『道ができたら歩きます』
男は、三十八歳で死んだ。
大きな悪事をしたわけではない。
ただ、人生がうまくいかなかった。
仕事を辞めた。
次の仕事も長くは続かなかった。
人付き合いも苦手だった。
足りない生活費を借金で埋めているうちに、返せない額になった。
死ぬ少し前、男はよく考えていた。
――あの時、ああしてたらな。
こんなことにはならなかった。
今さら遅いけど。
やり直せれば、自分だって。
目を開けると、白い部屋にいた。
目の前には、白い椅子に腰かけた女神がいた。
「もう一度、生きてみますか?」
男は目を丸くした。
「やり直せるんですか?」
「ええ」
「借金も帳消し?」
「なくしておきます」
女神は淡々と続けた。
「住む場所も用意します。当面の生活費も差し上げます。以前の職場に戻る必要もありません。仕事も一から探せます」
男の顔が明るくなった。
「身体は?」
「健康です」
「歳は?」
「三十八歳のままです」
男の表情が止まった。
「三十八……」
「ええ」
「若くはならないんですか?」
「なりません」
「何か、今までになかった才能とかは?」
「ありません」
借金はない。
住む場所もある。
しばらく食うにも困らない。
昨日までの自分からすれば、十分すぎる話だった。
それでも男は黙っていた。
「どうしました?」
「いや……これだと、結局また同じですよね」
「同じ?」
「仕事を探して、人間関係を作って、金を貯めて……それを三十八のオッサンから始めるんでしょ?」
女神は少し間を置いた。
「それが、やり直すということでは?」
男は答えなかった。
やがて、ぼそりと言った。
「そんなショボいのかよ……」
「何か?」
「いや。せっかく二度目なんだから、もう少しくらい有利でもいいと思うんですけど」
女神は目を細めた。
その視線に気づき、男は慌てて付け加えた。
「楽したいわけじゃないですよ。ちゃんと努力します。ただ、スタート地点さえ整っていれば、俺だってやれると思うんです」
「そうですか」
女神は立ち上がり、部屋の奥にある扉へ向かった。
「では、こちらにしますか?」
「こちら?」
「あそこには今のあなたを知る者はいません。時間も十分にあります。これまでになかった力に恵まれ、あなたを必要とする人にも出会えるかもしれません」
扉の隙間から、暖かな光が漏れていた。
「別の世界で、一から始められます」
男は勢いよく立ち上がった。
「なんだよっ! あるじゃん!」
女神は何も言わなかった。
「……いや、勘違いしないでくださいね」
「何をです?」
「今度こそ、本気で努力するってことです。環境さえちゃんとしていれば、俺だって――」
女神は小さく鼻を鳴らした。
「そうですか」
扉が開く。
向こうには、見たことのない空が広がっていた。
男は迷わず、その世界へ踏み出した。
◆
それから長い年月が過ぎた。
男は与えられた力を磨き、よく働いた。
失敗もした。
苦労にも耐えた。
やがて人々は、彼を立派な人物だと呼ぶようになった。
ある日、一人の若者が訪ねてきた。
「何をやってもうまくいかないんです」
仕事が続かない。
借金がある。
頼れる人もいない。
「でも、少し立て直せれば変われると思うんです」
若者は言った。
「借金さえなければ……。スタート地点さえ整えば、俺だって――」
男の眉がわずかに寄った。
「それは甘えだよ」
若者は口を閉じた。
「最初から誰かに整えてもらおうとするから駄目なんだ」
男は穏やかに笑った。
「環境のせいにせず、自分で道を作らないとな」
若者は真剣な顔でうなずいた。
男は続けた。
「結局、人生は本人の努力次第なんだよ」




