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「杉田!」
帰りのSHR終了後、涼子が声をかけてきた。
「ごめん、あのさ、今日私週番なんだけど、もし良かったらちょっと手伝ってくれない?」
「あん?何で俺?男子の当番は?」
「松岡くんなんだけど……なんか剣道部が忙しいとかで……」
「なんだそりゃ、ひでぇな……。怪我人に仕事押し付けるとか」
「大会近いから、仕方ないのかも」
苦笑いする涼子。
正和は意外そうに、少し眉を持ち上げた。
イメージで言うなら、どんな理由があれ曲がったことは許さないのが涼子のキャラのはずだった。
今日の涼子は、拍子抜けするほど物分りが良い。
「……しゃあねえな」
「手伝ってくれるの?」
「別に用もねぇし」
「ありがと!じゃ、悪いんだけど、黒板きれいに消して、黒板消しクリーナーにかけといてくれる?」
「……もう充分綺麗じゃ?」
「明日の一限、林原先生よ?」
「……新品同様にしないとマズいな」
仕方なく、持ち上げかけた鞄を机の上に戻して黒板掃除を始める。
黒板消しを電動のクリーナーにかけるものの、いくら吸わせても綺麗になっている気がしない。
結局、窓をあけてはたき、黒板のチョークの跡を拭き取ってはまた窓の外ではたき……。
その作業を三巡すると、ようやく許容できる綺麗さになった。
自席で日誌を書く涼子に報告する。
「こんなもん?」
「……ま、いいでしょ。杉田にしては上出来。合格」
「……なんだよ、俺にしてはって」
「うそうそ。ありがとね。足痛くて高いとこはきつかったから、助かったよ」
涼子が負傷したシーンと、保健室で腫れ具合を見た時の記憶が蘇る。
「……今日、普通に歩いて学校来たのか?」
「え?……うぅん、流石に親に車で送ってもらった」
「帰りは?」
「……ちょっと都合つかないみたいで、歩き」
窓の外を見る。
しとしとと、激しくはないが粒の大きい雨が降り続けていた。
「大丈夫なのかよ?傘さして松葉杖って」
「ま、なんとかなるでしょ」
「げ、しかも学校指定の手持ち鞄。使ってるやつ初めてみた」
「校則にちゃんと書いてあるのよ。ホントならこれが普通なの」
また苦笑いしながら肩を竦める涼子。
彼女の正義感的に妥協できないこだわりを、硬い合皮の鞄が代弁しているかのようだった。
「よし。おわり、っと。ありがとね杉田。おかげで早めに帰れそう」
小さく丁寧な文字できっちりと書き終えた学級日誌をぱたんと閉じて、涼子は松葉杖を使って立ち上がる。
その手には鞄と、傘と、松葉杖。
教室から出ようとするその後姿がすでに大変そうだった。
こんな時くらい、こだわりなんて忘れて楽をすればいいだろうにと思いつつ、正和は涼子の背中を見送る。
累との一件と、球技大会がなければ知る由もなかった、自分のクラスの委員長の過ごし方。
適当な性格の正和にはその心情を想像することも難しいが、なんとなくそれはとても損な生き方のような気がした。
「……しょうがねえなぁ」
だから、こんな時くらいは暇な自分が彼女を助けても良いだろうと、そう思った。
「家まで送ってやるよ。鞄と傘、持つから」
「……え?い、いいよいいよ、そこまで負担かけらんないって!」
「いいから」
少し強引に言って、荷物をひったくる。
「送るって……家、どの辺か知らないでしょ?」
「つっても、徒歩で通える範囲なんだろ」
「杉田の家と、方向真逆かもよ?」
「暇だって言ったろ」
「でも……」
「あーもう」
正和はうんざりして、涼子を睨みつける。
「お前は!いっつも委員長の仕事だとかで他人の世話ばっかしてるくせに、自分が世話されるのは許せないってのか?規則がどーとかうるせーくせに、そういう不平等はオッケーなわけ?人に借りを作ると蕁麻疹でも出る体質なんか?あ?」
まくし立てるように言いながら、正和は軽い自己嫌悪を噛み締めていた。
どうしてもっと自然に、他人に親切に出来ないのか。
過去の自分は、何も出来ない累にしつこいほどのおせっかいを焼いていたはずなのに。
(あれ……?)
頭の中にひっかかる。
正和が累の面倒を見ていた理由。
それは、本当に単純な親切心からだっただろうか。
何か、他に理由となるような背景が、あったような気が……。
「……杉田?」
突然黙り込んだ正和を怪訝そうに見つめる涼子。
「あ、わり……。ちっと……立ちくらみ」
「……なにそれ……。さっきからずっと立ってたじゃん」
「うるせーな……。いいからほら、日誌職員室に出して、さっさと帰ろうぜ」
「…………うん。ぁりがと……」
松葉杖でゆっくりと進む涼子にペースを合わせて、廊下を進む。
職員室に近づくに連れて周りに生徒の数は少なくなっていって、窓を叩く雨粒の音がやけに五月蝿く響いていた。
−−−
自分の鞄は肩にかけ、涼子の鞄を右手に、左手には広げた傘をさす。
正和の手持ちが大きめのビニール傘だったおかげで、二人並んで収まることが出来た。
少しでも涼子の足に負担をかけないようにと考えた結果だったが、雨の中を歩き出してからその状態の呼称に気づいて、正和は冷や汗を流した。
(クラスメイトに見られたら、多分誤解されるよな……)
思いつつ、今更自分で傘をさして歩けとも言いだせずに、校門を目指して歩く。
やたらと恐縮していた涼子は、正和の剣幕に折れて彼に従っていたが、やはり恥ずかしいのか軽く頬を染めながら俯いている。
「……歩くの速かったら、言えよ?」
「……うん……平気。ありがと……」
ぶっきらぼうに声をかけてみても、何故だかやたらとしおらしい返事が返って来てまた正和の調子を狂わせた。
(何だよ……。この空気……)
免疫のない雰囲気だった。
成り行きとは言え、まさか涼子とこんな状態になるとは……。
「……あれ?」
突然涼子が声を上げて立ち止まる。
つんのめりかけて、正和も足を止める。
「な、何だよ。急に止まるなって」
「……杉田……あれ……」
正和の抗議を無視して涼子が指差す先には、もう一組の相合傘カップルがいた。
学校の外周をとりまくフェンスの外側、駅前へと続く片側二車線の道路の脇の歩道。
その車道側を歩くのは、神谷裕貴。
そして、その隣には、真菜の姿があった。
「……なんでだよ」
思わず、そう呟いていた。
納得できない。なぜ二人が、今一緒にいるのか。
疑問と、微かに燻る怒りを込めて、正和は二人の姿を睨みつける。
得意げに何か熱弁している神谷は全くの無反応だったが、どこか落ち着かない様子で辺りに視線を彷徨わせていた真菜は、正和達に気づいた。
はっとなり、何か訴えたげな表情を浮かべて、そして俯く。
まるで、望まない結婚相手の元へ嫁いでいく花嫁のようなリアクションだった。
「……真菜ちゃん、何で神谷くんなんかと……?まさか……」
「んなわけねーだろ」
「……杉田?」
「……悪ぃ、桑島。一旦校舎に戻るぞ」
「え?ちょ、す、杉田……?」
Uターンして、昇降口に戻る二人。
戸惑う涼子に、少し待っているようにと伝えて、正和は靴を履き替えて駆け出す。
行き先はもちろん、柔道場だ。




