23 噂の新展開
「ロレーダン君、今回も早かったね! ……ところで、君のことがまた話題になっているって知っているかな?」
論文の翻訳の完成品を持っていくと、教授は嬉しそうに受け取ってから、ちらっと私の顔を見た。
周囲からずっとヒソヒソ言われているから、また私のことなんだろうなと思っていたから、特に聞きたいとは思わない。
でも教授はペラペラと翻訳の紙をめくりながら、一方的に教えてくれた。
「先日の夜会で、あのオディーランス君が一生懸命にご機嫌取りをしていたらしいじゃないか。うっかり君に話しかけた男を、恫喝して追い返してしまったとも聞いたよ」
「……まあ、それっぽいことはありましたね」
教授があまりにも好奇心いっぱいだから、お茶を飲みながら小声で答える。
ちょうど秘書さんがお菓子を持ってきた。いつものように睨まれてしまったが、視線はどことなく穏やかな気がする。
珍しいことに、私がいても機嫌がいいらしい。
「何か、いいことがあったんですか?」
「ふふん、レイノルド卿のことで、面白い話を聞いたぞ。お前に振られた後、別の女性と恋に落ちたそうじゃないか!」
「――えっ、そうなんですか!」
いつの間にそんなことになったんだろう。
本当に恋をしたのなら、私のお仕事が終わったと言うことでは?
よかった!
でもあの日の御曹司は、ひたすら笑っていただけだし、その後も恋だのなんだのを全く匂わせていないような……?
「レイノルド卿の新たな恋の相手は、騎士たちを相手にダーツで勝った女傑だそうだ!」
お茶を飲もうとしていた時だったから、軽くむせた。恐る恐る顔を上げると、秘書さんは勝ち誇った顔をしている。
えっと、つまり……?
「こらこら、ロレーダン君をいじめてはいけないよ。すまないね。この男は、君が振られたと思い込んでいるんだよ」
「は、はぁ。……私、振られたんですか?」
「違うな。お前は愛想を尽かされたんだ! 男の純情を弄ぶからそう言うことになるんだぞ! 因果応報とはこのことだ! ふははははは! 逃した途端に惜しくなったのか!」
「いや、まさか、そういうことでは……それより、ダーツというのは、その」
「警備に協力した騎士たちが、夜会の一室でダーツ大会をやっていたそうだよ。彼らはいつも元気だね! それで、その大会で優勝したのが仮面をつけた女性で、その女性と馬車で帰っていくオディーランス君を見たという人が何人もいてね……いや、オディーランス君は紳士だからね! 送ってあげただけだと思うよ!」
教授が一生懸命にフォローしようとしている。
でも、私は頭を抱えてしまってそれどころではなかった。
(バカ御曹司の新しい恋のお相手って、私のことじゃない……!)
よくわからないことになった。
でもよく考えてみると、御曹司が次々に恋をしていく軽い男になったというのは、評判を落としたことにならないだろうか。
なっているといいな。なったということで、危険手当のつくお仕事と縁が切れる……かも!?
そう思い至って、私は少し元気になった。
お菓子をパクパクと食べ、お茶をぐいっと飲み干す。一仕事終わった後の甘いものとお茶は、最高に美味しい!
「ごちそうさまでした。また何かありましたらお知らせください!」
私がそう言って立ち上がると、教授は「空元気でなければいいんだが……」と心配そうにつぶやいている。対照的に、秘書さんは見たことがないほど晴れやかな笑顔で見送ってくれた。
……私が振られたことが、そんなに嬉しいんだろうか。
さすがに、ちょっと複雑だ。
秘書さんの笑顔を頭から追い出し、私の憩いの時間でもある花壇の水やりへと向かう。仕事が終わった晴れやかさに浸りながら道具小屋に入ると、ジョウロの中にまた分厚い手紙が入っていた。
手紙事体はどうでもいい。もう慣れてきた。
でも、うっかり好奇心で開けてしまった私は……心から後悔した。
『あなたから目移りした愚かな男に、天罰が下ることを祈ります』
『私は決して心変わりをしません。何があろうとあなたを敬い崇め続けます。ああ、今日もあなたの靴が羨ましい……』
靴云々は、地面への嫉妬の同系列の話だろう。
この手紙そのものは、私を慰めようとしていると思う。その心遣いは嬉しい。嬉しいのだけれど……。
「一方的に言い寄られていたはずなのに、なぜ私が振られたことになっているの!?」
ライバルは私。
奪われたのはバカ御曹司。
…………うん、意味がわからない。
◇
もやもやしながら帰路につき、家の扉を開ける前にため息が漏れてしまう。
でもため息はここで終わりにする。
扉を開ければ、私は元気で悩みのないヴィオラに戻るのだ。
「……忘れよう」
小さくつぶやいて、私は気合を入れて扉を開いた。
「ただいま!」
「やあ、おかえり」
元気に家の中に入った私は、玄関ホールで足を止めてしまった。
迎えてくれたのは、妹のリリアナではなかった。
もっと大きくて、可愛げなく顔の整った男が、満面の笑みを浮かべている。何がそんなに楽しいのやら。
「……また来ていたんですか」
「ヴィオラ嬢に会いたくてね!」
「あなたは次の恋を見つけて夢中になっているそうですから、私とは縁を切ってください」
「おっ、もう最新の噂を知っているんだね。元気がないように見えたけど、もしかして妬いてくれたのかな?」
「自分に嫉妬して、どうするんですか!」
はぁっとため息をついてカバンを置きに部屋へ行こうとして、玄関ホールに、もう一人いることに気が付いた。
壁の前で直立しているから、家具の一部のように見えてしまったけれど、私と目が合うとニヤッと笑う顔は爽やかで、なのにどこか暑苦しい。
「騎士さん?」
「お邪魔してるよ! ヴィオラお嬢さんに用があるから家の前で待っていたんだけど、レイノルド卿も来てね。二人で待っていたら、テレンス君が『中で待っていい』と言ってくれたんだ!」
騎士さんは嬉しそうにいうけれど、それは「目立つ男が二人も立っていると近所迷惑になるから」という冷めた理由だと思う。
……でも細かい違いは、この際どうでもいいか。考えすぎると疲れるだけだ。
「それで、騎士さんのご用件とは何でしょう?」
「ヴィオラお嬢さんを誘おうと思って!」
騎士さんはそう言ってから、ハッとしたように御曹司を見て慌て出した。
「しまった。言い方がまた悪かったかな。デートじゃなくて、ダーツ大会だよ! ぜひお嬢さんも誘ってほしいと同僚たちに頼まれたんだ!」
「ダーツ大会ですか? でも私はあくまで素人ですし……」
「あの腕前なら、次の大会も最有力候補だよ! ただ、次のは個人戦じゃなくてチーム戦でね。誰かと組んでもらわなければいけないんだ」
それは面倒臭い。
せっかく誘ってもらったけれど、私は不参加ということで……。
「もちろん、今度も優勝すると賞品が出るぞ。ご婦人たちの間で大人気の……エヴィ何とかと言う、有名な産地の麻で織ったストール? それを好みの色に染めることができるんだ!」
「出ます!」
考えるより先に、言葉が出てしまった。
エヴィレス産の麻は、最上品と言われている。
軽くて涼しくて、麻とは思えないほど肌触りがいいので、貴族女性たちが争奪戦を繰り広げることで名高い。
母が貢がれていたから、幼い頃は私も使っていた。使い勝手の良さは知っている。絶対に欲しい。上質な麻のストールはリリアナのお出かけの時に活躍するはずだ。
買うとなると本当にすごいお値段になるし、少しお手頃のものがあったとしても色が選べない。オーダーできるなら、淡いピンク色にしてもらいたい。目の色に合わせて、ちょっと大人っぽい青色でもいいな。
絶対にリリアナに似合う!
「おっ、いい反応だね! でもチーム戦だから誰かと組まなければいけないんだが、知り合いはいるか? もし心当たりがないなら、先日の対戦者たちから指名していいと思うよ」
「うーん、そうですねぇ……」
夜会の時の対戦者たちの顔を思い浮かべてながら、私は悩んだ。
誰と組んでも優勝は狙えそうだと思う。
でもよく知らない人を信頼していいものか。なんせ私は、顔だけは悪女な母とそっくりなのだ。何がどう転ぶかわからない。
それなら、女性騎士さんと組んでみようか……と考えたところで、面白そうにこちらを見ている御曹司が目に入った。
――私の顔に惑わない、という点で信頼できる人ならここにいる。ただし、ダーツの腕前は未知数だ。
「あのー、ちょっといいですか?」
「ん? 何かご用かな?」
「御曹司さんは、ダーツはお得意ですか?」
私がそう聞くと、御曹司は一瞬驚いたように目を見開いた。
なぜかまじまじと私を見たけれど、すぐにいつもの胡散臭いほど外面のいい笑顔に戻った。
「得意というほどではないけど、人並みにはできるかな」
「では、私とチームを組んでくれますか?」
「いいよ、君には先日の夜会でいい仕事をしてもらったからね。ご指名に応じよう!」
御曹司は悪戯っ子のような顔で楽しそうに笑う。
そんな表情も意外に嫌みがないなと思ったけれど、全ては整いすぎた顔のおかげかもしれない。




