよく見えていない様子……つまり勇者は泥酔しすぎたせいで部屋を間違えてしまったのだ。
「パンツモンスター……」
イクは勇者を見るやいなや、即座にロケットパンチを放とうとしたが、それをシバさんが止めた。
「面白そうだから、しばらく様子を見ようではないか!」
完全に自分の部屋だと勘違いしている勇者は、崩れ落ちるように床に座り込むと、片手に持った一升瓶をグビグビっとあおりだしては、プハーッとアルコールの臭いをあちらこちらに振りまきだした。
こうなってしまうと、イクとシバさんの姿すら勇者の目には入っていないようで、暫くすると大の字に寝転んだまま眠りこけてしまった。
「うむ! 良い感じにアホ面だ……」
シバさんは今が好機とばかりに、恐る恐るながら勇者の頬をつねったりしてみせる。酔いつぶれて深い眠りに陥ってしまっている勇者は、そんなことでは起きるはずもなく、呑気にぐーすかとイビキをかき続けるばかりだった。
「これは遊べる……」
イクにゲームで負けた鬱憤を晴らすかの様に、シバさんは勇者の身体で遊びまくった。
鼻毛を引っこ抜いてみたり、おでこにアホと書いてみたり、顔の前で強烈なオナラをぶっこいてみたりと、やりたい放題を尽くした。
「そうだ。こいついつもこの聖剣とやらをもって、偉そうにしおって……。そうだ! この聖剣を隠してしまえば、面白いくらいに狼狽するに違いないわい!!」
ニタニタと不敵な笑みを浮かべると、シバさんは聖剣を引っ張ろうとするのだが、超重量のせいでうんともすんとも動きはしない。そこで……
「イクよ! この聖剣を何処かに隠してくれないか?」
超パワーを持つイクに頼んだというわけなのだ。
イクは聖剣を軽々と持ち上げると、部屋の周囲をキョロキョロと見回して、何処に隠せばよいのかと思案した。が、すぐに考えるのが面倒になって、自分の布団の下に入れてしまったのだ。
「ふむ。まぁこれくらいで勘弁しておいてやろうではないか!」
勇者が目を覚ます前に、顔に書いた落書きを消しておかねばと、シバさんはオデコをタオルで拭き取ろうとしたのだが、軽くこすっても消えはしなかった。
「ま、まさか……!」
シバさんは自分が落書きをしたペンを見て愕然とする。
そのペンには大きく『油性』と書かれていたのだ。
「す、水性ペンのつもりだったのにぃぃぃ! な、なんとかしてこれを消さねば……。そうだ! 油性は除光液やエタノールで消えるとか聞いたことがある」
しかしそんなものが太平の部屋にあるはずもなく……。
「そうだ! エタノールはアルコール! すなわち、こいつの酒でこすれば!」
シバさんは大急ぎでタオルを用意すると、それに勇者が持っていた一升瓶の中身をふりかける。犬の嗅覚にツーンとしたアルコールの臭いが刺激を与え、思わず顔を背けてしまう。が、そんな事をしている暇はない!
シバさんは必死の形相で、勇者の顔をアルコールまみれのタオルで吹きまくったのだった。その甲斐あって遂にオデコのアホの文字を消すことに成功した……のだが。
「う、うぅぅぅん」
泥酔しているとはいえ、あまりに強く顔をこすられたため、勇者が眠りから覚めかけてしまったのだ。
「やばぁぁぁぁぁい! い、イク! いますぐコイツを吹き飛ばしてしまいなさい!」
「……うん」
意味もわからないまま、イクはシバさんの言うとおりにロケットパンチで勇者を庭先まで吹き飛ばした。目覚めかけていた勇者は、今度は気絶という方法で深い眠りへと落ちていったのだった。
庭のど真ん中で大の字になって気絶する勇者を見て、シバさんは腕組みをしたまま
「うむ。一件落着だな」
大きく頷くのだった。
※※※※
「というわけだったのだよ!」
語り終えたシバさんが、一仕事終えた肉体労働者のように爽やかな良い顔をしてみせた。それとは正反対に、思いっきり仏頂面の太平はこめかみと眉毛をひきつかせ、今まさに噴火寸前の活火山のような形相へと変化していた。
「全然一件落着してねぇじゃないかよ! ってか、ぜ〜〜〜んぶ、お前のせいじゃねえか!」
太平は両手でシバさんの首根っこを捕まえては、ネックハンギングの形で身体を宙に浮かした。シバさんの表情が苦痛にゆがむ。
「う、うむ。見るベクトルを変えると、そんなふうに見えなくもないかもしれぬ今日この頃かもしれんな……」
シバさんは喉を圧迫されてかすれてしまった声で、訳の分からない論法を展開するのだが、太平はそれに対して容赦する心など微塵も持ち合わせてはいなかった。
「ベクトルもへったくもれなく、お前のせいなんだよ!」
今にも殴りかからんとした太平を、イクが太ももあたりをトントンと叩いて見せる。
何だとばかりに振り向くと、そこには……
「なるほどな……」
奥歯をぎりぎりと噛み締め、握りこぶしを固めた勇者が仁王立ちしていた。
「ヒェェェェェェェ!」
太平とシバさんは同時に天をつんざく程の悲鳴を上げた。
「知ってるか? この安アパートでそんなでかい声で喋ってたら隣に筒抜けだってことを……」
つまり、先程までのシバさんの回想の会話を、勇者は全てまるっと聞いてしまっていたのだ。
太平は勇者の言葉に全身の力が抜けて、押さえつけていたシバさんがするりと抜け落ちて地面へと着地を決める。すぐさま、シバさんはこの場からの逃走すべく、四本足で駈け出したのだが、勇者のヤクザ顔負けの眼光に射抜かれては、金縛り状態になりその場にへたり込んでしまった。
「あば、あばばばばばばばば……」
シバさんは口から蟹のように泡を吹いていた。よく見ると、オシッコも漏らしていた。
「さて、この糞犬をどうにかする前に……」
勇者は布団の下に隠されていた聖剣デュランダルを手に取ると、鏡のように透き通った刃渡り見やっては、懐かしむように視線を注いだ。
「やっぱ手に馴染むぜ……。一升瓶と同じくらいにな……」
「えっと、お、俺はこれでこの件とは関係無いってことがわかったわけだから、失礼させていただきま……」
「おっと、ペットのしつけは飼い主の責任だよなぁ……」
「ち、違うし! こんな犬飼った覚えないし!」
「何を言っているんですかぁ〜。助けて下さいよぉ、ご主人様ぁ〜。きゅーんきゅーん」
シバさんが今まで聞いたことのないような甘えた鳴き声を出して、太平の足にすがりついた。太平は必死にそれを引き剥がそうと振り回すのだが、まるで吸盤でも付いているかのように、足に吸い付いて離れてはくれなかった。
そんな最中、イクだけは何一つ状況を理解することも出来ずに、
「犬のおしっこ臭い……」
と、床にべっとりと染み付いてしまった、シバさんのオシッコを見つめているのだっった。
「さて、勇者様の攻撃ターンだな……。会心の一撃でちゃうかなぁ〜」
勇者が聖剣を天高く振りかぶる。
「終わった……」
太平とシバさんの意識はここで途絶えている……。
※※※※
後日談。
あの後、帰宅した魔王によって蘇生させてもらった太平とシバさんは、なんとか一命を取り留めることに成功した。
しかし、暫くの間は部屋の隅でブルブルと震えながら毛布に包まる日々が続いたという。
更に勇者はというと……。
太平とシバさんに一撃を与えた後、イクによる予期せぬ反撃を喰らい、これまたアパートの庭で眠ることになったのだった。
そして今日も……
「ぷっはぁ〜。やっぱり勇者業を終えた後の酒は最高だなぁ〜」
と、懲りもせずに飲んだくれる勇者の声が、薄い壁越しに響くのだった。




