第二話 出会い
足を踏み込むと、落ちた木の枝の折れる音が小さく鳴った。
ネネコが鬱蒼と茂る森に入ってから数時間が経つが、前も後ろにも未だに出口は見えなかった。
「暗くなってきましたね」
森の中は彼女がたてる音と木々が揺れるだけの音だけで、不気味なほど静かだ。ネネコは魔法で大きな杖を召喚して、両手で抱えた。
第一通過点であるミニスタウンは、エスペラン魔法大学から1日歩けば辿り着ける場所に位置している。
道中にあるこの森は、通常であればその日の昼過ぎには抜けられるくらいの距離にあった。
しかし少女は、いまだ森の中腹部。身長130センチのネネコが徒歩で到着するには、目的地がすこし遠すぎたのだ。
「最初の町にいくまでは、先生のご厚意に甘えて一緒に来てもらえばよかったでしょうか」
不意に出た言葉は弱々しく、大きな森に吸い込まれて消える。ネネコは、自分が無意識に放った言葉にハッとして、大きく首を振った。
「いいえ、一人で旅立つと決めたのは私じゃないですか」
小さな両手を頬に打ち付けると、ペチンという音と共に白い肌にじんわりと赤みが広がった。
「それに私の特異体質のせいで誰かを傷付けるのは、もう嫌ですから」
ネネコは自身の手を見つめた。人の体温より少し熱い小さな手のひらが、スクリーンになったかのように過去の出来事が映し出される。
炎が燃え盛る。爆発音と共に、真っ赤な炎のなかで両親が苦しむ姿。自分自身の魔力を制御できずに起こった、大きな過ちだった。
そこから両親の元を離れ、十年間エスペラン魔法大学で学んだが、未だに自身の力をネネコはコントロールしきれずにいる。
「でも今は一人なのですから、誰かを気にする必要もありませんか」
弱気な思考を振り払うように頭を振ってから、空を見上げた。木々の隙間を覆っていた雲が、引いていく。
薄い雲が去って、赤みがかった満月が現れると、木々の隙間から森をぼんやりと照らし始めた。
「……ですが人間が弱っているところに漬け込む魔族もいるのですから、しっかりとしないとですね。こんな夜は特に」
それにしても、静かだ。
虫の鳴き声も、小さい魔物が姿を隠す音もしない。
「様子がおかしいですね」
満月の日は魔物が活性化することを、ネネコは知っている。
この森には少なからず魔物が居るはずだ。その魔物たちが、血沸き肉躍る満月の日に大人しくしているなんて、考えにくいことだった。
「少し戻って開けた場所で夜を明かすことにした方がいいでしょう」
夜に歩きまわるのは危険だが、やむを得ない。幸いネネコには、襲撃に対応できるほどの魔力が常に残っている。
そうして踵を返した瞬間、遠くの木々がザワっと揺れた。
「まままままさか」
静かな夜。満月の森の中で現れるものと言えば。
額からじんわりと噴き出した汗が、青ざめたのネネコの頬を伝った。
震える杖の先を森の奥に向けながら、平常心を総動員させる。実戦経験は、魔法大学在学中に何度かあった。
だがそれはあくまで実践演習であり、先生の庇護下の元で行われたものだ。
そして今のネネコは、孤独だった。
「落ち着いて、落ち着くのです」
言葉とは裏腹に、乱れていく呼吸。目の前はぼんやりと揺れ、力の入りきらない足は今にも崩れ落ちそうだった。
「そ、そうです!ままままずは魔力で障壁を作りましょう」
混乱しながらも魔法大学で習ったように、魔力を手元に集めていく。
体内の魔力器官に溜められている魔力を、手元に流し込む。ことはこれまで大学で何度も学んできたことで、息をするように魔力が腕を通じてネネコの指先に集まっていく。
そして指先に集まった魔力を、杖へ伝わせ、杖の先端にあるピンクの丸い魔石へと集約させた。
「慣れたことをすると、すこし落ち着きますね」
ネネコの杖の先には、ピンク色の細かい粒子が渦巻くように浮遊している。
「ですが、何か物の影はもう少しでこちらに」
遠くで聞こえていた木々を揺らす何かは、どうやらもう目の前まで来ている。
ネネコは対象を警戒しながら両手で杖を握った。
そして目の前に広がる緑が、揺れる。
そして茂みが大きく揺れると、何か黒い物体が飛び出してきた。
「これ以上こっちに来ないでください!」
――「エニグマティック・シールド!」
少女は大声を張り上げると、魔法陣が浮かび上がる。
魔法陣で編み込まれた強力なバリアが、瞬間的に大きな円を生成していった。
しかし、ネネコは茂みから飛び出してきたものを見て、強固に編み上げた魔法陣を咄嗟に粒子化して分散させた。
茂みから飛び出してきたのは。
「ね、猫、さん」
それは真っ黒の猫だった。
飛び出した黒猫は、しなやかに着地してネネコを見上げている。綺麗な毛並み。首輪はついていない。きっと飼い猫なのだろう。暗闇から光った瞳は、少女の目のまで固まっている。
「に、にゃあ」
頭が真っ白になったネネコの口からでたのは、分からない猫語のような鳴き声のマネだった。
緊張の糸が切れたように膝から崩れ落ちると、ネネコは地面の上に尻餅をついていた。
呆然と猫を眺めていると、猫は少女に近づき土のついたローブの裾を引っ張った。
「なんでしょうか」
人慣れしている猫のしぐさに頬を緩ませて手を伸ばすと、森の奥で禍々しい咆哮が響いた。
――ヴオオオオ。
「この鳴き声は……」
――ジャイアントベア、ですか!?




