歴史に残る1日
F1の2017年シーズンが開幕した。
レギュレーションが大きく変わり、各チームの戦力図も塗り替えられた。
これまで最強最速だったメルセデスにフェラーリが追いつき、僅差でバトルの状態。
それ以降は中段グループによる激戦。
これまでとは少し違う、面白い展開が繰り広げられている。
開幕から4戦が終了し、メルセデス2勝にフェラーリ2勝。
ポイントランキングは復活したフェラーリのベッテルが若干リードしている。
レッドブルは上位2チームから少し遅れているが、ドライバー以外で注目を集めている新人がいる。
リナ・ナカネ。
若干17歳だが、レッドブルのレースディレクターに抜擢された。
去年から、理奈はレース界から注目を集めていた。
16歳の学生が日本のニスモの中心的役割をこなし、シリーズチャンピオン獲得。
スーパーフォーミュラではこちらも16歳の佐伯和貴のレースエンジニアを務め、こちらもダントツでタイトル獲得。
レーシングカーのエンジニア面とレース戦略面の両方がわかる貴重な人材。
理奈はニスモと複数年契約を交わしていたが、それをレッドブルが買い上げてしまった。
現在のF1は非常に厳しいスケジュールになっているので、理奈は高校を中退することになった。
両親は難色を示したが、レッドブルがそれに見合う年俸を提示したので折れてしまった。
理奈はクリスチャン・ホーナー直属の役割を担い、車のセッティングからレース戦略まで口を出す。
単純に車の速さだけではレッドブルはメルセデスに劣るが、それを現場のセッティングとレース戦略を含めた総合力でカバーしているのが現状。
これまでの4戦で、理奈の力は関係者全てが認めていた。
理奈は主にフェルスタッペンの担当エンジニアを務めているが、17歳の少女とは思えない厳しく的確な指示を出す。
ドライバーからすれば無茶な要求にも思えるので、口論になるのも珍しくない。
そのやり取りは全世界に中継され、密かな人気にもなっている。
ただ、物議を醸した無線が少し問題になった。
開幕戦、4位のライコネンにフェルスタッペンが追っていた。
「マックス、あなたの方が速い。抜きなさい」
「簡単に言うな!ここで抜くのは不可能だ!」
「レース前に教えたわよ。抜くポイントは4箇所もあるのよ」
「だったら直接教えろ!」
「そんなの完全にドライバーエイドよ、無茶言わないで」
と口論になったが、ここでホーナーがFIAに問い合わせた。
「マックス、チャーリーからOKが出たわ。やれるものならやってみろと言われた。だからあたしの指示通りに走りなさい」
この様子は中継され、注目を集めた。
そして理奈は細かな指示を出し、その結果ライコネンを抜いてしまった。
当然ドライバーエイドだと他チームから抗議が出たが、抜かれたライコネンとチームメイトのベッテル、さらにメルセデスのアベリバーネまでもがそれを押さえてしまった。
「エンジニアの指示通りに走ったドライバーに抜かれるのは、ドライバーとして失格だろう。だから僕のミスだ。それにマックスのオーバーテイクはとてもクリーンだった。抗議する理由がないよ」
このコメントにはワールドチャンピオンのプライドが込められていた。
それに対し抜いたフェルスタッペンは、
「確かにリナのサポートがあったから掴めたオーバーテイクだ。けど僕には厳し過ぎる。彼女は優しさのカケラもない。ちょっと耐えられる限界を超えているよ」
と、こちらは疲れ切った顔でコメントを残した。
だからと言って理奈は緩い指示は出さない。
その厳しさはレースを重ねるごとに増し、フェルスタッペンは年下の女の子から罵倒を受けて文句を言いながらも指示通りに走り、好成績を残している。
だが理奈の合格点にはほど遠く、冷酷に得点を告げる。
3位に入った第3戦が最高得点だったが、それでも75点だった。
そして第4戦の決勝でチームメイトのリカルドが大クラッシュ。
これで5戦目はドクターストップになった。
代役はレッドブル育成のリザーブドライバーになるのだが、なかなか発表しなかった。
レース2日前の水曜日にようやく発表されたが、これまた驚きに包まれた。
カズタカ・サエキ。
去年のスーパーフォーミュラのチャンピオンで、今年はレッドブル育成枠でGP2に参戦し、開幕戦を圧勝。
実績はあるが、まだ17歳。
スーパーライセンス発給条件を満たさないが、過去のテスト等の実績があったので、特例として参戦が認められた。
和貴も今年はヨーロッパを拠点にレース活動することになった。
だが理奈ほど忙しくないので、通信制の高校に転校した。
そして優奈も和貴に着いてきた。
遠距離恋愛は嫌だと言い、別れるのも嫌だと駄々をこねて和貴を困らせた。
それを受け、和貴は腹をくくって半プロポーズに近い言葉で優奈をヨーロッパに誘い、今はイギリスのアパートで同棲生活をしている。
リカルド欠場が決まった際に、チームは和貴を代役にすると言われたが、調整に時間が掛かったので発表が遅れた。
それでも短い時間でやれる限りのことをこなし、準備を整えた。
そしてこのレースは理奈が担当エンジニアを務める。
金曜日からセッションが開始したが、関係者、観客、視聴者全てが驚きに包まれた。
レッドブルが持ち込んだ大型アップデートの効果が大きく、金曜日の2回のフリー走行、土曜日朝のフリー走行でトップタイムを記録。
衝撃のデビューを果たした。
ただ金曜日のセッション終了後のドライバーブリーフィングで和貴の走りが問題になった。
和貴独特のコンパクトなライン取りがバトルになった際のリスクになるとの発言が出た。
だがそれもベッテルやアロンソといったチャンピオン経験者が問題無しと太鼓判を押した。
「なにも問題はない。サエキはクリーンでインテリジェンスなドライバーだ。チームメイトも見習って欲しいくらいだ」
「あのラインで速いなら、僕らはそれを学ぶべきだ。新しいスタイルに難癖つけるのはフェアじゃない」
ワールドチャンピオン経験者の言葉には重みがあった。
和貴には追い風になったが、逆にハンデを抱えたのがフェルスタッペン。
ドライビングスタイルとセッティングが大きく異なるので、和貴の走行データから得られるものが少なかった。
逆に和貴は理奈の力もあり、フェルスタッペンのデータを参考にしてスピードが上がった。
そのような状況で予選スタート。
ピレリが用意したタイヤはスーパーソフト、ソフト、ミディアムの3種類。
15分のQ1開始から7分過ぎで、和貴コースイン。
タイヤはソフト。
「カズ、ターゲットは18秒8。一発で決めて」
「了解」
『うわあ、理奈ちゃんハードル高いなあ』
『現在トップのハミルトンが19秒1です。Q1から飛ばし過ぎのような気がします』
日本の実況中継メンバーも理奈の指示に驚く。
そして和貴は指示通り、1分18秒883のタイムでトップに立った。
「カズ、バランスどう?」
「ターン5と最終シケインで曲がらない。そこでロスしている」
「確かにデータに出てるね。急いでピット戻って。微調整するから」
『佐伯くん、このタイムでも不満なんだ』
『ダントツトップですが、これでは足らないと思ってるのでしょう。理奈ちゃんらしいです』
ピットに戻り、ガレージインしてメカニックが作業に取り掛かる。
和貴はコックピットでデータに目を通す。
Q1はトップで通過した。
そしてQ2開始。
和貴は早々にピットを出た。
グリーンランプと同時にコースイン。
『佐伯くん出ましたが、ソフトタイヤです』
『バンカーのタイム出すのかな?けどスーパーソフトとは1秒差あるから、Q2はキツいんじゃないかな?』
「これがスタートタイヤになるから1発で決めて。時間ないから急いで」
「了解」
『ソフトスタート?いや無理だろ?』
『時間がないとはどういう意味かな?まだ時間たっぷりありますが」
コースが空いた序盤にトップバッターでアタック開始。
セクター1で自己ベストを大きく更新。
中継メンバーは当然のごとく驚いた。
それでも理奈は、
「プッシュ!まだ足らない!」
さらに厳しい指示を出した。
セクター2でも大幅に更新。
最終セクターもハードプッシュ。
課題のシケインも上手くクリアした。
『さあ佐伯のタイムは、18秒023!』
『嘘でしょ、ソフトタイヤですよ。これ完全にスーパーソフトのタイムだよ』
『路面コンディションが予想よりいいのでしょうか?』
『それもあるでしょうが、それだけじゃないですね。なにか隠し持ってましたね』
和貴は1発アタックを決めてガレージイン。
そしてメカニックが慌ただしく作業に取り掛かった。
「このタイムでも通るよね?」
「Q2は通る。ボーダーは18秒4だと読んでるから」
和貴の疑問に理奈が答えた。
『理奈ちゃんの読みは18秒4かあ。僕は18秒8くらいだと思うけどなあ』
『ですが佐伯はソフトタイヤでのタイムです』
『いやスーパーソフトでも佐伯くんのタイムは届きませんよ。Q1でもルイスがソフトだったけど19秒196ですからね。スーパーソフト使っても、正直1秒は厳しいです。18秒3くらいじゃないかな?』
『そうなると佐伯はソフトタイヤでQ2もトップですか?』
『このタイムはちょっと異様です。スーパーソフトでも届くとは思えません』
『その佐伯ですが、結構大掛かりな作業中です』
『まさかトラブル抱えてた?だとしたら心配です』
セッションが進み、有力ドライバーがスーパーソフトタイヤでアタックするが、和貴のタイムには届かない。
『やっぱりルイスもダメだ、18秒391』
『フェルスタッペンこの週末は勢いがありません。現在コース上ではマッサがアタック中ですが、この走りは?』
これまでのマッサとはライン取りが大きく異なる。
『佐伯くんの真似ですね。あのラインにアドバンテージがあると判断したんでしょう』
『昨日の夕方、マッサとアロンソ、それに佐伯くんと理奈ちゃんの4人で話し込んでいました。ひょっとしてレクチャー受けてた?』
『ワールドチャンピオンと歴戦のベテランがルーキーからレクチャー受けるのも面白いですが、さあそのマッサが最終コーナーを立ち上がり、タイムは、18秒147!2位に来ました!』
『マッサいいですね。フェラーリがこの位置に来るのは久しぶりです。スーパーソフトでのタイムなので佐伯くんとは直接比較出来ませんが、それでもいいと思います』
そしてアロンソも、
『アロンソも佐伯くんのラインです』
『やっぱりこのふたりは佐伯くんからレクチャー受けたんだ。ワールドチャンピオンは見る目が違うなあ』
『プライドが傷つきそうなイメージがありますが?』
『プライドより速さじゃないですかね。このふたりは貪欲ですから』
アロンソもマッサと同じく和貴のラインをコピーして、Q2を4位で通過した。
今シーズンずっとQ2落ちだったマクラーレンにとっては大躍進。
和貴は周りがスーパーソフトばかりの中で、Q2をソフトタイヤでトップ通過した。
そしてQ3。
10台がポールポジションを獲るべくアタックを始める。
だが和貴はグリーンランプが点灯してからもクルーが作業していた。
2分経過してから慌ただしくコースイン。
もちろんスーパーソフトタイヤを装着。
日本の中継メンバーにも緊張が走る。
『佐伯、デビューレースでのポールポジションが見えています。達成すればもちろん日本人初の快挙です』
『普通に走れば堅いでしょう。17秒台前半が出るはずです。ベッテルもハミルトンも届かないはず』
「車が完全に変わってるから無理しないで。最初は少し抑えてもいいから」
「了解」
『車が変わってるとはどういう意味でしょうか?』
『ずっと作業していましたから、セッティング変えたのかな?』
全世界の注目を浴びて、和貴が最初のアタックに入った。
独特のコンパクトなラインは決して速そうには見えない。
それでもセクタータイムを軽々と更新する。
ミスなく1周まとめて、最終コーナーを立ち上がる。
『さあ佐伯のタイムは、1分17秒399!もちろんトップ!』
『2位のハミルトンにコンマ7秒差です。ポール確定と思いたい』
中継メンバーにも力が入る。
ここでホーナーから無線が飛んだ。
「カズ、ファンタスティックジョブ。このタイムなら大丈夫だろうからアタックは終了だ」
「分かりました。パワーユニット温存したいですよね」
『佐伯、このアタックで終了です』
『たぶん大丈夫だと思いますが、我々の胃が痛いですね』
和貴はガレージに入り、コックピットから降りた。
そしてピットウォールに向かい、首脳陣と話し込む。
ホーナーも理奈も笑顔を見せた。
『珍しいなあ、理奈ちゃん笑ってる』
『余裕あるんでしょう。我々も祈るだけです』
Q3も終盤になり、各車ラストアタックに向かう。
和貴は真剣な眼差しでタイミングモニターに目を向ける。
だが、タイム差が大き過ぎた。
『ハミルトン17秒837!届かない!』
『ベッテルがいいですよ!17秒717!』
『フェルスタッペンもダメです。ボッタスも届きません。そしてアロンソが、17秒794!』
『やった!フェルナンド3位!』
『そしてこれで全車アタック終了です。佐伯和貴やりました!デビューレースでポールポジション獲得!日本人初の快挙です!』
『これ、96年のジャック・ビルヌーブ以来ですね。まさか日本人がやるとは思わなかった。しかも17歳ですからもちろん最年少記録更新です』
予選トップ3のドライバーが集まり、写真撮影を受ける。
ふたりのワールドチャンピオンが17歳のルーキーを笑顔で迎えた。
そしてインタビューを受ける。
「カズタカ、デビューレースでのポールポジションは96年のジャック・ビルヌーブ以来の快挙、しかも17歳での獲得は最年少記録を更新しました。素晴らしい走りでした。今の気持ちを聞かせて下さい」
「ありがとうございます。でもこれは僕の力ではなく、素晴らしい車と素晴らしいエンジニア、チャンスを与えてくれたチーム首脳陣の方々が居たから出来た事です。最高の車と最高の戦略でした」
「金曜日からのフリー走行、そして予選全セッションでトップです。しかもQ2はソフトタイヤでトップでした。これは簡単には出来ません」
「これも戦略です。Q2までは昔のように予選ワンラップアタックに特化したセッティングだから出来たんです。僕の力ではなく、それが出来る車を与えられたからです。だからQ2からQ3に向けてセッティング変更の時間が必要でした。ギリギリでした。ある意味ギャンブルです。僕がルーキーだから出来たんです」
ここで隣のベッテルが割って入った。
「そんなことであんなタイムが出るならウチもその戦略をコピーするよ」
「そうだね。検討する余地は充分過ぎるほどあるね」
アロンソも賛同した。
そして質問はふたりのワールドチャンピオンに向けられた。
特にアロンソは和貴のラインをコピーし、上位のグリッドを掴んだ。
「レッドブルは素晴らしいドライバーを連れて来たね。レッドブルのマシンパフォーマンスの進化も素晴らしいが、カズタカのドライビングも素晴らしい。明日はいいレースをしたいよ」
「僕らの現状はカズタカのコピーだ。コピーがオリジナルを超えるのは難しいから明日の決勝は厳しい戦いになるだろう。それでもベストを尽くす。ルーキーに簡単には勝たせられないよ」
それを受けた和貴は、
「僕はルーキーで、明日はデビューレースです。だから出来ることを目一杯やるだけです。結果を気にしないと言ったら嘘になるけど、最低限ダニエルの代役に相応しい結果は残したい。明日はベストを尽くします」
あくまで謙虚なコメントを残した。
プレスへの対応済ませ、チームメンバーと明日の決勝に向けてミーティング。
ここで理奈が、
「明日の戦略はあたしに任せて貰えないでしょうか?彼はポールスタートで有利ですが、ルーキーでもあります。ルーキーらしくアグレッシブな戦いをしたいです。それが出来るデータもあります」
と進言して、それが受け入れられた。
和貴の戦略会議はそれで済み、予選7位に沈んだフェルスタッペンをどう戦うかが話題になった。
このオーバーテイクが難しいサーキットでどう戦うかを真剣に話し合った。
そして決勝の日曜を迎えた。
晴天で、雨の心配はない。
アロンソの活躍があり、スタンドはほぼ満員。
それに加えて衝撃のデビューを果たしたルーキーの存在。
ドライバーズパレードでも、和貴には多くの声援が送られた。
13時30分、ピットレーンオープン。
レコノサンスラップで最後のチェック。
何も問題はなかったので、ポールポジションのグリッドに着いた。
クルーがスタート前の最後のチェックに取り掛かる。
和貴は理奈と日本語で最終の打ち合わせ。
その様子が中継された。
「それで行けるの?常識的にあり得ないよ?」
「あたしの計算上では余裕で行ける。タイヤデータも全然余裕だよ」
「けど金曜日にその距離は走っていない」
「その前にピレリに止められたもん。まあそのおかげで他チームにデータは漏れてない。でもベッテルとアロンソは気付いてるかもね」
「じゃあ俺はあのふたりと直接戦うのか」
「そうなる。まともに戦えば佐伯くんに勝ち目はない。だからある程度ギャンブルするしかない」
「了解。あとはスタートだな」
「練習通りで問題ないよ。欲張らなければそれでOK」
話が終わった頃合いに、日本の中継メンバーが声をかけてきた。
「佐伯くん、ルーキーにプレッシャーかけたくないけど、日本人初のポールスタートで、金曜日のレースシミュレーションも良かった。期待してもいい?」
「ごめんなさい。今理奈ちゃんと、そのレースシミュレーションの問題を話してたんです。正直問題抱えています」
「そうなの?」
今度は理奈にマイクが向けられた。
「そうですね、確実なデータがないです。不安材料はあります」
「理奈ちゃん、それでも敢えて聞きます。勝算はどのくらい?」
「スタート次第です。敵はベッテルとアロンソだと思っています。簡単に勝たせてくれるドライバーではないので、目一杯頑張るだけです」
インタビューを終え、ヘルメットとHANSを身に付けてコックピットに収まる。
クルーがシートベルトを締め、最後の準備を整える。
時間になり、クルーが離れる。
その直前、ホーナー、理奈のふたりとガッチリ握手を交わした。
「佐伯くん、頑張るのも大事だけど無理はしないで。ピットにいる優奈がずっと心配顔だったから」
この一言でかなり落ち着いた。
14時。
フォーメーションラップスタート。
隊列の先頭でタイヤとブレーキを温める。
日本の中継メンバーも熱が入る。
『佐伯、日本人初のポールスタートです。決勝はどうでしょうか?』
『17歳のルーキーに多くを求めるのは酷でしょうが、どうしても期待してしまいます』
『理奈ちゃんが言ってた不安材料が心配ですね。僕が見る限りは見当たらないので、それが謎です』
『戦略はどうなります?』
『2ストップか3ストップです。計算上では3ストップのほうが少し速いですが、佐伯くんは上位で唯一のソフトスタートなので2ストップでも行けると思います。使用義務タイヤはソフトの他にもう1種類です』
『そうなると佐伯はソフト、ソフト、スーパーソフトと繋ぐのが最適ですか?』
『それがコンサバです。でもアグレッシブにソフト1セット、スーパーソフト3セットでもいいと思います。速さを活かすなら、それも充分アリです』
フォーメーションラップを終え、ポールポジションのグリッドに着いた。
複雑なF1マシンのスタート手順を進める。
多くは求めず、無難に決めようと自分に言い聞かせる。
レッドランプの点灯が始まる。
エンジン回転を上げる。
オールレッド。
クラッチレバーに全神経を集中する。
ブラックアウト。
素早くクラッチを繋ぐ。
ホイルスピンはなく、無難なスタートを決めた。
「ベッテル下がった!そのまま行って!」
理奈からの無線が届き、ミラーを確認。
ベッテルとアロンソが並んでいた。
背後に迫る車はいなかった。
余裕を持って1コーナーに進入。
「アロンソが2位に上がった。チャンス活かそう。ここから5周プッシュして」
理奈の指示も声からも少し緊張が伝わってきた。
半周もすればタイヤは完全に温まった。
スタート直後で燃料が重いが、それでも出来る限りでペースを上げる。
オープニングラップを終え、ホームストレートに帰ってきた。
スタンドの大歓声が伝わってくる。
アロンソの2位浮上で盛り上がっている。
そのアロンソの車は、ミラーに小さく写っている。
差が開いていた。
『スタート決めた佐伯が帰ってきた!アロンソとの差は2.1秒!逃げに掛かる!』
『佐伯くんはソフトスタートなので無理しなくてもいいはず。後ろを見ながら走ればいいから』
中継メンバーはそう祈るが、和貴はペースを上げた。
2位のアロンソより1周1秒以上速いペースで飛ばす。
『レースは6周目に入りました。トップをデビューレースの佐伯が快走。2位アロンソの8.7秒の差を付けています』
『佐伯くんは23秒8でコンスタントに周回しています。2位のアロンソは25秒2。飛ばし過ぎじゃないかな?』
『いや、逃げられるなら逃げたほうがいい。佐伯くんの最初のストップが23周くらいでしょう。アロンソが蓋している形なのでここがチャンスです』
「カズ、タイヤマネージメントに気を付けて。ターゲットまで37。まだ先は長いから」
「了解」
この理奈の無線が中継された。
『えっ、理奈ちゃんさっきなんて言いました?』
『ターゲットまでサーティセブンって聞こえましたが?』
『37?なに言ってんだこの子?』
『どんな意味ですか?』
『普通ならピットストップまで残り37周ってことですが、そんなの無理だろ?』
『ソフトタイヤの寿命は確か25周前後だったはずです』
『はい。佐伯くんは3周オールドなんで22周か23¥周です。残り37ってことは42+3で45周です。そんなのミディアムでも無理です』
『佐伯和貴は中根理奈と共にゲームの世界では奇策で有名だったと聞きます。このレースも奇策ですか?』
『いやゲームと本物を一緒にはしないでしょう。でもブラフにしては出来が悪過ぎです』
中継メンバーが混乱する中でレースは進行する。
10周経過辺りから上位のピットインが始まる。
現在ランキング2位、4位走行のハミルトンが12周目にピットイン。
『ハミルトンがピットアウト。ここから追い上げに掛かります』
『アロンソもベッテルもすぐ反応するでしょう。アンダーカットさせちゃダメです』
だが、アロンソは反応せずにペースを上げた。
『14周目ですが、アロンソ23秒4です。ハミルトンより速い!』
『なにこれ?タイヤ温存させてた?』
ベッテルは13周目にピットイン。
ハミルトンの前に出てアンダーカットを防いだ。
そしてアロンソはファステストを記録して16周目にピットイン。
ベッテルの前に出た。
『上位陣が1回目のストップを終えましたが、なんとアンダーカット失敗!アロンソタイヤに余力がありました』
『ルイス怒ってましたね。こんな展開珍しいです』
『アロンソ、ベッテル、ハミルトン3人のワールドチャンピオンによる2位争いが激しいです。スタンド大歓声!』
『アロンソがいいレースをしています。タイムも23秒2ですから悪くないですよ』
『そしてトップの佐伯もピットインが近いはずですが、実はアロンソより速いです。22秒9で走っています』
『もうアロンソと36秒差があるんだから入っていいんだよ。て言うかお願いだから入って』
中継メンバーはそう願うが、それは通じない。
23周目の無線。
「カズ、あとコンマ2秒上げて。ターゲットまで20」
「了解」
『ちょっとちょっと、ホントに42周まで引っ張るつもり?』
『タイヤ持つんですか?』
『普通なら持たないです。ミディアムでも絶対無理』
『けどペースいいから入る理由はないですね。でも観ている我々の胃が本当に痛い』
『考えられるとするなら佐伯くんの独特なラインです。実はあれがタイヤにとても優しいのかもしれない。そのラインをコピーしているアロンソもタイヤに余力がありました』
中継メンバーが混乱する中、和貴は安定したペースで走る。
そして2位争いが激しくなる。
「フェルナンド、信じられないがサエキが42周まで走るらしい」
「いや、このラインでの走り方をマスターすれば可能だろう。驚くほどタイヤに優しい」
「余力があるなら持たせるんだ。最後にオプションを履けるチャンスが生まれるかもしれない」
そしてハミルトン。
「ここでオーバーテイクは困難だ。抜けない。なぜプランBにしないんだ?」
「フェルナンドもセブもタイヤに余力があるからオーバーカットされる。アンダーカットが出来ないんだ」
「それでも前に出てレースさせてくれよ。トップとの差は?」
「サエキとは41秒差だ。追い付くのはほぼ不可能だ」
「なぜそんな差になっている?」
「まだピットインしていない。しかも42周まで走るらしい」
「確認する。サエキのスタートタイヤはなんだ?」
「3周オールドのソフトだ」
「それで42周まで行けるはずない!もうペースが落ちるはずだ!」
「もう寿命は過ぎて現在28周だ。それでも君よりコンマ3秒速いんだ」
「とにかく前に出たい。プランBにさせてくれ」
「分かった。ならばあと4周だ」
『ルイスがプランB、3ストップです』
『これでアロンソとベッテルがどう動くかですね。佐伯くんには届かないはず』
33周目にハミルトンが2回目のピットイン。
ここからペースを上げたが、アロンソとベッテルもペースを上げた。
『ハミルトンがファステスト、21秒303』
『でもアロンソベッテルもペース上げた、21秒6』
『そしてトップの佐伯は、えっ、21秒289?ファステスト?』
『嘘だろ。ソフトでデグラデーションほぼないよ。メチャクチャタイヤに優しい』
『これなら42周まで引っ張れそうです』
『うわ信じられない』
日本の中継メンバーだけでなく、全ての視聴者、レース関係者が和貴の戦略に驚かされた。
そして予定通り43周目にピットイン。
『トップの佐伯、2位のアロンソに49秒の大差をつけてピットイン。これが最初で最後のピットインです』
『タイヤは、やっぱりスーパーソフトの新品だ。これならたぶん届く』
『残り23周、なにもなければ日本人初優勝です』
『でもここで1ストップが出来るとは思わなかった。ルイスなんて3ストップですよ』
46周目にベッテルが2度目のピットストップ。
47周目にアロンソが2度目のピットストップ。
アロンソがベッテルの前に出た。
タイヤはどちらもスーパーソフト。
これで2位にハミルトンが上がったが、3位のアロンソとは7秒差。
しかもあと1度のピットストップが必要になる。
「ルイス、プランAに変更だ」
「不可能だ。絶対に届かない」
「だがこのままでは4位で変わらない」
「最後にオプションを使って抜くしかない。そうさせてくれ」
「それでも限りなく不可能に近い。フェルナンドもセブもオプションだ」
「なぜこの距離がオプションで届くんだ?」
「あのサエキの独特のラインだろう。それをコピーしたフェルナンドもタイヤに優しい」
「だったら僕も最後にオプション履くしかない。あと何周だ?」
「6周引っ張ってくれ。ただしコンマ7秒上げるんだ」
「おい冗談だろ?そんなタイムは出ない」
「フェルナンドもセブも20秒3で走っている。サエキに至っては19秒8だ」
「恐ろしい速さだな。とにかく飛ばすしかないんだろ?」
「ああ、ハンマータイムだ」
『出ました、ハンマータイム』
『でもハミルトンでもこのハンマータイムは厳しいですよ。残り6周でアロンソに追いつかれそうです』
ハミルトンもチャンピオンの意地で飛ばすが、性能の落ちたソフトタイヤでは限界があった。
残り13周でハミルトンが最後のピットストップ。
19秒台のファステストを重ねて意地の追い上げ。
トップの和貴は2位のアロンソに50秒以上の大差を付けていたが、ここで思わぬ事態に遭遇。
5位ボッタス、6位フェルスタッペンに追い付いてしまった。
「どうすればいい?マックス抜いたらダメだろ?」
「ゴメン2周待って、マックスに抜かせてみる」
レッドブルのピットが少し混乱。
「マックス、さっさとバルテリ抜きなさい。後ろにカズが来てるのよ!」
「なんで同じ車の僕が周回遅れになるんだよ?」
「あなたの走りがダメだって証明よ!とにかくここで抜きなさい!時間がない!」
理奈はフェルスタッペンにチャンスを与えようとしたが、それをホーナーが止めた。
「マックス、カズタカを前に出せ。君はバックマーカーだ。カズタカは初優勝が掛かっている。前に出せ」
冷静かつ冷酷な指示を下した。
フェルスタッペンもチームオーダーに従い、和貴を前に出した。
その前を走るボッタスにもブルーフラッグが提示されたので、簡単に前に出た。
『佐伯驚きの速さです。なんと5位ボッタスまでも周回遅れ』
『お願いだからこのまま最後まで行って』
中継メンバーはそう祈るが、
「カズ、ハットトリックにチャレンジしよう。1周だけフルアタック」
「了解」
『ちょっと理奈ちゃん余計なこと止めようよ!』
『日本人初優勝だけで充分なんです。ハットトリックなんて結果だけで狙うものじゃないですよ』
中継メンバーの胃が痛くなるような無線。
それでも和貴はワンラップアタックを決め、18秒926のファステストラップを記録。
残り5周で4位ハミルトンが視界に入っていた。
「カズ、残り5周、慎重に行こう。レースは最後まで何があるか分からない」
「了解」
『ようやくレースの締めに入りました』
『あと5周で日本人の悲願達成。長いなあ』
『我々はハラハラドキドキですが、佐伯くんは落ち着いてますね』
『彼はいつもクールです。スーパーフォーミュラ初優勝もGP2初優勝も結構落ち着いていました。意外と平常心かもしれません』
『このレース前も、自分はリカルドの代役だとずっと言っていました。あくまでその仕事をこなそうとだけ思ってるかもしれないですね』
周りが動揺する中で、和貴は淡々と走る。
残り5周もキッチリ走り切った。
『やった!佐伯優勝!』
『日本人待望の初優勝!しかも17歳のデビューレースという偉業も達成です!』
『我々は歴史的瞬間を目の当たりにしました。ありがとう佐伯和貴。偉大なる17歳の誕生です』
歓喜する中継メンバー。
「カズタカ、アメイジングジョブ。アメイジング」
「ありがとう。こんなチャンスをくれたみんなに感謝したい。本当にありがとう」
「おめでとうカズ。でも最後の仕事忘れないで。最終結果が出るまでがレースだから」
「了解。ありがとうリナ、最高の戦略だったよ」
『いやあ、理奈ちゃんらしいなあ』
『本当に勝負師ですね。中根理奈と佐伯和貴、日本が誇る素晴らしい17歳です』
ウィニングラップをゆっくり周り、パルクフェルメの指定位置に停めてマシンを降りた。
大きくガッツポーズを見せると眩いばかりのフラッシュが焚かれ、観客席が盛り上がった。
そして多くのドライバーが祝福に訪れた。
ハミルトンやライコネンといったワールドチャンピオンも訪れた。
体重測定を済ませ、2位アロンソ、3位ベッテルと共に表彰台に向かう。
そこに優勝チームであるレッドブルの代表者も加わるが、
『あ、理奈ちゃんが来たんだ』
『彼女が佐伯くん優勝の立役者ですからね』
『でも新鮮な表彰台ですね。初優勝の佐伯くんは当然ですが、フェルナンド2位は本当に凄い』
『ロシアまでの4戦で入賞はおろかチェッカーさえ受けていないんです。大躍進ですね』
3人のドライバーは理奈を中心に会話が広がる。
『これ走り方について話してますね』
『佐伯くんのソフト45周は脅威です。こんなタイヤの使われ方をしたら勝負にならないのが明らかになったんで、その対応しないとダメでしょう。これレッドブル以外はとんでもない宿題抱えましたね』
そして表彰台へ。
ピレリのキャップを被って出ると、多くの声援で迎えられた。
表彰式が始まり、国歌が流れる。
日本人ドライバー初優勝。
バルセロナの地に、君が代が流れた。
そしてイギリス国歌。
その間に、和貴はアロンソ、ベッテルと子声でやり取り。
3人に含み笑いが浮かんだのをカメラが捉えた。
『なに話してたんでしょうか?』
『あの顔は悪巧みですね』
表彰式は進み、和貴が優勝トロフィーを受け取ると大歓声に包まれた。
次は理奈がレッドブル代表でトロフィーを受け取った。
これも負けず劣らず大歓声。
『理奈ちゃんへの歓声凄いですね』
『彼女メッチャ人気ありますよ。あんな可愛い子がチーム引っ張ってるんですから凄いですよ』
2位のアロンソの際は、最高の大歓声を受けた。
トロフィーの受け渡しが終わると、シャンパンファイト。
本来なら初優勝の和貴が手荒い祝福を受けるものだが、3人揃って表彰台の傍へ進む。
3本のシャンパンシャワーが理奈に向けられた。
理奈は慌てて逃げようとしたが、逃げ道がなく敢え無く餌食に。
上から下までシャンパン浸しになった理奈から、
「ひっどい!」
という子声をマイクがひろうと、中継メンバーは大爆笑になった。
それだけで終わらず、3人揃って理奈を担ぎ上げ、表彰台の中央に立ってしまった。
眩いばかりのフラッシュが焚かれる。
このレースの真の勝者が誰なのかを証明するような光景だった。
そしてインタビューが始まる。
「カズタカ、デビューレース優勝は1961年のバレッティ以来の大快挙、しかも最年少優勝に加えてハットトリック達成。まさに完璧な週末でした」
「ありがとうございます。でもこれはチームが素晴らしい車を用意してくれて、しかも最高の戦略でした。正直ラクなレースでした」
「ソフトタイヤで45周、これがあり得ません。皆驚きました」
「1ストップの戦略はスタート前にリナから聞きました。無謀かと思いましたが、全然問題ありませんでした」
インタビューはアロンソとベッテルに続く。
「サエキのドライビングはF1にとって大きなターニングポイントになるだろう。この走りとセッティングをマスターしないとダメだ」
「サエキだけでなく、リナにもレクチャーに加わって欲しい。セッティングはもちろん、マシン開発の方向性も大きく変わる。とにかくここからやり直しだよ」
そしてインタビューが本来行われない理奈にも及んだ。
だがシャンパン集中砲火を受けた理奈は至って不機嫌だった。
「とりあえずこの後不甲斐ない走りだったマックスにお説教です。デビューレースの新人にラップダウンなんて情けないにも程があります。マックスも欠場のダニエルも次のモナコまではカズのドライビングのスパルタ教育に入ります」
これでまた大爆笑。
「カズタカ、代役の君には辛い質問だろうが、次の活躍はいつ見られるでしょうか?」
「僕には先のことは分かりません。けどもし次があるなら、今日みたいに全力で走るだけです」
F1の歴史が塗り替えられた1日は、こうして幕を閉じた。




