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「玲さん……。格闘技も天才的だったりしませんか?」
「ごめんなさい、全く縁がない分野なもので……」
「そりゃそうですよね……」
「涼子さんは、得意ですか?」
「ゲームならそれなりに」
「あら。奇遇ですね、私もゲームならちょっとしたものですよ」
「……機会があったら今度対戦しましょう」
「ええ、是非」
軽口をかわしながら、少しずつ後ずさる。
目の前に立ちはだかる二人は、自発的には襲いかかっては来ないものの、気迫に満ちた視線でこちらを威嚇して来ている。
「なんとか、迂回して屋上にいけないかな……」
「窓から外に出て、外壁をフリークライミングすれば、あるいは」
「……できればそれは最後の手段であってほしいかなぁ」
「同感です。私、高いところがちょっと苦手で……」
「奇遇ですね。私もです」
とりあえず、作戦を立て直そうと後退し始めた瞬間、今度は黒板側の引き戸が勢いよく開かれた。
中からさらにあと二人、ゴツい男子生徒が飛び出して来た。
「げ……」
「あら……」
前方に二人、後方に二人。
要するに挟み撃ちだ。
両手を広げて距離を詰めてくる四人の巨漢。
逃げ場はなく、隙を見て突破も難しそうだった。
「クライミングの方がマシに思えて来た……」
「……ちなみになんですけど、涼子さんはゲームでは、どんなキャラを使うんですか?」
「い、今そんなこと聞きます?」
「はい、必要なことなんです。一番のお気に入りは、どんな格闘術を使う設定のキャラクターですか?」
言いながら、玲が右手を挙げる。
手のひらを顔に向けて広げる様を見て、涼子ははっとなった。
「コマンドサンボです」
「…………随分渋いですね」
玲の手が暗示をかける動きを始める。
涼子は可能な限り前向きに、暗示や催眠という物の存在を全肯定する気持ちで、その指を見つめた。
脳内が一瞬でクリアになり、一つの大きな鼓動とともに、高揚感が涼子を包む。
人間の脳に保存されていながら、忘れてしまったり意識もされずにいたりする記憶が、蘇ってきているような感覚。
その暗示が完成する寸前に、四人の男たちが同時に二人に飛びかかった。
三人が玲に、一人が涼子に。
もみ合いになってすぐに、全員の体が将棋倒しのように廊下に倒れ込んだ。
「……なんで初っ端から寝技?」
「彼らは男子で、我々が女子だからじゃないですか?」
「しかも、なんで人数に偏りが?」
「ちょっと言いづらいですけど、趣味嗜好の問題かと……」
「…………腹立つ」
涼子にのしかかった坊主頭の男は、体重差に物を言わせて涼子の自由を奪う。
左腕を首の後ろに、右腕を足の間に滑り込ませ、そのまま上半身を涼子の胸元に押し付けるようにして押さえ込む。
横四方固だ。
荒い息遣いと、坊主頭がざりざりと制服の胸に擦り付けられる感触に、涼子は全身に鳥肌が立つのを感じた。
「不純な気持ちで……」
体を捻り、首側の腕のロックを外す。
素早く左足を振り上げて首に引っ掛け、同時に右足を腹の下に潜り込ませる。
折りたたんだ体を伸ばす勢いに乗せて、一息に相手の体を横方向にひっくり返した。
その際、手早く相手の右腕を自分の足の間から引きずり出して胸元に抱え込む。
「武道やってんじゃねーっつーの!!」
鮮やかな腕ひしぎ十字固め。
頭で考える必要は全く無かった。
体重差を跳ね返し、力の差を帳消しにできるような返し技が、まるで朝の歯磨きの手順のように難なく実行できた。
ギリギリと軋む相手の腕に、体を反らせて容赦なく力を込める。
しばらくジタバタと藻掻いていた坊主頭は、涼子の極め方の容赦の無さに恐怖したのか、膝をバシバシとタップした。
まる三秒タップを無視した後、脇腹を一発思い切り踏みつけてから涼子はロックを解除した。
「……乙女の胸と太腿の感触を堪能したんだから、これくらいは当然の代償だと思いなさい」
坊主頭は右腕と脇腹を抑えながら、すごすごと教室の中へと戻っていった。
涼子は制服の胸元を払い、プリーツの乱れたスカートを正した。
「……なんか凄いことになってますけど……。加勢します?」
「いえ。すぐ終わりますから」
涼しい声で返答する玲は、上半身に袈裟固めをかけられ、両足を残りの二人に抱きすくめられていた。
文字通り袈裟のように上半身に斜めにまとわりつく男子の体は、玲の頭に鼻を寄せてすんすんとその匂いを堪能している。
残りの二人は、ワンピースのスカートの中に頭を潜り込ませるようにして太腿に頬ずりをしていた。
こんな状態で呼吸一つ乱さない玲の豪胆さに、涼子はこっそり感服した。
玲の左手が持ち上がる。
独特な形で中指を突き立てたその手が、袈裟固めをかける相手の首筋に打ち付けられた。
「こふっ」
空咳のような声を漏らして、ぐったりと脱力する男子部員。
よいしょ、と声を上げながら大儀そうにその巨体を押し退けて、上半身を起こす。
夢中で太腿に貪りついている二人にも、同様に左手を振り下ろした。
強烈な殺虫剤を吹き付けられた害虫のように、ころりと足から剥がれ落ちる二人。
「試したの初めてなんですけど、意外とイメージ通りに効くものですね」
「……ちなみに聞きますけど、玲さんはゲームで、どんな格闘術を使うキャラを……?」
玲は左手の指をコクリと鳴らして、微かに笑んだ。
「暗殺術です」
「……あー……。そっち系ですか……」
「あ、殺してないですよ?」
「……分かってますよ」
—
柔道部員達を退けて、玲と涼子は正和の後を追った。
そう長時間足止めされたわけではないはずだが、階段を登りきってもその姿は見当たらなかった。
三階同様ほぼ真っ暗闇の廊下を、スマホで照らしながら早足に進む。
四階はいくつかの空き教室と資料室などが並ぶ、あまり人が足を踏み入れないフロアだ。
今までより空気が悪く、闇も濃いような気がした。
「ここが最上階ですよね?」
「はい。この上が、屋上です」
短く言葉を交わして先に進む。
やがて、ぼんやりと廊下の先に二人の人影が見えてきた。
警戒しながら、距離を詰める。
そこにいたのは、涼子のクラスメイトの女子達だった。
「平野さん……豊崎さん……」
「お友達ですか?」
「……そこまで親しくはないですけど、同じクラスです。松田が投げ飛ばした神谷っていう男子生徒と、仲が良かったみたいです」
「全くの偶然で最上階にいるわけでは、ないようですね」
闇の中で、二人の目が妖しく光る。
今まで遭遇した面子の中でも、二人の雰囲気は独特だった。
どことなく、意思の気配を感じさせる何かが、彼女らにはあった。
「多分、二人は累ちゃんから直接暗示をかけられていますね」
「他の連中と、何か違うんですか?」
「不特定多数を対象にする暗示よりも、かなり細かな指示を出されていると思います。本人たちにとって多少抵抗のある行動でも、強引に実行させられるんじゃないでしょうか」
「……厄介ですね」
『…………桑島涼子』
コンマ一秒のズレもない、見事な声の重ね方で、平野と豊崎は涼子の名前を呼ぶ。
「お前は、自分の過ちに気づいているか?」
「お前は、自分の無能さを自覚しているか?」
「……いきなりご挨拶ね」
名前を呼ばれた涼子は、一歩前に出る。
「お前のクラスで起きた事件だ」
「お前の友人が起こした事件だ」
「全員をまとめたつもりで」
「全員を支配下においたつもりで」
「増長していたんだろう」
「油断していたんだろう」
「友人の心の歪みに」
「集団に潜む軋轢に」
「何故気づかなかった?」
「何故それを見過ごした?」
「……は?何言ってんのよ」
二人の言葉を鼻で笑って、涼子は一蹴した。
「委員長だからって、クラスメイト一人ひとりの頭の中まで管理できるわけないでしょ。私はそこまで傲慢じゃないわ」
「では、どこまでを我が物としたい?」
「では、どこからを野放しにする?」
「完璧を求める意思を持って」
「妥協を嫌う心を持って」
「曖昧な境界を許容するのか?」
「矛盾や不義を容認するのか?」
涼子は深い溜め息をついて、呆れ返ったように言う。
「わざわざそんなこと宣いに出てきたの?……いいわ、おしゃべりしたいならちょっと付き合ってあげる」
アンタらが何も言えなくなるまでね、と付け加えて、涼子は腕組みした。




