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三階へ続く階段まで辿り着いて、玲は立ち止まり振り返った。
正和と涼子の顔に疲れがあるのを見てとって、提案する。
「少し、休みましょうか」
階段の向かい、美術室の中に入って玲が中の様子を確認する。
特に異常がないことを確かめて、丸椅子を三つ並べ、座った。
ライトを点けたスマホを机の上に置くと、室内はぼんやりと明るくなった。
どこから取り出したのか、玲はカフェオレのペットボトルを二人に差し出した、
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
緊張からか喉がカラカラだった二人は、とりあえず受け取って口をつけた。
ラベルを二度見したくなるような物凄い甘さだったが、夕食もとっておらず疲労し始めていた体にはそれくらいで丁度いいのかもしれなかった。
「あの、玲さん」
「はい?」
「……あの、二階の教室での出来事って、結局なんだったんでしょう?」
「…………」
正和の問いに、カフェオレをぐびりと飲んでから、玲は答える。
「多分、あれが彼ら彼女らの、脳内をデフォルメした形なんじゃないでしょうか」
「……あれが?ですか?」
「自分の容姿が気になって仕方ない人たち、フィクションの世界に没頭して現実逃避せずにいられない人たち、そして、他人を虐げることで人間関係を保とうとしている人たちと、そこからはじき出されてしまった人たち、という感じです」
「…………」
「思考を単純化させた時の行動の様子を、再現させられているんでしょう」
「……何のために?」
「……断言はできませんが」
玲は空になったペットボトルを机の上に置いた。
「何かのメッセージなんだと思います。お二人に何かを訴えているように見えます」
「……なんか、気に入らないわね……」
頭を抱えるようにして、涼子は憤りの表情だ。
「言いたいことがあるならはっきり面と向かって言いなさいってのよ、あの天才馬鹿」
「…………」
そんな涼子の様子を、玲は意外なものを見るような目で見つめる。
「涼子さん、あなたは、累ちゃんのことが怖くないんですか?」
「怖い?累のことを?」
「はい」
「あのラグビー部のムキムキ男達とか、オタク集団とかは確かに怖いですけど……。累本人のことは、そうでもないです」
「何故でしょう?」
「何故って……。なんでだろ……?」
腕組みをして天井を見上げる涼子。
「なんとなく、本気で私たちに危害を加えたりはしないような気がするから、かな?……って、松田は充分被害を受けてるのかもですけど」
「……どうして涼子さんは、累ちゃんと友達に?」
「う……ちょっと複雑な事情があるんですけど……話さないとダメですか?」
「いえ、無理にではないです」
「まあ、謎理論でわけわかんないことするけど、少なくとも悪人じゃないことはわかってるつもりです。今回のことだって、多分あいつなりにヘンテコな理屈でやってることなんだと思います」
「…………なんというか……興味深いですね」
思案顔で俯く玲の手には、いつの間にかもう一本カフェオレが握られていた。
「……あれ、どっから出してるんだ……?」
「ワンピースの布の間に手突っ込んで、取り出してるみたい。四次元ナントカみたいよね」
考え込みながら、またぐびぐびと茶色の糖液を一気飲みする玲。
見ていると少し気分が悪くなってきそうで、正和はとりあえず立ち上がった。
「先、行きましょうか。屋上までもうちょっとだし」
「……はい」
三人は、そろって美術室を後にした。
—
三階。
待ち受けていたのは、予想を裏切る光景だった。
すべての教室の電灯は消され、ほとんど真っ暗闇の廊下の只中に、一人の生徒が座り込んでいた。
「……?」
警戒しながら、三人が近づく。
柔道着を着た、短髪の黒髪。
近づいてみると、しゃくりあげるようしながら泣いている。
その声を聞いて初めて、その生徒が女子であることがわかった。
「……釘宮、さん?」
柔道部に体験入部したときに累に紹介された相手のことを思い出す。
本校の柔道部ただ一人の女子部員、釘宮理奈だった。
恐る恐る話しかけた正和の声に、釘宮は震えていた肩をピタリと止め、ゆっくりと振り返った。
中性的な顔をあられもなく歪ませていて、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
見る限り、正気を失っている様子はない。
「す……杉田、くん……っ……?」
「釘宮さん、どうしたんですか?こんなところで……」
「……っ……ぅぇえ……」
子供のように嗚咽を漏らしながら、またぼろぼろと涙をこぼす釘宮。
「ぅぅっ……す、杉田くん……」
「と、とりあえず落ち着いて。何があったんですか?」
「ま、松田くん……がっ……」
「?……マツケンが?どうしたんですか?!」
「お願い……杉田くん……。松田くんを、助けて……」
すがりつくように正和のシャツの袖を掴んで、釘宮は懇願する。
「……釘宮さん、教えてください。マツケンがどうしたんですか?累は一緒にいるんですか?」
「ま、松田くんは……いま……」
立ち上がろうとする釘宮の体を引き上げようとした瞬間、その体がするりと正和の後ろに回り込んだ。
「?!……ってぇ!」
正和の右腕を背中の方にねじり上げて、そのままその体を盾にするように玲と涼子の方へ突き出す。
「……松田くんは、捕まってるのよ……。だからね、あなたが助けに行くの。杉田くん」
「な、何なのよ、アンタ!」
「おっと、動かないで。そこから一歩でも動いたら、杉田くんの腕を折るわ」
駆け寄ろうとする涼子に、ドスの利いた声で脅しをかける釘宮。
本気であることを証明するためか、正和の腕がきしむほどきつくねじり上げる。
女子というのが信じられないほどの腕力で、少しでも抗えばその言葉通り骨がへし折れてしまいそうだった。
「……ぐっ……!っ……く、ぎみやさん……一体何を……」
「……邪魔者は排除しなきゃならないの。折角親友を助けに来たんだもの……。女なんかが間に入るなんて許されない……。私が許さない」
「……なにを言って……っ……!」
「あぁ……たまらないわ。危険を顧みず、深夜の学校に忍び込んでまで親友を助けようとする心意気……。無事再開した二人はそのあと……ウフフ」
「う、うふふじゃねぇ!」
正和は、自分の首筋にかかる鼻息にぞっとする。
思い出したが、彼女は重度の腐女子で、杉田と松田のカップリングに傾倒していた。
「珍しいケースですね。暗示にかけられてもあんなにしっかり正気を保ったままでいられるなんて……。欲望が人並み外れて強いのか、理性の堰が低いのか、その両方か」
「分析してる場合じゃないですよ、玲さん!」
正和の体ごとじりじりと後ずさりながら、釘宮はくつくつと楽しそうに笑った。
「さ、行きましょう杉田くん……。そこの女ども、少しの間じっとしててもらうわよ」
堂に入った悪役ぶりで台詞を吐いて、釘宮が教室の引き戸を足で開く。
中から、柔道着姿の巨体が二つ、飛び出してきた。
身構える涼子と、動じない玲。
「くっそ……涼子!玲さん!」
叫ぶ声も虚しく、正和は釘宮に引かれ、廊下の闇の奥へと消えていった。




