実戦
見通しのいい岩場に出た二人を、乾いた風が撫でていく。遮るもののない空はどこまでも広く、だがそれだけに、標的を見つけるのは容易ではなかった。
「いないな」
アルベルトが腕を組み、淡々と呟く。
エルナは額に手をかざし、眩しさに目を細めながら空を睨み続けていた。
「こんなに探しても見つからないものなんですかね?」
「相手も生き物だ。常に同じ場所を飛んでるわけじゃない」
アルベルトは地面にしゃがみ込み、岩肌に残る爪痕や、風に削られたような跡を指でなぞる。
「ここは通り道になってる。待てば来る可能性が高い」
エルナは小さく頷き、深呼吸をした。胸の奥で、じわじわと緊張が広がっていく。
(飛竜……それもドラゴン)
ワイバーンとは違う。アルベルトの説明は頭に入っている。狙うはドラゴンの幼体だ。
成体では今のエルナに勝ち目はない。だから狙うは幼体。しかし、ワイバーンの幼体では岩壁を越えられないという。
身体は小さくとも、鱗の硬さ、魔力、そして知能――すべてが格上。
(でも、やるしかない)
エルナは拳を握りしめる。逃げる理由はもうない。ここまで来たのだから。
その時だった。
「……来たぞ」
アルベルトの低い声に、エルナは弾かれたように顔を上げる。
青い影が、空を滑るように横切った。
「来た!」
雲の切れ間を縫うように飛ぶ、小柄な飛竜。
陽光を受けて、その鱗は深い蒼に輝いていた。
間違いなく、ドラゴンの幼体だ。
「距離は、まだある。落とせるか?」
アルベルトが横目で問う。
エルナは息を整え、ゆっくりと頷いた。
「やります」
両手を前に突き出し、意識を集中する。
周囲に転がる無数の岩――その一つ一つに魔力の糸を絡めていく。
(同時に、複数!)
これまで何度も失敗した訓練。
一つに集中すれば威力は出るが、数は操れない。
数を増やせば、精度も威力も落ちる。
だが今回は違う。
(存在を気付かせるだけでいい!)
完璧な一撃はいらない。数で圧をかける。
「レビテーション」
小声で詠唱すると、地面に転がっていた岩が一斉に浮き上がった。
十、二十――。
「いけ!」
腕を振り抜くと同時に、岩が空へと撃ち出される。
空を飛ぶ青いドラゴンが異変に気付き、甲高い鳴き声を上げ、急旋回する。
一つ、二つと岩がかすめるが、いまだ直撃はない。
「いいぞ、そのまま畳みかけろ」
アルベルトの声が飛ぶ。
エルナは歯を食いしばり、さらに魔力を流し込む。追撃の岩が、次々と空へ放たれる。
ドラゴンは回避するが、その動きに明らかな変化があった。
高度を下げている。
(来た……!)
苛立ったのかドラゴンが大きく羽ばたき、一直線にエルナたちへと突っ込んでくる。
思わず一歩引きそうになる足を、エルナは無理やり踏み止まった。
(ここで逃げたら、終わり!)
「当たれ!!」
ありったけの魔力を込め、残った岩を一斉に叩きつけるように撃ち出す。
そのうちの一つが鈍い音とともに、ドラゴンの翼の付け根に命中した。
「ギャッ!!」
悲鳴のような咆哮。バランスを崩したドラゴンが、空中でよろめく。
「今だ、追え!」
アルベルトの声と同時に、エルナは走り出していた。
ドラゴンは必死に体勢を立て直そうとするが、すでに高度は低い。
そして、岩場に激突し土煙が舞い上がった。
「はぁ……はぁ……」
エルナは荒い呼吸のまま、その場に立ち尽くした。
(落とした?)
信じられない、という表情で煙の向こうを見つめる。
やがて風が吹き、土煙が晴れていく。
そこにいたのは翼を震わせながらも、なお立ち上がろうとする青いドラゴン。
「まだ終わりじゃない」
アルベルトが静かに言う。
その声に、エルナの背筋が伸びた。
「ここからが本番だ。空を奪っただけに過ぎん」
ドラゴンが低く唸る。黄金の瞳がまっすぐエルナを射抜いた。敵として、認識されたのだ。
エルナはゆっくりと剣に手をかける。
「いきます」
小さく、しかしはっきりと呟く。
土煙が晴れた瞬間、空気が張り詰めた。
青いドラゴンはゆっくりと頭をもたげ、黄金の瞳でエルナを射抜く。先ほど翼に受けた傷は確かに深いはずだった。だが、その裂け目はすでにじわじわと塞がり始めている。
「回復が早い」
「言っただろ。ドラゴンはそういう生き物だ」
アルベルトの声は落ち着いている。だがその目は鋭く、戦況を一瞬も見逃していない。
ドラゴンとワイバーンの決定的な違いは見た目だけでなく、類まれな飛行能力と自然治癒力。
その現実をまざまざと見せつけられる。
「浅い傷じゃ意味がない。だが、焦るな」
エルナは小さく息を吐き、剣を抜いた。
(出せる全てを使う!)
ローゼリアで叩き込まれた受け流しの剣。
アルベルトから教わった全てを断ち切る重い一撃。そして、猛練習を重ねてきた魔法。
どれか一つでは足りない。
すべてを繋げて、初めて届く。
ドラゴンが低く唸り、地面を蹴った。
(速い!)
突進してくるその巨体に、エルナは正面から向き合う。
振り下ろされる前脚を横から斬り払い、重い衝撃を和らげつつ受け流す。
それでも完全には勢いを殺しきれず、腕に痺れが走る。だが、直撃よりははるかに軽い。
そのまま体を捻り、懐へ潜り込む。
「はぁッ!」
渾身の一撃を、鱗の隙間へ叩き込む。
硬い感触。しかし、刃は確かに食い込んだ。
「ギャッ」
ドラゴンが身をよじっている間に、エルナはすぐ距離を取る。次の一撃が来る前に離脱するのは鉄則だ。
尾が唸りを上げて薙ぎ払われた。
回避が間に合わず咄嗟に剣で受けるも、衝撃を殺しきれず、体が弾き飛ばされる。
「ぐっ!」
岩に背中を打ちつけ、息が詰まる。
視界が揺れ、肺がうまく動かない。
(立て……!)
無理やり息を吸い、震える手を地面につける。
その間にもドラゴンは体勢を立て直し、再び距離を詰めてくる。
(間に合わない)
エルナは歯を食いしばり、片手を胸に当てた。
「ヒール!」
淡い光が体を包み込む。
潰れかけた呼吸が一気に戻る。痛みが引き、筋肉が動く。完全ではないが、戦える。
「まだ、いける」
立ち上がるエルナを見て、ドラゴンが再び吠え、口を大きく開く。
「ブレス来るぞ!」
アルベルトが言った次の瞬間、青白い炎が吐き出された。
エルナは横に跳ぶも、熱風が頬を焼き、髪先から焦げた匂いが上がる。
(距離を取らせる気だ!)
ドラゴンはその隙に後退し、翼を広げた。
「飛ばせるな!」
アルベルトの一言で、エルナは即座に理解した。
「レビテーション!」
近くの岩を強引に浮かせる。
狙いは精度ではない。タイミングだ。
羽ばたこうとした瞬間に、岩を叩きつける。
翼に再び衝撃が走り、ドラゴンの動きが一瞬止まった。その隙を逃さない。
エルナは地を蹴り、一気に距離を詰めた。
「やあッ!」
今度は受け流しではない。
アルベルトに叩き込まれた破壊の剣。
全身の力を乗せて振り下ろすと、鈍い音とともに鱗が割れる。
深いが、致命には届かない。
ドラゴンは苦鳴を上げながらも、強引に体を振り回す。
再びの衝撃に、エルナは転がるように距離を取った。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が乱れ、魔力も削られている。
しかし、それは相手も同じはずだった。
見ると、ドラゴンの傷は信じられない速さで再生していく。
「……もう塞がってる」
翼の傷も、先ほどより明らかに薄くなっている。
「お前が削った分、向こうも戻る。そういう戦いだ」
アルベルトが静かに言う。
「止まれば負けるぞ」
エルナは唇を噛んだ。
(決定打がない……)
斬っても回復される。叩いてもまた立ち上がる。それは相手も同じだ。
ドラゴンの攻撃で何度も吹き飛ばされ、そのたびにヒールで立ち上がる。
互いに致命傷には届かない。
終わらない削り合い。
「でも、止まらない」
エルナはゆっくりと剣を構え直した。
ドラゴンもまた、低く唸りながら地面を踏みしめる。
その瞳には、明確な敵意と執着が宿っていた。
空を奪われ、なお抗う存在。
次の瞬間、両者は同時に踏み込んだ。
受け流し、叩き込み、魔法で牽制し、また斬る。
傷つき、癒し、またぶつかる。
終わりの見えない戦いが、さらに激しさを増していく。
そしてその中で、エルナの中に一つの確信が芽生え始めていた。
(このままじゃ……勝てない)
(何かを変えないといけない)
剣と魔法を振るいながら、エルナは次の一手を探し続けた。




