50 家まで送るよ
私を横抱きにしている御曹司は、爽やかに笑った。
「家まで送るよ。新しい靴も用意しておくから希望を教えてほしい」
「これ以上高いものは必要ありませんからね! 修理すればまだ使えるし!」
「うーん、せっかく極上のレディなのに、貢ぎ甲斐がないなぁ。ねぇ、リリアナちゃん?」
ちらっとリリアナを見たようだ。
そのリリアナは、なぜか口元に手を当てて私たちをじっと見ている。
……こ、これは恥ずかしい!
「下ろしてください! 重いでしょう?!」
「大丈夫。途中で交代してくれる人員もたっぷりいるから」
「おう、いつでも声をかけてくれ!」
合流した騎士さんたちが頼もしく頷いているけれど、この格好で移動するのはちょっと目立ちすぎると思う!
「リリアナが歩いているんだから、私も歩きます!」
「では、リリアナちゃんも誰かに抱っこしてもらうのはどうだろう?」
「おっ、そういうことなら俺の出番だな! ――リリアナ姫、我が腕にすわってくれますか?」
バカ御曹司のバカな提案を気に入ったようで、騎士さんは笑顔でリリアナの前に片膝をついた。
私服ながら、いかにも騎士風のお兄さんだから周囲がまた歓声をあげる。
御曹司ほどいかがわしくないし、今日のリリアナはとにかくかわいいから、正規騎士の作法は絵になっている。
リリアナは、おずおずとテレンスを見上げる。
はあっと息を吐いてから、テレンスは大きく頷いた。
「高い位置からだと周りがよく見えるから、いいんじゃないか?」
「そうかな……うん、そうだよね! アレンさん、よろしくお願いします!」
「光栄です!」
騎士さんは軽々とリリアナを抱き上げた。
リリアナは「すごく高い!」と喜んでいるけれど、多分テレンスは、そろそろリリアナが疲れて来るから薦めたのだと思う。優しい弟だ。
……でも良識を発揮するなら、こっちは止めてほしいんだけれど!
「ねえ、テレンス!」
「ヴィーも、そのままでいいんじゃないかな。もうこれ以上ないくらいに目立っているし、そこまで目立つと逆に安全だと思うよ」
「そういうものなの!?」
「ということで、レイノルドさん、ヴィーをよろしく」
それだけ言うと、テレンスはリリアナを片腕で抱えた騎士さんと一緒に、スタスタと先に歩いていってしまった。
でも、私は気が付いている。
彼らが進んでいったのは、テレンスが桟敷席にいた時からじっと見ている方向だ。
そちらでは馬市ができていて、きれいな馬が並んでいる。
リリアナに見せると言う口実にしているようだけれど、テレンスは実は動物が好きなのだ。
「……素直に見に行けばいいのに」
「テレンス君はしっかり者だからね。手のかかる妹と姉を放置できないんだよ」
「え、私もなんですか!?」
「君は一人だと何を起こすか、わからないだろう? いろいろな意味で」
……それは否定しない。
顔を出していると男の人たちに声をかけられて面倒なことになるし、困っている人を見ればすぐに口を挟んでしまう。
だから、テレンスはいつも冷静さを保って見張っている。
今日だって、馬が気になっていてもリリアナのそばから離れなかった。
騎士さんたちがリリアナについてくれたから、少しだけ自分に正直に見に行きたい所へ向かっているのだろう。
――なんだか懐かしい。
小さい頃のテレンスは好奇心旺盛だった。
お付きの護衛たちを引き連れて、私と一緒にあちこち走り回ったこともあった。
「……そうか。テレンスは心から楽しんでいるんだわ」
「それはよかった。君も馬を見にいく?」
「この状態で行くと馬たちにも迷惑がかかるから、遠慮します」
そう辞退したのに、御曹司は私を抱き上げたままスタスタとテレンスたちを追っていく。
進めば進むほど、周囲の視線が集まる気がするし、囃し立てられるし、口笛が盛んに鳴らされる。
私たちに向けられる視線は明るく気安い。ただの若者に対するようだ。
「ここにいる人たちは、公爵家の御曹司がいると気付いていないんでしょうか」
「どうかな。知らないふりをしてくれているだけかもしれないよ。今は祭りの真っ最中だからね」
私を抱えながら、御曹司は平然と会話をしながら歩いている。
本当は重いだろうに。
「――――君は、楽しめている?」
「え?」
真っ直ぐに前を見たまま、御曹司は歩きながら言葉を続けた。
「祭りの雑踏の中を歩くのは、君も久しぶりなんだろう? そうだ、さっきの猿と犬のところにも行ってみる?」
「リリアナに見せてあげたかっただけで、私一人で見に行っても……」
「他にも見たいものがあるなら、お連れするよ。せっかく護衛もたくさんいるらしいからね」
「え、そう言われても、見たいものなんて思い付かないです」
戸惑いながらも、一応真剣に考えてみる。
何かあるだろうかと周りを見て、ふと母に連れられて祭りの日に歩いた時を思い出した。
あれは、何年前のことだったか。
私はまだ幼くて、母とお揃いのドレスを着せられていた。
何人もの騎士風の男の人たちと従えた母は、娘に「見せてあげる」ふりもせず、自分の行きたいところへと向かっていた。
母は、娘がまだ幼いことなんて全く配慮しなかったと思う。
気まぐれに歩き回っていたから、私は疲れて足が痛くなった。母の取り巻きの男の人が抱き運んでくれなかったら、泣き出して母の機嫌を損ねてしまっただろう。
それでも、あの時の私は楽しかったと思う。
遠い故郷と同じ飾り付けを見つけて「王都風もいいけれど、こっちもかわいいでしょう?」と誇らしげな母が、子供のように笑っていたから。
「……私は、みんなが楽しそうにしているから祭りが好きなんです」
「君自身が楽しむのではなく?」
「どちらかというと、私は賑やかすぎる場所は苦手ですから。でも祭りの日は出店でいっぱいの通りを歩いて、花を飾った山車を見て、陽気に踊る人たちを見るのが好きです。みんな、笑っているでしょう?」
誰かがはしゃいでいる時に、一緒に味わうことが楽しい。大切に思う人が楽しんでいることが嬉しい。テレンスとリリアナが笑っているから、祭りは好きだ。
「では今日は、君に楽しいと思ってもらえたかな」
御曹司は足を止めた。
間近にある顔はとても真剣に見える。だから私も思わず真面目な顔になって頷いていた。
「とても楽しいです」
「そうか。……それはよかった」
そう言って、笑った。
公爵家の御曹司に相応しい華やかな笑顔ではなく、ダメ男になりたいと言っている時の悪巧みをするような顔でもなく。
ただ、とても嬉しそうに笑った。
ほっとしたように緩んだ顔は隙だらけだ。
私は、なんとなく目を逸らしてしまった。なぜかわからないけれど。
……お、落ち着かない。
どうせ落ち着かないなら、言いたいことを全部言ってすっきりしてしまおう!
「その……感謝しています」
「ん? 何が?」
「テレンスとリリアナがあんなに楽しそうにしているのは、本当に珍しいんです。それに、三人でお祭りの日に歩けていることも」
みんなできれいな服を着て、リリアナを飾りつけることができて、テレンスが少しだけ羽を伸ばしていて、私が暴走しても困ったことにならなくて。
それはたぶん、レイノルド・オディーランスという人物に関わったおかげだ。
始まりはよくわからないものだったけれど、私たちの世界は広がっている。
少しずつ、外に向けて。
「だから、今日はいろいろ、ありがとうございますっ!」
「…………えっ? いや、何と言うか……どう、いたしまして」
思いがけないことに、御曹司は口ごもった。
顔を上げても視線が合わない。絶対に調子に乗ると思ったのに、これは……予想した反応と違うというか……耳がほんのり赤いような……?
「御曹司さん?」
「……そこは、レイって呼んでほしいな」
やっと目が合った。
いつものようにニヤッと笑って、それから私をぐいっと抱え直す。
「さて、もう少し頑張るか。俺の腕力が尽きる前に、君たちを送り届けられることを祈っておこう」
「やっぱり重いんじゃないですか。降ります!」
「まだ大丈夫だよ。耐久試験と思えば余裕だ。さあ、テレンス君たちに追いつこう!」
御曹司は大股で歩き出す。
大きく揺れるし、少しでも負担を軽減できればと考えて、思い切って御曹司の首に手を回してみる。
体が固定されて、揺れが小さくなった。
「そうか、こうすると揺れもなくなって楽になるんですね」
「……うん、そうだね。もう楽になるかどうかの基準でいいよ。君はそのままでいてほしい」
「えっ、他に何かあります?」
「大丈夫。何も問題はないから。それより、テレンス君は馬の前から動いていないね。そんなに馬が好きなのかな」
「動物全般が好きなんですよ。乗馬も上手ですが」
「そうだったのか。では今度、テレンス君を乗馬に誘ってみようかな。ヴィオラ嬢も乗れるんだよね?」
「えっと、私はあんまり、かな? ……あっ、リリアナが馬に近づいている! こわごわなのに、いつもより大胆な行動をしていて、とってもかわいい!」
「――そうだね。とてもかわいいな」
相槌が早い。
疲れて投げやりになったのかと思ったけれど、御曹司は笑っていた。
だから……リリアナではなく私を見ているように見えたのは、きっと気のせいだろう。




