21 気を利かせていただけますね?
瞬間的に焦った私の視界は、突然上質の布で遮られた。
背中だ。
夜会服を着た広い背中が私の前にある。御曹司だと気がついたのは、滑らかな声が聞こえてからだった。
「そういえば、今夜は父が贔屓にしている楽士が楽団に加わっているんですよ。いい腕だと思いませんか」
「……え? 楽士? そ、そうだったのですか」
「それで、父の代理で出席しているわけですが、音楽好きなヴィオラ嬢を誘う口実になって助かりましたよ。ですから……」
突然の話題変更に我に返ったのか、戸惑っているゴマスリ貴族様に御曹司は完璧な笑みを向ける。でも目だけは恐ろしく冷たく、声も低く落とした。
「……苦労して、やっと一緒に来てもらったのです。気を利かせていただけますね?」
年上の貴族に、丁寧にお願いしている風を装っている。でもこれ……いろいろな権力をチラ見せして脅している。
いわゆる「俺の女に近寄るな」的なもの?
んー、でも「恋人でも愛人でもない」という設定だったはずだから、「人の恋路を邪魔するな」が正しいかもしれない。
なお、私が「音楽好き」ということは初めて知った。
一方、ゴマスリ貴族様は完全に正気に戻ったようだ。一気に顔を白くして「ご健闘を祈ります!」と離れていった。
早い。でも……静かになってよかった。
ほっとしていると、御曹司が笑顔のまま舌打ちをした。
「人の連れに色目を使うなんて、あのおっさん、バカなのか?」
「バカというより、うちの母に毒された後遺症のようなものかなと……」
「それに、よりによって俺を次期公爵と呼びやがった! 俺はそんなものになりたくないから苦労しているのに! そんなに親父を慕っているなら、親父を煽って潰してもらおうかな!」
……うわぁ。大変に憤っていらっしゃる。
でもバカ御曹司は「ダメ男化計画」を始めたばかり。現状では正しく次期公爵様ではないだろうか。父君を使って潰す云々に至っては、八つ当たりにしてはちょっと物騒すぎる気がする。
さすがに気の毒になってきたので、話題を変えてみた。
「ところで、向こうにいるのは、姉君のエリザベス様ではありませんか?」
「……姉上だね。それに一緒にいるのは叔母さんか。うーん、姉上はともかく、叔母さんは挨拶しておかないとうるさいんだよなぁ……君も来る?」
「いいえ! そこの壁で待っています!」
憧れのエリザベス様に紹介してもらえるのは嬉しいけれど、今のこの姿をお見せしたくないなと思うので遠慮したい。
御曹司の叔母様については……王妃様への挨拶に、悪女な私が一緒にいくのは絶対におかしいと思う。
全力で辞退すると、御曹司は「さっさと終わらせてくる」と歩いていった。何度もため息をついていて、珍しく気が進まない様子だ。
――まあ、御曹司のことは忘れることにして。
この機会を利用して、私は密かに気になっていた場所へと移動する。壁で待っている、なんていい加減なことを言ってごめんなさい。
◇
夜会のメイン会場を出た私が向かったのは、別室だ。
そこでは軽食が用意されている、らしい。
メイン会場に入る前に通り過ぎたけれど、その時は人が少なかった。私たちは戦略的に少し遅れて会場に到着したから、軽食をつまむ人のピークは過ぎていたようだ。
ちなみに、開始時間より遅れた理由は「悪女を口説き落とすのに時間がかかったから」で、直前まで御曹司が口説いていた、という設定になっている。
そんなにギリギリまで口説いていたのなら、今着ているドレスは何なんだ、と思うのだけれど、一度は行くと言ってくれた悪女が、直前で気分が変わることはよくあることなのだとか。
何だそれ、と思ったものの、そういえば母もよくお出かけの予定を変えていた。周囲の男の人たちが慌てていたなぁ……と思い出したので、一応受け入れた。
でも、やっぱり夜会の軽食というものを味わってみたい。リリアナへの土産話として、隅々まで確認しておきたい!
その一念で別室に来てみたのだけれど。
……雰囲気が、思っていたのと違う。
夜会とは優雅な貴族たちの集まりで、着飾った男女が気取った会話をする場所だと思っていた。でも私が見たものは、王立学園の体育祭を思わせる光景だった。
誰かが走り回っていたとか、球技に興じていたとか、そういうわけではない。
軽食が置かれていて、上品でおしゃれな飲み物にはきれいな立方体にカットされた果物が浮いている。特産の果物もたくさんあるし、ゆっくり休憩できるようにテーブルと椅子も並んでいた。
そこまでは、想像していた通りの光景だ。
でも、今テーブルを囲んでいるのは、絶対に武人だろうなと推測できてしまう体格の人ばかりだった。
首が太くて胸板が厚くて筋肉量の多そうな男性たちと、骨格がしっかりした女性も少数ながらいる。ほとんどが夜会用の服ではなく、制服を着用している。細部にデザインの違いがあるから所属が違うのだろうけれど、全員が王国軍の騎士らしい。
和やかに飲み食いしているから警備中というわけでもないようだ。騎士の皆さんの視線は壁際に集まっている。
一体何があっているのだろう。
いやそれ以前に、いつから夜会の軽食会場が王国軍の控え室になったの?
「……おや? もしかしてヴィオラお嬢さんか?」
思わず柱の影に隠れながら見ていると、背後から声をかけられた。
振り返ると、見覚えのある男の人が立っている。いつもお世話になっている背の高い騎士さんだ。
えっと名前は……アレンさんだったかな?
「やっぱりお嬢さんだったか。今夜はきれいな格好をしているから見違えるよ」
「えっと、ありがとうございます……?」
「お嬢さんがこういう場に来るのは珍しいな。ああ、デートってやつか!」
「違います!」
「ははは、照れなくていいぞ! 青春じゃないか! ……だが、その格好で一人でいるのは感心しないな。お連れさんはどうしたんだ。夜会会場だから、そう危険ではないと思うが」
「いいえ、密集した夜会は危険な場所でした」
「ん? 危険なのか? よくわからないが……お連れさんとはぐれたのなら、ここでゆっくりしていけよ。ダーツ大会をやっているんだ」
「ダーツ?」
私は改めて部屋の中へと目を向けた。
騎士の皆さんが見ているのは、部屋の壁に設置された的だったらしい。
今まさに、狙い澄ました投げ矢が的に刺さる。高点数の区画に刺さった途端、騎士の皆さんがどっと歓声を上げた。
「へぇ、さすがにお上手ですね」
「騎士の中で流行っているんだよ。お、向こうでは女性たちも始めたな。お嬢さんもどうだ? 飛び入り参加は歓迎だぞ。賞品も出る」
「……賞品、とは?」
「そこのテーブルに、果物のカゴ盛りが並んでいるだろう? あれが上位者用の賞品だ。参加するだけでも、ドライフルーツの詰め合わせを……」
「参加します!」
いかにも美味しそうな果物の山と、参加賞というドライフルーツを見た瞬間、私は即決した。




