25 複雑な状況
試合が終わったのだろうか。
もしそうなら、私たちの次の出番ももうすぐだ。
急いで戻ろうと軽食用の部屋から出た時、緊張したような女性の声がはっきりと聞こえた。
「手を離してくださいませ!」
「試合を見に来たんだろう? 俺が案内してやるよ」
「それには及びませんわ。連れがいますので」
「連れ? 真っ青な顔で逃げて行ったガキのことか? あんなガキより俺にしておけよ!」
そう言って感じ悪く笑っている男の人の向こうに、きれいな金髪とドレスが見えた。
……んー、ちょっと他人事じゃないな。
どう見ても「若い女性に絡んでいるタチの悪い男」の図だ。
女性の顔は見えない。男の方は見えた。着ている服と顔立ちは悪くないものの、表情がよろしくない。品行方正の対極にいそうな人物で、見覚えがある。
確か、名門侯爵家の次男だか三男だかのお坊ちゃんだ。
一時期は王立学園に通っていて、素行が悪すぎて追い出された。私も花壇を荒らされて教師たちに抗議したから覚えている。
女性に絡んでいるのは、このお坊ちゃん一人のようだ。でもほとんどの貴族たちより上位の家柄というのがよくない。
私は周りを見た。
チラチラと気にしているものの、相手が侯爵家のバカ息子のせいで止めることをためらっている、というところか。
私だって、できることなら関わりたくない。でもあの女性を見捨てることはできないし、この大会には王国軍の騎士が多数参加している。誰かが知らせに行っていれば、大きな騒ぎになる前になんとかしてもらえる……はず!
最悪でも、この会場にはオディーランス公爵家の御曹司様がいる。こういう時は権力者か武力か、どちらかを利用するのが一番賢明で平和な解決法になるはずだ。
でも、まだ頼りになる人たちの姿は見えない。このままでは、女性が力尽くでつれていかれてしまう。
それはだめだ。迷っている暇はない。
私はふうっと息を吐いて、足早に近づいていった。
「レディ! そんなところにいたんですか。探しましたよ!」
できるだけ呑気そうな声で声をかける。
もちろんバカ息子様が険悪な顔で振り返ってきたけれど、そこは無視する。ほんのりと酒臭いのも、ギリギリ想定内。下手に刺激しないように用心しなければ。激昂されるととても危険だ。
怖気付きそうになったけれど、私は女性の保護だけを考えて、手に持っていたレモン水を笑顔で差し出した。
「レモン入りの水です。お口に合えばいいのですが」
「……おい」
「でも、もうすぐ次の試合が始まりますから、向こうについてから飲む方がいいかもしれませんね。さあ、行きましょう!」
金髪の女性が私に目を向ける。
……あれ?
このプライドの高そうな美しいお顔は知っている。
最近、思いっきり凄まれた。カーディル伯爵家のご令嬢だ。お名前は……とっさに思い出せないけどなんとかなる。
「さあ、レディ・カーディル、お手をどうぞ。僕では頼りないと思いますが」
そう言ってレモン水を片手に持ったまま、もう一方の手を差し出す。
レディ・カーディルは訝しむように私を見上げたけれど、私の意図は察してくれたようだ。さっと私の手にしがみついた。
「お、遅いですわよ! 試合を見逃したくないから、急ぎましょう!」
華奢な手は震えている。
でも足はしっかりしているようだ。これなら自力脱出ができるだろう。ほっとした次の瞬間、肩をつかまれてしまった。
「おい、待て! 勝手に割り込むなよ、小僧が!」
せっかくレディ・カーディルとのお芝居が始まったというのに、侯爵家のバカ息子様は激昂しているようだ。
あ、これはまずい。
いきなり殴って来なかったのはありがたいとはいえ、つかまれた肩が痛い。
でも、いきり立つ気持ちはわかる。
せっかく美しくて家柄の良いご令嬢を強引にナンパしていたのに、邪魔が入ったのだ。怒らないわけがない。
早く、誰か来てくれますように……!
内心の動揺を隠しつつ、私はできるだけ丁寧に、でも少年らしく見える動きを心がけながら頭を下げた。
「失礼しました。レディ・カーディルのお話し相手をしてくださったのですね。ありがとうございます」
「わかっているのなら、邪魔をするな!」
「そう言われましても……僕にも役目がありまして……」
私は困った顔をしつつ、必死に時間稼ぎを試みる。
もし胸ぐらを掴まれてしまったらウィッグがずれるし、男装もバレてしまう。そうなったら事態が確実に複雑化する気がする。
――早く、誰か来てっ!
嫌な汗が背中を流れ落ちた時、慌ただしい足音が聞こえた。そっと目を動かすと、体格のいい男の人たちが走ってくる。
待望の騎士さんたちだ。
顔馴染みの騎士さんもいた。私を見た瞬間、目を大きく見開いて顔を強張らせたけれど、すぐにいつもの爽やかな笑顔に戻った。
「はいはい。騒動はそこまでにしてもらおうか。この仮面の子はこれから試合なんだ。時間がないから連れて行くよ。お嬢さんもおいで!」
そんなことを言いながら割って入って、私とレディ・カーディルの背中を押して離れていく。
あたりが柔らかなのに、かなり強引でもある。さすがだ。
そして、笑顔なのに妙に雰囲気が物騒な騎士さんたちが相手だからか、バカ息子様もおとなしく引き下がってくれた。
よかったよかった。
ほっとしていると、騎士さんは廊下の途中で足を止めて、はぁーっと長いため息をついた。
「……あのね、ヴィオ……いや、ヴィーさん。頼むからあまり無茶はしないでくれよ。騒動の中に君がいるなんて、心臓が止まりそうになったじゃないか!」
「無茶はしていません。時間稼ぎだけのつもりでしたから。すぐに来てもらえてよかったです」
「俺たちを信頼してもらえるのは、嬉しいんだけどね。そちらのレディのお連れさんが必死に呼びに来たから間に合ったものの、下手をすればヴィーさんが暴力を振るわれていたかもしれないんだよ? もしそんなことになってたら、うちの上官殿は激怒だよ! 俺たち国境に飛ばされるからね! それにね、相方のレイさんも絶対に怒るよ? さっきの馬鹿なお坊ちゃんが潰されるのは自業自得だけど、とばっちりが俺たちにまで来るからね? 俺は平和な騎士人生を歩みたいんだ。だから、頼むから二度とあんなことはしないでくれよ?!」
……平和な騎士人生って何だろう。
オディーランス公爵家の御曹司が怒ることはないから、騎士さんたちにとばっちりが行くこともないと思う。でもまあ、心配はかけたと思う。ごめんなさい。
でも、後悔はしていない。
女性たちには、怯えた顔をするより笑っていて欲しいから。
「レディ。僕はこれから試合なので失礼しますね」
そう挨拶したけれど、レディ・カーディル――カーディルさんは反応しない。ぼーっと私を見ている。
……仮面とウィッグ、ズレていないよね?
少しドキドキしながら、何気ないふりをして髪に触る。鏡がないから確信できないけど、今のところは大丈夫、なはず。
では、なぜ気が強いはずのカーディルさんがこんなにぼんやりしているのだろう。やっぱり怖い思いをしたのかな。
それにしては、表情が柔らかいような……?
首を傾げてしまった時、騎士さんがぐいぐいと私の肩を押した。
「はいはい、これ以上複雑な状況を作るのはやめようね!」
「そんなに押さないでくださいよ! ……レディ、お気を付けて!」
「つ、連れがいますので、大丈夫です」
背中を押されながら手を振ると、カーディルさんはなぜか真っ赤になっていた。
でも連れと思しき少年が青ざめた顔で駆け寄ってきたので、ひとまず安心した。年下っぽいけれど、カーディルさんの婚約者なのかな。今度こそしっかり守ってあげてほしい。
カーディルさんのきれいな金髪から目を離し、これから始まる試合に集中することにした。




