3.冬の拾得物
この謎の石の話が都市伝説の域を少し超えてきたのは、年が明けて正月気分も抜けた1月半ばごろのことである。
この街で最も初詣客の多い笹尾神社の境内に、それと思わしきものが2つ並んで置かれている写真が、インターネットに掲載された。「私たちはこの2つの石のおかげで幸せになりました」というコメントも添えられていた。ちょっとしたニュースにもなり、一気に噂から事実?に格上げされたというわけだ。
そのご利益は定かではないものの、こういうものには信じる心が大事であると、特に若い女性を中心に話題に上がることがあった。
写真の石にも、阿部が見つけたものと同じように、何かの模様か記号に見えるものが埋め込まれている。よく見ると花弁のようにも見える。もう一つも同様だが、その並び方は異なっていた。
全部で20個ぐらいあるという噂もある。まだ何処かにあるなら私もあやかりたいと思うのは、おかしな話ではない。ただ、この神社の2つを除いては、何処にいくつあるのかすらわからない。まだ都市伝説の域を完全には出ていなかった。
雪のちらつく寒い日曜日、中村はいつものようにラッキーナンバーを確認してから行きつけのタイガーに出陣した。
今日は「6」らしい。かに座の運勢も2番目に良かったので、朝からテンションは高まっていた。
タイガーに着いた。まだ開店直後とあってそんなに客は多くなく、難なく6番台を確保したのだった。
そのとき財布がないことに気づいた。道中のコンビニでショートホープを買った時は確かにあった。
しかし今はない。何処かで落としたのかもしれない。
中村は念のため自分の自転車のかごに忘れているのでは?と思い、急ぎ駐輪場に戻ったがその期待は見事に裏切られた。
ちょうどその時、田中も愛車の8年落ちのコンパクトカーで到着した。洗車もあまりしていない水垢だらけの白い車は、どことなく哀愁を漂わせている。
「中村さん、いつも早いね〜」
「それどころじゃないんですよ、財布を落としてしまったみたいで」
田中は本当に運のない人だなと思いながらも「警察に届いてるかもですよ。思い当たりがないなら早くいったほうがいいですよ」とアドバイスした。
中村は厚かましくも田中に車に乗せて連れて行ってくれと懇願した。
田中は心では「なんでオレが?」と思いつつも、勢いに押されて同意してしまった。早く打ちたい新台があったのにと釈然としないまま、中村を助手席に促した。
中村の自宅からタイガーまでは、自転車でおよそ10分の距離である。そのちょうど中間あたりに交番がある。
田中の愛車で交番に乗りつけた中村は、お礼もなく一目散に車を降りた。
「財布を落としたみたいで」
応対したのは浜田康介巡査である。
「どんな財布ですか?今のところ財布の拾得物はありませんが」
声の大きすぎるこの警察官は、よく言えば元気な人なのだろうが、どこか空気を読めない雰囲気を醸し出している。
財布を落とした相手に、どこか楽しそうに話しかけているようにも聞こえてしまう。
中村は「ないのに聞くなよ」と思いながらも、その特徴を伝えた。中身は少しばかりの小銭と、紙幣が15,000円ほどはあったはずだ。それから免許証とクレジットカード、その他ポイントカードの類である。
あとはゲン担ぎに初詣で買った、笹尾神社の金運お守りを忍ばせている。
浜田は歯の黄色い中村の顔をまじまじと見つめてから、「遺失届出書にご記入ください」と案内した。
中村のことである。「この用紙に詳しく書くならわざわざ聞くなよ」と思いながらも、誰かが届けてくれた時を考えると従うほかなかった。
「なにかあれば連絡しますよ」そう言いながら、さして珍しくもない出来事に浜田は大きな声で粛々と対応するのだった。
交番を後にして、また田中の車に当然のように乗り込む。
今日はパチンコどころではない。自分でも来た道をくまなく探すつもりで、もう一度駐輪場まで戻った。
浜田巡査は34歳独身である。現在4つ下の後輩と交際中であり、そろそろ結婚を考えてはいる。
高校卒業ののち、警察学校を経て赴任してきた。中学、高校とサッカー部で鍛えた身体で、その時期はそれなりにモテてもいたらしい。
実直で正義感の強い男であるが、6年前に警ら中に偶然見つけた空き巣犯を現行犯逮捕したのが唯一の武勇伝であった。それ以外は何もないけれど、むしろそれが良いことだとも思っている。
彼女とも非番がなかなか合わない悩みはあるものの、一応は順調であるのだが、せっかく非番が合っても釣りを優先するところがあり、まだまだ結婚への道のりは遠そうだ。
財布は見つからないだろうなと思いながら、明日の非番に大好きな海釣りに行くことを思い出し、財布のことはすっかり頭から消し去ってしまった。
本日の勤務も特段の問題なく終わり、家に帰り着くと明日の準備に取りかかった。
断然海釣り派なのだが、やむなく堤防専門である。
「明日が楽しみだ。狙いはカレイだ!」
そう意気込んで竿の手入れをしていると、突然電話が鳴った。一瞬仕事では?と嫌な予感もしたが、画面に表示されていたのは彼女の大場由香里の名前だった。
警察官の本能ともいうべき条件反射で、この電話はとるべきではないと判断。気の利いた言い訳を考える時間が欲しい。本官は曲がったことが嫌いなのだ。
呼び出し音が鳴り止むと、ほどなくしてメールが届いた。
「何か約束していたような・・・」
本官はそれ以上考えることを放棄して、竿磨きに専念することにした。
幸いにも中村の財布はほどなくして見つかった。どこかの親切な老夫婦が届けてくださったのだそうだ。
「いやぁ、今回ばかりは参りましたよ」
中村はいつものタイガーの喫煙室で田中に告げる。
「よかったね〜、でも何処にあったの?」
「ここから300メートルぐらい先の公園のベンチにあったそうですよ。そんなベンチに近づいてもいないですけど」
「誰かが置いたんだろうね。中身もあったんでしょ?」
「ええ。それも問題なく。日本は平和でよかったですよ」
「ところで田中さん。あとからその公園に行ってみたんですが、そのベンチにこんな石が落ちてたんですよ。これってもしかして以前に聞いた幸運の石?」
確かに笹尾神社の写真に写っていた石と似ている。中には十字に並んだ花弁のようなものが入っていた。
「いずれにしても良かったね。早速ご利益あったみたいで。あっ、でも先ヅモだね(笑)」
「先ヅモでも勝てばいいんですよ!」
中村からはいまだお礼の缶コーヒーどころか言葉もない。
田中は心で思っても口に出せない小心者タイプだが、この時ばかりはわざと「のどが渇いたね」とにおわせるように話を振ってみた。
「僕はさっき飲んだんで」
あえなく話は終了した。
その日、田中は結局自分の小銭で缶コーヒーを買った。そこで闘志に火が付いたのだろう、久しぶりの快勝だった。
早めの17時半にはタイガーを後にする。
今日勝ったことは中村には伝えていない。声ひとつかけず足早に帰路についた。
一度自宅に戻り今度は徒歩で近所の焼肉屋「焼肉ばんざい」に向かう。暖簾をくぐるなり店の大将から「今日は勝ったんだ?」と見透かされる。
「まあね。今日はジャンジャンもってきてよ!」
威勢のいい返事とは裏腹に、とりあえずライスの大盛りは頼んでおく。肉の食べ過ぎを防止するための田中なりの節約術だ。
それから大好きな卵スープは外せない。
しかし、まずは何よりビールだ。1杯目をあっという間に飲み干し、ハイボールに移行した。
「大将、少し濃い目で、サービスで」
牛タンをさっと炙っている間にレモン汁を絞りスタンバイする。この瞬間がたまらなく好きなのだ。
1時間半は堪能しただろうか。すっかり腹の膨れた田中は大将に今日の出来事を掻い摘んで話した。
「その石と同じようなやつ、うちにもあるよ」
驚いた田中は聞き直した。
「どこで見つけたの?ご利益あった?」
大将はいつからあったかもよく覚えておらず、レジのトレーにあるお札が飛ばないよう、重し代わりにしていたらしい。これにも、いびつな模様が埋め込まれている。
「ご利益はこの店が繁盛していることだね!」
なるほどそうだ。こんな汚い店でも、味がよく安いときている。流行らないわけがない。
田中はその石が欲しいとは声に出せなかったが、大将がそれを察してか快く譲ってくれた。
思わぬ成り行きにもう一杯飲もうかと思ったがお礼を告げて店を後にした。
焼肉屋を出た後に服に染みついている匂い。これが今日の自分の成果のすべてを物語っている気がした。
「焼肉ばんざい」は田中にとって名店である。大将とも気心が知れている。いつも家族連れやサラリーマンたちで賑わい、東楓駅周辺ではおそらく人気、実力ともにナンバー1だろう。
まだ夜は肌寒いが、こんな日はこの夜風も乙なものだと鼻歌交じりで帰路についた。
話は少し戻って、中村が財布を落とした翌朝。日本海に面した楓市は、朝夕の冷え込みが厳しい。
そんな寒さの中、浜田は朝早くから堤防に陣取っていた。竿を出してアタリを待つ。この瞬間がたまらなく好きなのだ。コーヒーが大の苦手な浜田は、ポットに熱いお茶を入れて持参していた。寒空の下で飲むお茶もまた、釣りの醍醐味の一つである。
考えてみれば贅沢な悩みなのだが、学生時代にそれなりにモテたせいか、人生の運の大半を使い切って警察官となってからは見放されている感覚があった。
由香里への言い訳をどうしようと考えながらじっと竿先を見つめる。
そんな矢先、また電話が鳴る。由香里からである。昨日は結局折り返すことなく明日に備えて早めに就寝していたのだ。
とっさに警察官の本能ともいうべき危機感が全身を襲う。この電話もとるべきじゃない。
気を取り直し一度餌を確認してからおもむろに投げ入れた。
こう見えて意外と釣りは上手なほうで、15時ごろには十分な釣果も得られ、まだ日の明るいうちに堤防を後にした。
磯臭い魚屋の車かと間違うような愛車のワンボックスカーにたどり着き、釣果を満足げに眺めていると、家族連れで釣りに来ていた小学生の男の子がキラキラした目でクーラーボックスを覗き込んできた。
「すげー!いっぱい釣ってる!」
お目当てのカレイはもちろん、他の魚も入っている。
「うまいだろ〜」浜田は大きな声で鼻高々に自慢した。
「おっちゃん、一匹頂戴!」
本官は魚屋ではなくて警察官だぞと思いながらも、元来の気前のよさで、好きな魚を2匹選ばせた。
「ありがとう!おっちゃん。お礼にこれあげる」
どこかで拾った石のようだ。ひょんなことから魚2匹が幸運の石に化けた瞬間であった。
「おー、ありがとう」
そう言いながら帰り支度を済ませて車に乗り込んだ。
車で南へ30分ほど走ると浜田の家がある。釣りが好きならもう少し海沿いに居を構えればいいものを、なぜか内陸寄りの小高い丘の上だ。家に着いて荷物を下ろし、一息ついた瞬間、またもや由香里からの電話であった。
意を決して取る。いつもの大きな声はすっかり鳴りを潜めてか細い声になっている。
「昨日は充電が切れてて気づかなかった、ごめん」
「充電切れてたらコールしないよ、不思議だねぇ〜」
しばし沈黙の後、それには答えず「今日はどうしても外せない急用があって実家に急行していたんだ」
我ながらファインプレイである。
「今日は水族館連れて行ってくれる約束してたのに忘れてたでしょ。そしてほんとは釣りに行ってたんでしょ?」
名探偵である。事ここに及んでは言い訳はむしろ悪手だと警察官の本能が告げる。
「本当にごめん。お詫びに夜、好きなのご馳走するから」
「まぁ、今回はそれで許すけど次同じことしたら知らないからね!」
早速幸運の石のご利益か?と胸をなでおろした。
「あら、昨日は見かけなかったわね。パチンコ勝ったの?」
田中が焼肉を食べた翌日のことである。いつもののり弁を買いに来た田中に、田代のおばちゃんが声をかけた。
「昨日は豪勢に焼肉ですよ!いやぁ美味かったな〜」
「さらにはたまたま今噂の例の石を手に入れることができてね。これでパチンコも連勝街道まっしぐらかも!」
「え〜いいなぁ、それって何個ぐらいあるのかな?」
「さぁ、それは知らないけど、どこかの神社で販売していたとかなら大量にありそうだけどね」
「でも聞いたことはないな〜、そんな話」
確かに、どこの神社や寺で売っているとも聞かない。ましてや店で販売しているという話も聞いたことがない。
やはり謎は謎なのだと思った田中は、自分がその選ばれし者になったという優越感に浸っていた。
とはいえ、いくつあってもいいし、これで幸せになるなら誰も困らない。
「田代さんも意外なところにあって手にする時が来るかもよ」
「そうあってほしいわ〜。私はその石手に入れて痩せる!」
田中は苦笑いして、胸の内で「努力しないと無理だろ」と悪態をつきながらレジに向かうのだった。
その日はいつもに増してコロッケが売れた。田代オリジナルの、少しだけクリームを入れたコロッケだ。普通のものとクリームコロッケの中間の食感が人気で、ジャガイモの甘みと相まって、いくつでも食べられる。
定番のほかに、かぼちゃ、カレー、牛スジ味もあるからなおさらだ。
田代のおばちゃんは19時まで働いてから、そのまま買い物をする。今日は私もコロッケを買って帰ろうと4つかごに入れた。今日の献立のメインは、昨日仕込んだアラと大根の煮付けである。大根がアラの旨味を存分に吸って、これが酒にも飯にもよく合うのだ。
あとは地元の味噌をふんだんに使った豆腐と油揚げとわかめの味噌汁、そしてこのコロッケ。
レジに向かう途中に目に留まった、モンブランケーキ(2個入り)がどうしても気になる。食後に洋二郎と1個ずつ分けようと決め、これもかごに入れる。
急いで家に帰って夕飯の準備だ。もっとも、洋二郎も何かと手伝ってくれる。さなえが遅いときは米を研ぎ、炊飯器をセットしておいてくれるので助かっている。
洋二郎もさなえの作ったコロッケが大好物だ。4つとも味の異なるコロッケを食卓に並べる。先にさなえに選ばせて、残った2つを自分の皿に入れた。今日は普通と牛スジコロッケだった。
食事中にさなえが「幸運の石の噂って知ってる?」と洋二郎に聞いてみた。
どうせ知らないだろうと思いながらもどんな石か簡単に説明した。返事を待っていると、意外なことに知っているという。
よくよく聞いてみると、なんと田代家の猫の額ほどの庭に転がっていたというではないか。
石みたいだし特に邪魔にもならないし、そのままにしてあるよとのこと。
見つけた時は特に何も思わなかったが、今の話を聞いてひょっとして?と思ったらしい。
気になるさなえであったが、とりあえずはおかわりしてからにしようと思いとどまった。
食器洗いもそこそこに洋二郎とともに庭へ向かう。
懐中電灯で探すこと数分、洋二郎が見つけた石は、噂に聞いた幸運の石そのものだった。
同じくこの中にも丸のような四角のようないびつな模様があった。
喜び勇んでリビングに戻る。すっかり上機嫌なさなえは、食後のデザートとして購入したモンブランケーキを思い出し、1個ずつ食べようと洋二郎に促した。
「いいよ、もうおなかいっぱいだし」
「えー、でも早く食べないと生ものだよ」
「2つとも食べなよ」
「いいの!?」
洋二郎は胸の内で「だから痩せないんだよ」と悪態をついた。
さなえは「早速石のご利益かしら?」と目を輝かせていた。




