メイドは語る(1)
書籍1巻発売記念の番外編。書籍版の番外編の過去の部分より少しだけ前の時期の話です。
(SQEXノベル様より1巻が2026年6月5日発売!)
あれは、三年ほど前のことでしょうか。
当時のお住まいは今の家ではなく、王都の王都の外れの、少し不便だけれど旦那様――オリバー様の療養所に近い場所にございました。
オリバー様のお知り合いの別荘だそうで、静かな環境のおかげでお子様たちはやっと落ち着いたように見えました。
そんなある日のこと。
夕食の支度している台所に、ヴィオラお嬢様がお見えになったのでございます。
◇
「どうしましたか? お飲み物ならすぐにお持ちしますよ」
「あ、違うの! そうじゃなくて……その、お料理を手伝ってみたいの」
少し落ち着かない様子のヴィオラ様は、とても小さな声でそうおっしゃいました。
予想もしなかったお言葉に、私はすっかり驚いてしまいました。
今のヴィオラ様は、母君であるロザリア様そっくりにおなりです。でも当時のヴィオラお嬢様はまだ十四歳で、ほっそりとした少女でした。
もちろん大変にお美しく、私が急いで用意した町娘らしい服を着ると逆に目立ってしまうほど。何度見ても私は途方に暮れてしまいましたが、今はそれどころではありません。
もじもじとしているヴィオラお嬢様を前に、つい首をかしげてしまいました。
「あの……今、料理を手伝ってみたいとおっしゃいましたか?」
「ええ、言ったわ。使用人の数が減ってしまったし、私が手伝うことができたら、デラの負担も減るでしょう?」
「それはそうですが……」
私は困りました。
だって、ヴィオラ様は伯爵家のご令嬢。料理をしていて、万が一にもお怪我をさせるわけにはいきません。そうでなくても水仕事は手が荒れやすいのです。
それは許されざること。
ええ、私の美意識が許しません!
そうでなくても、奥様が何とおっしゃるか……。
「お気持ちは大変に嬉しいですよ。でもお嬢様のお手が荒れたら、デラは奥様に叱られてしまいます」
「お母様はお出掛けばかりしているから、気にしないわよ」
「そんなことはありません。奥様はヴィオラ様がおきれいにしているのを見て、とても嬉しそうにしていらっしゃいます」
「……それは、自分に似ているからだわ」
「それに、お嬢様は大変にお美しいのです。今は不自由な生活になったとしても、すぐに良き殿方に見初められるはず。その時にお手が荒れていては大変でございます!」
「でも……私も何かしたいの」
ヴィオラ様はぐっと口を引き結び、私を真っ直ぐに見ました。
青紫色の美しい目には、とても強い光がありました。それは単なるわがままではなく、前に進もうという強いご意思そのものです。
そのお顔に、私はとても心打たれました。
変化を受け入れるしかない無力な子供ではなく、奥様のようにご自分のお美しさを武器に切り拓くのでもない。持っているものを使い、少しずつ増やしていきたいというお気持ちは、オリバー様とも奥様とも違う、とても良い気質に思えました。
でも、やはりお料理はまだお許しできません。
私の美意識的に!
「お嬢様。料理というものはお手を痛めてしまう可能性があります。まずは簡単なことから始めましょう。お皿を並べたり、洗い終えたお皿を片付けたり、それだけでも十分なお仕事ですよ?」
「……そうね。私はまだ何もできないものね」
お嬢様はしょんぼりとうつむいてしまいました。
あらあら、こういうところは本当に可愛らしい女の子ですね。
「慣れていないことはできなくて当然です。そのうち、もっといろいろしていただきましょう」
「じゃあ、お掃除も教えてくれる?」
「もちろんでございます。ただし、水を使うものはダメですよ」
「でも……できるだけ自分でできるようになりたいのよ」
「それでは、夏場だけ。冬は絶対に禁止です。デラはお嬢様のお手が荒れるのは見たくありませんからね。それをお守りいただけるのなら」
「わかったわ。しばらく水仕事はしない。リリアナのお世話はもっとしてもいいわよね?」
「もちろんです」
ヴィオラ様は、十歳年下の妹リリアナ様を大変に可愛がっていらっしゃいます。今も毎日のお着替えを手伝ってくださって、それがとてもお上手なのです。
少し自信が戻ってきたのか、ヴィオラ様はぱぁっと明るいお顔になりました。それから、そっと伸び上がって囁きました。
「それからね……リリアナをおんぶしてもいい?」
「おんぶ?」
「リリアナは長く歩けないでしょう? 私もずっと抱っこするのは難しいから、おんぶしたいなって」
リリアナ様は四歳。まだ幼い上にお体も弱い。
だから家の中でも抱っこでお運びすることは多いのです。でもヴィオラ様がおっしゃっているのは、そういうことではないとすぐに察しました。
「……お父君のところに行く時、ですね?」
直接の罪はないと明らかになって貴族用の牢獄からは出していただきましたが、オリバー様は療養所から出ることができません。お身体が弱っていると言う以上に、自由に動き回ることが許されていないのです。
ですから、お子様方がお父君に会うためには療養所に赴かなければいけません。近いとはいえ幼いリリアナ様が歩いて通える距離ではなく、訪問するときは私が抱っこさせていただいていました。
でも、それをヴィオラ様がご自分でしたいとおっしゃっているのです。
それは多分……。
「あ、あのね、リリアナは今どんどん大きくなっているでしょう? 数字も覚えてきたし、名前ももう書けるの。絵も上手になっているわ。それをお父様にも見ていただきたいのよ」
「……そうでございますね」
「デラも気付いているだろうけど、テレンスはこっそり通っているでしょう? だからお父様、リリアナにも会いたいんじゃないかと思って。だってリリアナの目はお父様の色と同じだもの!」
「本当に、目元はそっくりでいらっしゃいますものね」
「そうでしょう! 私はお母様にしか似ていないけど、お父様はお母様が大好きだから、それはそれでいいと思うのよ。だから、天気がいい日だけでもリリアナを一緒に連れていきたいの」
……ええ、そうでございますね。
オリバー様に、リリアナ様をたくさん会わせて差し上げたいのですね。
日々成長していく、とても愛らしいお姿をお見せするために。……今のうちに、できるだけたくさん。
「では、おんぶ用の紐をお渡ししますね。使い方を練習しましょう」
「それは大丈夫。もう練習しているから!」
「まあ」
ヴィオラ様は、おとなしいようでとても行動的だとは思っていましたが、もう練習をしていたなんて。
私が驚いたのを見て、ヴィオラお嬢様は少しお慌てになりました。
「まだ家の中でしか練習していないわよ! リリアナが元気な時に、背中に乗ってもらったりしただけ。でも紐がたくさん余ってしまったから、もしかしたら紐の使い方が間違っているかもしれないわ」
「そうでしたか。ヴィオラ様の細いお体には紐が長すぎるのかもしれませんね。では、ヴィオラ様が使いやすい長さのものを作っておきましょう」
「ありがとう、デラ! あ、リリアナがお昼寝から目を覚ましたみたい。見に行ってくるわね!」
ヴィオラ様は、早足で台所を後になさいました。
本当に良いお嬢様です。
お優しくて、前向きで、真面目で。
何があってもリリアナ様やテレンス様の前では決して泣き言は言わなくて、私にも気を遣ってくださって。
家の中では笑顔を絶やさず、お父様のために療養所に通って。
……本当はおつらいことばかりで、お泣きになりたいことも多いでしょうに。
メイドでしかない私には、何もして差し上げられません。
お父君オリバー様との穏やかなお時間が、少しでも長くありますように。
――そうお祈りするばかりでございました。




