19 私、やってやるわ!
私は鏡が嫌いだ。
目を向けると、美しくわがままな母と同じ顔が不機嫌そうに見返してくるから。
でも今日は少し違うようだ。
にこりともしない顔は表情が希薄で、何を考えているかわからないけれど、なんというか……とんでもなくきれいな女だった。
「まあ、なんてお美しいんでしょう! お美しいお嬢様と思っていましたが、淡いピンク色がとてもお似合いですわ!」
「首飾りの青紫色の宝石も素晴らしいです! 目の色とピッタリと同じで、お顔にも首元にも目が惹きつけられて……ああ、早く皆様に見ていただかねば!」
店員さんたちが妙に興奮した早口で喋っている。私の着付けやら化粧やらをしてくれた店長さんに至っては、もう満足しきった顔でずっと頷いていた。
今日は、御曹司と夜会に行く日である。
ドレスを買った店で全ての用意をしてもらった。細かな調整をしてもらったおかげか、体に合わせて仕立てた学園の制服と同じくらいに着心地がいい。
そして――やっぱり私は母そっくりだ。
でも今の私は、そんなことに思い悩む余裕はない。
「……あ、歩けない……絶対に裾を踏む……!」
「すぐに慣れますよ。ああ、でもドレスのデザインと美しい体のラインを活かすためには、少しお胸を張って……そうでございます! 完璧です!」
この姿勢は結構きつい……いやそれ以上に、改めて着てみるとドレスがどれだけ高価なんだろうと考えてしまう。さっき踏んでしまった裾のレースだけでも私の昼食代一ヶ月分に匹敵するはず。
一ヶ月分のごはんを踏んだと思うと、気分が悪くなる。
それに……。
「気になるところはありませんか?」
「首が……重いです……」
シンプルなデザインの首飾りは、見た目よりずしりと重い。純度の高い金を惜しみなく使っているのだろう。
それに中央に輝く青紫色の宝石は、名前は知らないけれど、母が指輪に使っていた宝石と同種のはず。絶対に高価だ。
しかも母の宝石より大きくて色が濃い。お安いはずがない。
選ばなかった首飾りですら、美食家に絶賛されるミゼーラ産牛肉五十人分だったのだ。
御曹司が支払い方法を変えたのなら、きっともっともっと高価だろう。
「……無理……絶対に無理……落としたらと思うと動けない……!」
「ヴィーが動けないのは、ドレスの裾を踏むからだろう?」
「それは克服したのよ! お姉様はすごいもの!」
お店には、リリアナの誕生日用の服を受け取るためにテレンスとリリアナも一緒に来ている。
テレンスは冷たいし、リリアナはかわいい。
でもいくらリリアナがキラキラした目で見てくれても、この姿で歩き回るイメージができない。更衣室からは、よちよち歩きの赤ちゃんのように店長さんに手を引いてもらったのだ。
ガタガタと震えていると、テレンスが呆れ顔でため息をついた。
「……あのさ、ヴィーは考えすぎているんじゃないの?」
「か、考えないと呼吸も歩き方も忘れるでしょう!」
「えっ、呼吸も? まあ、それはそれでもいいけど。自分の姿を鏡で見てどう思った?」
「お母様そっくりすぎて、気持ち悪い」
「気持ち悪いって……リリアナの前でそんなこと言うなよ。でも、母さんそっくりと思ったのなら、今夜を乗り切るのは簡単だと思う」
「どうやったら簡単になるのよ!」
思わず聞くと、テレンスはニヤッと笑った。
「ヴィーは、母さんによく連れまわされていたよね?」
「ええ」
「人が集まる場所で、母さんがどんなふうに振る舞っていたかは、覚えている?」
「もちろんよ」
忘れるはずがない。
大人が集まる場所はつまらなくて退屈だったから、私は母をじっと見ていた。どんな人と、どんな顔で話して、どんな仕草で熱心に口説いてくる男たちを受け流していたかまで詳細に覚えている。
少し大きくなってからは、母の観察に飽きて外国語を教えてもらっていたけれど。
「それが何の役に立つの?」
「真似をするんだよ。ドレスを着た時の母さんの仕草とか動きとか。中身はあれだったけど、母さんはきれいだっただろう?」
それはもう、圧倒的に美しかった。
自信たっぷりで、たまに傲慢で、でも聖女のように優しげな微笑みも浮かべた。誰よりも人々に注目されていたし、誰よりも輝いていた。
「ほら、もう一度鏡を見て。母さんならこう言う時、どんな顔をしていた?」
「お母様なら……こう言うドレスなら、きっとこんな感じね」
ぐっと背筋を伸ばし、少し顎をあげてまっすぐに鏡を見る。途端に気高くも傲慢そうな女になった。目も冷たくて近づき難い。
「ヴィーお姉様、とってもきれい……本当にお母様みたい!」
リリアナは両手を握りしめてつぶやいた。
こんな傲慢そうな女なのに、母親そっくりと思うだけであんなに嬉しそうな顔になるのか。幼い子供を置いて他国に嫁いでしまった悪女でも、やっぱり母親というものは特別らしい。
もう一度、鏡を見た。
どこから見ても母ロザリアそっくりだった。高価なドレスと宝石を身につけ、自信たっぷりに立つ女。
最悪だ。でも……。
「……リリアナが喜んでくれるなら、悪くないかも!」
つい顔の表情が緩む。途端に、鏡の中の傲慢な女はちょっと子供っぽさを含んだかわいい女になった。それもまた母がたまに見せていた顔だから、きっとすごく効果的だ。
何の効果があるかは、全くわからないけれど!
「うわー……煽っておいてなんだけど、母さんそっくりすぎて引くかも……」
「テレンスお兄様は、ヴィーお姉様に冷たすぎると思う!」
後ろで弟妹たちが何か言っているけれど、気にしない。
そうだ、私は何を動揺していたのだろう。
これはお仕事だ。今着ているドレス類一式は、最大限の効果を得るための戦闘服でしかない。
全ては、リリアナとテレンスに不自由な生活をさせないため。
私の服を仕立て直したお下がりばかり着ている妹に、エルバンス家の令嬢らしい贅沢を少しだけ味わわせてあげたい。大人になって結婚するときに肩身が狭い思いをしないように、できる限りの用意をしてあげたい。
テレンスにも「これだから没落した貧乏な元貴族は」と嘲笑されるような悔しい思いは絶対にさせたくない。
そのためなら、私はなんでもできる。
高いドレスを着て、高すぎる宝石を身につけて、母を見本に悪女をやることくらい、た、た、た、大したことではない! ……はずっ!
「私、やってやるわ!」
「いい気合だね。夜会に行く雰囲気じゃないけど」
楽しげな声に慌てて横を向く。
いつの間にか、そこに煌びやかな貴公子が立っていた。……本当にいつの間に?!
ミルクティーのような甘い色合いの髪を撫で付け、夜会服を着た御曹司は、正しく大貴族の御曹司だ。
その完璧に見える姿の中に、どちらかと言えば可愛らしい淡いピンク色のバラを付けているから、程よく力が抜けた雰囲気がある。
わかりやすく言えば、顔が良すぎてまぶしいし、絶対に女性たちが騒ぐ。これは間違いない。
でも御曹司は、同伴者がいる。
私という、悪女だった母そっくりの女が。
「…………あれ? もしかして今夜の夜会も、特別危険手当がつく事態になったりする?」
そう気がついた途端、私の中の仕事熱はぷしゅりと抜けてしまった。




