決着
荒い呼吸が静まり返った岩場に響いていた。
エルナの視界は揺れ、足元すらおぼつかない。剣を握る手は震え、指先にはほとんど力が入っていなかった。
(もう、限界……)
肺が焼けるように痛い。魔力は枯れかけ、ヒールを使うたびに意識が遠のく。
それでも、倒れるわけにはいかなかった。
ゆっくり顔を上げると、対峙するドラゴンもまた、満身創痍だった。
青い鱗は各所で剥がれ、血が滲み、呼吸は明らかに荒い。先ほどまで驚異的だった再生も、今は目に見えて鈍っている。
互いに動かない。
だが、戦いはまだ終わっていない。
アルベルトの言葉が脳裏に蘇る。
(止まれば負ける……)
エルナはゆっくりと、震える手を持ち上げた。
視線はドラゴンから外さない。
(次で、決める)
残った魔力をかき集め、底に沈んでいた最後の一滴まで無理やり引きずり出す。
周囲の岩がかすかに震えた。
「レビテーション」
声はかすれていたが、それでも魔法は応える。
地面に散らばる石がいくつも浮かび上がった。
以前よりも数は少なく、精度も甘い。
それでもいい。
(意識を散らす…)
「いけ」
石がばらばらに飛び出すと、ドラゴンが反応した。弱っているとはいえ、その感覚は鋭い。
顔を振り、翼をわずかに動かし石を避ける。
だがその瞬間、エルナの目が鋭く細められた。
(今だ!)
残していた、たった一つの石。
それだけにすべてを込める。
(当たれ!)
迷いのない軌道で放たれた石が空気を切り裂きながらドラゴン目掛けて飛んでゆく。
ドラゴンの意識はまだ周囲の石に向いていた。気付くのがほんの一瞬遅れ、ガキンッと鈍い音が辺りに響く。
石は正確に、ドラゴンの目を撃ち抜いた。
「ギャァァァアアッ!!」
巨体が大きくのけぞり、首を振り乱し、血が飛び散る。
天を仰ぎ、もがくその姿を確認する間もなく、エルナはすでに駆け出していた。
足がもつれそうになりながらも、止まらない。
(これで……終わらせる!!)
全身の痛みも、疲労も、すべてを無視して前へ出る。ドラゴンの懐へ潜り込み、視界の端に狙いを定めた。
鱗が薄く最も弱い場所、喉元へと。
「はああああッ!!」
エルナは最後の力を振り絞り、アビスソードを突き立てた。ズブリと鈍い感触。
刃は深く食い込み、確かな手応えが伝わる。
ドラゴンの体が大きく震えた。
「――ォォオオオオオオッ!!」
それは怒りか、痛みか。
一瞬静止した後、巨体が力を失ったように崩れ落ち、大地が揺れた。
さきほどまでの緊迫感が嘘のように風の音だけが、わずかに残る。
「ふうぅ〜」
膝が折れそうになるのをなんとか堪え、エルナはその場に立ち尽くす。剣を握る手がするりと滑る。
(勝った…)
ぼやけた視界に映るドラゴンは、全く動かない。
口からは血が溢れ、呼吸も弱く、今にも瞼が閉じようとしていた。
「…ごめん……」
エルナの口から、絞り出すように声が零れた。
ゆっくりと歩み寄り、その巨体のそばに膝をつく。
(倒すしかなかった、でも……)
胸が締め付けられる。自分のせいでこれほど苦しんでいる相手をこれ以上見ていられない。
エルナは震える手をドラゴンへと伸ばす。
「……ヒール」
淡い光が、ドラゴンを包む。
ほとんど残っていない魔力の全てを絞り出すように注ぎ込む。
「……ごめんね……ごめんね……」
何度も、何度も。
自分でも理由がわからないまま、謝り続ける。
魔力が削られるたびに、意識が遠のく。
それでも、やめなかった。
光は弱々しく、途切れそうになりながらも続く。
そして、限界が訪れた。
視界が暗転し、体から力が抜ける。
そのまま、エルナはドラゴンのそばに倒れ込み、意識が完全に途切れた。
「……」
アルベルトが一歩、前に出る。
視線は鋭く、周囲に気配を探る。
ドラゴンは確かに致命傷を負っていた。
だが、完全には死んでいない。まだ油断することはできない。
ゆっくりと、その巨体が動く。
アルベルトの手が、いつでも動ける位置に構えられた。
臨戦態勢を取る彼の警戒とは裏腹に、ドラゴンは攻撃の気配を見せなかった。
ゆっくり頭をもたげるその片目は潰れている。
だが残った瞳は、先ほどまでとはまるで違っていた。
静かで、穏やかな光。
その視線は、倒れたエルナに向けられている。
「ほぉ…」
アルベルトが、わずかに目を細めた。
ドラゴンはゆっくりと首を下ろし、エルナの体へと顔を寄せる。
そして、ぺろりと傷口を舐めた。
まるで確かめるように。
「なるほどな」
アルベルトは小さく息を吐く。
「やったか」
ドラゴンはその場に身を伏せ、エルナの傍から離れようとしない。
敵意はなく、警戒もない。ただ、静かに寄り添っている。
それは、明確な意思だった。
「従えた」
アルベルトは空を見上げ、わずかに口元を緩めた。
死闘の果てに得たもの。
それは討伐ではなく支配でもなく絆だった。
「大したもんだ」
こうしてエルナは、ドラゴンの幼体を従えることに成功したのだった。




