✮届かなかった手
◆海中・夜
暗い海。
しかし、海中は青黒く光ってある。
アリスベルは全力で泳ぐ。
視線の先。
触手に捕らえられたケイト。
そして、そのさらに奥。
別の触手に絡め取られたアシュリーが、暗い海の底へ引きずられていた。
アリスベルはケイトの元へ辿り着く。
迷わず、彼女を締め上げる触手を掴んだ。
だが――。
二人を同時に助けることはできない。
ケイトも理解していた。
触手に全身を締め付けられ、苦しそうに顔を歪める。
息も限界に近い。
それでも。
ケイトはアリスベルを見た。
そして、ゆっくりと首を横に振る。
(違う)
(私じゃない)
その視線は、海の奥へ消えかけているアシュリーへ向けられていた。
さらに腕を伸ばす。
指差す先。
アシュリー。
暗い海の中を引きずられていく妹だった。
ケイトは必死に手を動かした。
アリスベルへ送る合図。
(アシュリーを助けろ)
(私は後でいい)
その意思だけは、はっきりと伝わった。
アリスベルは一瞬だけ迷う。
だが。
すぐに頷いた。
進路を変える。
アシュリーの方へ加速した。
ケイトはそれを見届ける。
そして力尽きるように目を閉じた。
意識が遠のいていく。
その頃。
海へ飛び込んだレオも追いついていた。
視界の先。
触手に捕らえられたケイト。
さらに遠く。
アリスベルがアシュリーを追っている。
レオは状況を理解した。
(アリスベルがアシュリーを追う)
(なら俺は――)
ケイトだ。
レオは一気に加速する。
薬の効果が全身を巡っていた。
水の抵抗が小さい。
体が異様に軽い。
触手へ迫る。
そして。
蹴る。
――ドガァッ!!
衝撃。
触手が大きく裂けた。
半分以上が千切れかける。
レオ自身も驚いた。
(なんだ、この力……)
だが止まらない。
もう一撃。
――バギィッ!!
触手が完全に切断された。
ケイトの体が触手から解放される。
レオはすぐにケイトを抱きかかえた。
そして、海面へ上がる。
――ザバァァァァッ!!
二人が海面へ飛び出す。
ケイトが激しく咳き込んだ。
「げほっ……!」
空気を求めるように呼吸する。
意識は朦朧としていた。
それでも。
真っ先に聞く。
「……アシュリー……は……?」
レオは答えた。
「アリスベルが向かった」
「助けに行ってる」
ケイトは微かに頷く。
安心したように。
そして。
意識を失った。
「ケイト!」
反応はない。
レオは周囲を見る。
少し離れた場所に岩場が見えた。
そちらへ泳ぐ。
レオは岩場にケイトを寝かせた。
呼吸はある。
生きている。
それを確認すると。
再び海を見る。
迷いはなかった。
そのまま海へ飛び込む。
――ザバァァァァッ!!
◆海中
アリスベルはアビスモウを追っていた。
ひたすら前へ。
触手をかわし。
海流を切り裂く。
距離は縮まっている。
アシュリーの姿が見える。
もう少し。
あと少しで届く。
そのときだった。
横から巨大な影。
――ドゴォォォォッ!!
小型アビスモウ。
体当たり。
アリスベルの体が弾き飛ばされた。
海中を転がる。
だが。
アリスベルはすぐに体勢を立て直した。
(邪魔をするな!)
再び加速。
アシュリーへ向かう。
だが。
大型アビスモウが触手を動かし、アシュリーの体を小型アビスモウへ受け渡した。
まるで荷物を渡すように。
自然に。
迷いなく。
アリスベルの瞳が見開かれる。
(連携……?)
小型アビスモウは反転する。
そのままアシュリーを連れ去り、深海へ逃走。
アリスベルは追う。
だが。
目の前へ巨大な影が現れた。
一五メートル級。
大型アビスモウ。
海の悪魔が立ちはだかる。
巨大な単眼。
潰れた片目。
残された瞳がアリスベルを見ていた。
まるで。
絶対に通さないと言うように。
触手が襲いかかる。
――ブォォォォン!!
速い。
陸上とは比べものにならない。
アリスベルは回避する。
だが。
わずかに遅れる。
肩を掠めた。
さらに次。
さらに次。
連続攻撃。
アリスベルはレーザー剣を展開する。
――ブォン!!
青白い刃。
だが。
水中では出力が落ちる。
一閃。
触手を斬る。
しかし。
浅い。
切断できない。
アリスベルが歯を食いしばった。
(まずい……)
そのときだった。
背後から影が飛び込む。
レオ。
覚醒したレオだった。
レオの蹴りが炸裂する。
――ドゴォォォォッ!!
触手が裂ける。
さらに。
もう一撃。
――バギィィィッ!!
完全切断。
触手が海中を舞った。
アリスベルの瞳が揺れる。
(なんだ……その力は)
レオは止まらない。
次々と蹴りを放つ。
触手が切れる。
裂ける。
吹き飛ぶ。
レオはまるで別人だった。
だが。
大型アビスモウも動いた。
巨大な口が開く。
次の瞬間。
――ブワァァァァァッ!!
黒い液体。
大量の墨。
海中へ拡散する。
一瞬で視界が消えた。
真っ黒。
何も見えない。
アリスベルも。
レオも。
完全に見失う。
(どこだ!?)
(アシュリー!!)
必死に周囲を探す。
だが。
見えない。
何も。
やがて。
黒い墨がゆっくり薄れていく。
視界が戻る。
だが。
そこには何もなかった。
大型アビスモウ。
小型アビスモウ。
そして――アシュリー。
全て消えていた。
アリスベルは周囲を見渡す。
レオも探す。
だが見つからない。
静かな海だけが広がっていた。
アリスベルは拳を握る。
強く。
強く。
握り締める。
だが。
届かなかった。
あと少しだった。
その手は――届かなかった。




