エルナの記憶
悲鳴が耳に焼き付いている。
燃え盛る炎。
崩れ落ちる城壁。
血に濡れた石畳。
それは夢ではない。
何度も何度も繰り返される記憶だった。
剣を振るう兵士に倒れゆく騎士。
叫びながら逃げ惑う民達をエルナは見ていた。
王女として、何不自由なく生きてきた日々はあまりにもあっけなく終わった。
ある日、突然に国は滅びた。
空には黒煙が立ち込め、門は破られ、城は蹂躙された。
敵はただの軍ではなかった。
魔物を従えた軍勢。
人と異形が混ざり合い、すべてを喰らい尽くす。
国王である父は最後まで剣を取り祖国のために戦った。
母は祈るようにして民を逃がそうとした。
兄たちは……その先をエルナは思い出したくなかった。
「逃げなさい!」
最後に聞いたのは母のそんな言葉だった。
しかし、逃げるわけにはいかない。
エルナは体が動く限り戦い続けた。
その時の剣の感触は今でも手に残っている。
一太刀ごとの重み。振り抜いたときの衝撃。
断ち切ったものの感触。
エルナはただ守られるだけの王女ではなかった。幼い頃から剣を取り、大事なものを守るためにその秀でた才能を鍛え上げてきた。
それは飾りではなく誇りだった。
だから、戦った。
燃え盛る城の中で。
押し寄せる敵の中で。
「退くな!! 民達を早く安全な場所へ!!」
叫びながら剣を振るう。
一体、また一体と敵を斬り伏せる。
だが、数が違いすぎた。
城門はすでに破られ、敵は波のように押し寄せてくる。しかも、その中には人ではないものも混ざっている。
牙を剥く異形。唸り声を上げる魔物。
人と魔が入り混じった軍勢。
エルナは歯を食いしばる。
(まだだ! まだ、やれる!)
目の前の兵を斬り伏せ、振り返る。
だがその先にあったのは倒れ伏した味方の姿だった。
騎士も、兵も、次々と倒れていく。
「そんな…」
一瞬の動揺を敵は見逃さなかった。
横から振るわれた一撃を辛うじて受けると、衝撃で腕が痺れる。重く、そして強い。
個では勝てても集団では押し潰される。
それでもエルナは前に出た。
退けば、後ろの民が死ぬ。
それだけは許せなかった。
「来なさい!」
震える足を踏みしめる。
だが次の瞬間、視界が揺れた。
背後からの衝撃にエルナは唇を噛み締め振り返る。
ニヤリと笑う異形。
皮膚が溶け、顔も体も焼け爛れたように歪んでいる。
誰かがエルナの腕を掴んだ。
「殿下! お下がりください!」
「離して! まだ…」
「これ以上は無理です!」
その声は、必死だった。
振りほどこうとするが、体が言うことを聞かない。限界だった。気づかぬうちにエルナの体は消耗しきっていた。
「ここで殿下が倒れれば、すべてが終わります!!」
その言葉に、動きが止まる。
歯を食いしばり、悔しさで視界が滲む。
しかし、理解してしまった。
もう、私にはこの国を守りきれないと。
「……撤退する」
その一言は重かった。
王女としての敗北の宣言。
守るために戦ったはずなのに守れなかった現実。
それでも、生き残らなければならないと思った。生きて何かを繋ぐために。
だから走った。背後で悲鳴が上がる。
振り返りたかったが、振り返らなかった。
振り返れば、足が止まると分かっていたから。
逃げた先にあったのは救いではなかった。
追手はすぐそこまで迫り、味方は次々と倒れ、やがて一人になった。
剣を構える腕は震えている。
もう戦えない。
それでも敵は嬲るように笑いながら迫ってくる。
直感的に理解した。捕まれば終わりだと。
王女としてではなく、ただの戦利品として扱われる。その後のことは想像したくもない。それだけは絶対に耐えられなかった。
だから、エルナは崖へと走った。
迷いはない。戦って負け、何も守れなかった。それでも、自分の最後くらいは自分で選ぶ。
エルナは振り返ることなく、漆黒の深淵へとその身を投げた。
風がすべてを奪っていく。
不思議と恐怖はなかった。
ただ、悔しさだけが残っていた。
「ごめんなさい」
誰に向けた言葉かも分からないまま、エルナは暗い闇へと落ちていった。




