ローゼリアの剣
解体を終え、火を起こす。
肉が焼ける匂いが広がる中、エルナは少し離れた場所に座っていた。
体はまだ痛むものの、致命傷はない。
骨も折れていないし、出血もない。
(なんでだろう?)
あの一撃を受けて、それだけで済んでいる。
本来なら、即死でもおかしくなかった。
視線を落とし、自分の剣を見る。
無意識だった。
ただ、生きるために体が勝手に動いた。
受けて、逸らして、逃がす。
完全ではないが、直撃ではなかった。
「……」
考え込んでいると、不意に声が落ちてきた。
「思った以上にいいな」
顔を上げると、そこにはアルベルトが立っていた。
手に持つ焼けた肉を無造作に放ってくる。
「ありがとうございます」
慌てて受け取り、小さく礼を言う。
アルベルトはそれ以上気にした様子もなく、その場に腰を下ろした。
やがてエルナは、意を決して口を開く。
「どうして……戦わせたんですか?」
どう考えても無謀だった。勝てるはずがない。それをアルベルトも知っていたはずなのに彼は戦わせた。
アルベルトは少しだけ考えるように間を置き「見たかっただけだ」とあっさり言う。
「……何を、ですか?」
「お前の剣」
(私の剣技が見たかった? それだけ?)
エルナは眉をひそめる。たったそれだけのために自分は死にかけたのかと。
「負けるのは分かっていたはずです」
「ああ」
「だったら」
「だからだ」
アルベルトは言葉を遮り、そのまま淡々と続ける。
「格上相手にどう戦うのか見たかった。それに何となく分かっていた。お前が負けるのも、死なないのもな」
エルナは息を呑む。
確かに余裕がある相手では本質は出ない。
それにしても、あれは極端すぎる。
しかし、そう言おうとして、やめた。
あの場にアルベルトがいなければ、どちらにせよ死んでいた。この場所に来た時点で自分の命など、そこらに生えている雑草と変わらないのだとエルナは悟った。
「それで、どうでした?」
アルベルトは少しだけ視線をそらし、思い返すように沈黙する。
「悪くはない」
その言葉にエルナは目を見開く。
「あれでですか? 何もできなかったのに?」
「当たれば終わりの一撃を逸らしただろ。俺の剣の時のように」
アルベルトが事実をそのまま述べる。
「あれは悪くない」
エルナは思わず自分の手を見る。
恐怖は消えていない。
それでもやったことは確かに事実だった。
「無意識です」
「それでいい。考えてやれるもんじゃない」
アルベルトは肉を一口かじり、淡々と続ける。
「お前のは、守る剣だろ」
「はい」
「なら、それでいい」
エルナの胸の奥にわずかな熱が灯る。
この男にほんの少しでも認められた事実が嬉しかった。
アルベルトは視線を戻す。
その目は以前とは明らかに違っていた。
無関心ではない、はっきりとした興味がそこにあった。
「面白いな」
彼の言葉にエルナは何も言わず、ただ剣を握る。この刃が届く場所はまだまだ少ない。
それでも、この剣で進むしかない。
ローゼリアの誇りを途絶えさせないために。
◇
夜のような静けさだった。
火の音だけが小さく揺れ、エルナはじっとその火を見つめていた。
手は膝の上に握りしめたまま、開かない。
何度も言葉を飲み込み、そして、ついに重い口を開く。
「お願いがあります!」
ようやく声にした。
向かいに座るアルベルトは視線も向けずに肉を口に運んでいる。
「なんだ?」
いつも通りの淡々とした声。
エルナは目を逸らさず、しっかりと彼を見据える。
「強くなりたいです」
アルベルトの手がわずかに止まり、顔を少しエルナに向けた。だが、すぐにまた動き出す。
「なればいい」
あまりにも簡単に、自分には関係ないといわんばかりに彼は言った。
エルナは歯を食いしばる。
「なれません。このままでは…」
絞り出すようにエルナは続ける。
「このままじゃ、どこにも届かない。誰一人守れない」
あの狼との圧倒的な差。思い出すだけで体が強張る。
そして、それすらも軽く凌駕する目の前の男。粗末な木刀、しかも力のほんの一部しか出さずに。
「だから…」
一瞬言葉が詰まるも、意識的に顔を上げる。
逃げないと決めたから。
「教えてください!」
静寂が落ちる。火の音だけが絶え間なく響く。
アルベルトは、しばらく何も言わなかった。
「教えられることなんて何もない」
そして、そう言い放った。
エルナの胸がわずかに締め付けられる。
予想していた答えだが、それでも痛む。
「俺のは真似できるもんじゃない」
事実だと思った。あの剣は、力も、経験も、鍛錬も違いすぎる。同じことをやれと言われても不可能だ。
エルナは俯き、言葉が出ない。
「でも……それでも、知りたいんです!」
顔を上げ、まっすぐにアルベルトを見つめる。
「どうすればいいのか」
正解じゃなくていい。
ただ、前に進むためのきっかけが欲しかった。
アルベルトはその目をじっと見つめ、しばらくして視線を外す。
「……好きにしろ」
突き放すような言葉だが、拒絶ではなかった。
「はい。好きにします」
それだけでも十分だった。
立ち上がり、剣を取り、そして振る。
まだぎこちない動きだが、振り続ける。
火の明かりの中で剣が揺れる。
アルベルトはそれを横目で見ていた。
(……教える、か)
当然、考えたことなどなかった。今まで誰かに教えたことなどあるわけがない。
そんな時、頭の中にさっきの光景が浮かぶ。
巨大な狼から振り下ろされる一撃。
それを逸らしたあの動き。
(あれは…)
自分にはない受けるという発想。
流すという技術。必要なかったから知らない。
しかし、確実に今まで知らなかった剣がそこにあった。
もうこの地に壊せないものなど何もない。
アルベルトが一度本気で剣を振れば、大地が揺れ大気が振動し、あらゆるものが消滅する。
自分の剣はすでに完成した形だという自負があった。
だが、もしあれを自分も使えたら、どうなる?
そんな事をする必要がないことは分かっている。
ただ、自分のできない剣術をできる者がいる。
アルベルトは想像する。
すべてを破壊する剛の剣と、いわば対極をなす柔の剣。
(久しぶりの感覚だ)
自然と口元がわずかに歪む。
単調な素振りだけではない新たな技術。
より速く、より強く、全てを薙ぎ払う。
もう死なないために。
彼はただそれだけを追い求めてきた。
気づけば、立ち上がっていた。
エルナの後ろへと近づき、振られる剣の動きを間近で見る。
隙も多く、無駄もある。だが、確かな技がそこにはあった。
「もう一度やってくれ」
アルベルトの言葉にエルナの動きが止まる。
「え?」
「今のだ。もう一回」
エルナは驚きながらもすぐに構え、振りかぶる。
アルベルトはその軌道をじっと見つめ観察する。
(こうか?)
自分も剣を構え振ってみる。同じ動きのはずなのに、まるで違う。これでは力が強すぎて壊してしまう。受け流すことなど到底できない。
「できんな」
そんな光景をエルナは不思議そうに見つめていた。この男が何をしようとしているのか分からなかったからだ。
「だが、やる価値はある」
その言葉は自分に向けたものであった。
しかし、エルナもその言葉にゆっくりと頷き、アルベルトとともに剣を振る。
異なる剣。異なる思想。
対極の剣は同じ動きを繰り返す。
交わらなかったはずのものが、少しずつ重なり始めた瞬間だった。




