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21/22

『煩悩を食う者』

 黒崎は、数字を取る男だった。


 有名テレビ局でヒット番組を連発し、出世した。


 肩書が増えるたび、態度も大きくなった。


 部下を怒鳴る。


 深夜に呼びつける。


 失敗したスタッフを立たせたまま、何時間も説教する。


「俺の頃はもっとひどかった」


 そう言い続けていたが、録音された怒声が週刊誌に渡り、局は黒崎を切った。


 職は失った。


 だが、高級車も時計もタワーマンションも、請求だけは律儀に残った。


 借金は膨らんでいた。


 そこで黒崎は動画配信に目をつけた。


 テレビでは流せないものほど、ネットでは数字になる。


 制作会社を立ち上げ、一本の企画を発表した。


『貧乏人集まれ! 一年間修行できたら一億円!』


 賞金は山分けではない。


 達成者一人につき一億円。


 国籍不問。年齢不問。


 参加費は千円。


 舞台は山奥の古刹、煩殺寺ぼんさつでら


 修行僧ですら三日で逃げ出す者がいるという、日本一厳しい寺だった。


 応募者は一万人近くに達した。


 事業に失敗した者。


 ギャンブルで借金を作った者。


 家族に見放された者。


 仕事もせず親の金で暮らしてきた者。


 一発逆転を夢見る者たちが、日本中、海外からも集まった。


 午前四時起床。


 冷水。


 長時間の座禅。


 険しい山道。


 粗食。


 沈黙。


 娯楽なし。


 一週間後、残ったのは千人あまり。


 黒崎は笑った。


 視聴者も笑った。


 よく再生されたのは、世間から「クズ」と呼ばれそうな参加者が苦しむ回だった。


「ざまぁ!」


「人生なめてきた罰だな」


「せいぜい頑張れよ、負け組」


 他人の失敗ほど、旨味のある娯楽はない。


 一か月後には百人を切った。


 半年後には二十人。


 十一か月と三週間。


 残ったのは六人だった。


 その頃には、番組の人気も落ちていた。


 人が脱落する瞬間は面白い。


 だが、黙々と努力する姿には、視聴者はすぐ飽きる。


 再生数は全盛期の数分の一。


 スポンサーも減った。


 六人全員が達成すれば、賞金は六億円。


 黒崎は制作陣の三人を会議室へ呼んだ。


 番組全体を仕切る制作統括プロデューサー。


 出演者や撮影現場を管理する現場プロデューサー。


 契約や連絡、資料作成を担う二十代のアシスタントプロデューサー。


「あと一週間だ」


 黒崎は三人を見回した。


「六人を脱落させろ。方法は問わん。結果を出した奴には一千万出す。次の番組では上の席も用意してやる」


 最初に動いたのは制作統括プロデューサーだった。


 寺との折衝を担当していた彼は、住職に百万円の入った封筒を差し出した。


「最後の一週間だけ、修行をもっと厳しくしてもらえませんか?」


 住職は封筒に触れなかった。


「修行は、人を落とすためにするものではありません」


「しかし、番組として盛り上がりも必要でして」


「そちらの都合で修行を曲げることはできません」


「そこを何とか」


「できません。それは修行ではありませんから」


 次に現場プロデューサーが動いた。


 芸能事務所のつてを使い、美男美女を寺へ送り込んだ。


 恋人になってもいい。


 一晩だけでも遊ばないか。


 だが、日本一厳しい修行で知られる煩殺寺で、一年近く耐えてきた六人には通じなかった。


 誘惑する側が先に根を上げた。


 最後に黒崎はアシスタントプロデューサーを呼びつけた。


「お前は何をしてる」


「とりかかっております」


 黒崎は机を指で叩いた。


「成功させれば一千万だ。出世も約束する。若いうちにこんな話は二度と来ないぞ」


「はい」


 一年目の朝が来た。


 鐘が鳴った。


 本堂の前に六人が並んだ。


 一人も欠けていない。


 久しぶりにライブ配信の視聴者数が跳ね上がった。


 六億円。


 黒崎には、それしか見えていなかった。


 住職が六人へ合掌する。


「一年、よく励まれました」


 達成だった。


 アシスタントプロデューサーが前へ出た。


「皆さんに一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


 六人が振り向いた。


「皆さんは、お金を得るためにここへ来ました。一年間の修行を終えた今でも、お金は必要ですか?」


 沈黙のあと、一人の男が答えた。


 五十六歳。


 事業に失敗し、借金を抱えて参加した男だった。


 開始当初、誰よりも一億円に執着していた。


「私には、もう必要ありません」


 隣の中年女性も頷いた。


「私もです」


「俺も」


 六人全員が同じ答えを返した。


 黒崎は思わず手を叩いた。


「素晴らしい!」


 声が上ずった。


「これこそ修行の成果だ! いやあ、感動した!」


 六億円が浮いた。


 そう思った。


 アシスタントプロデューサーが続ける。


「では、賞金は辞退されますか?」


 最初の男が答えた。


「いいえ。いただきます」


 黒崎の手が止まった。


「……は?」


「私には必要ありません。しかし、お金を必要としている人はいますので」


 六人は賞金六億円を基金にすることを決めていた。


 借金相談。


 職業訓練。


 一時的な住居。


 治療費。


 支援するのは、この企画に参加し、途中で脱落した者たちだった。


 男はカメラを見た。


「私は人生に絶望していました」


 声は穏やかだった。


「あの頃の私みたいな人に使ってください」


 黒崎は何も言えなかった。


 アシスタントプロデューサーが振り向く。


「社長」


「……なんだ」


「私も仕事を終えました」


 スマートフォンを取り出した。


「達成者を意図的に脱落させるよう指示した件について、顧問弁護士と共同出資者へ記録を提出しました」


 黒崎の顔が固まった。


「六人を脱落させろ。方法は問わない。成功した社員には一千万。出世も約束する」


「お前……!」


「録音もあります」


 黒崎は若者を睨んだ。


「てめえ、最初から俺を――」


 コメント欄が濁流のように流れ始めた。


「八百長?」


「賞金払いたくなくて妨害?」


「さっき一番喜んでたの社長だろ」


 スポンサーが降りた。


 共同出資者が調査を始めた。


 数週間後、黒崎は代表を解任された。


 アシスタントプロデューサーは別の制作会社へ移り、ほどなく自分の番組を持った。


 黒崎の名も有名になった。


 悪い意味で。


 


 

 三年後。


 黒崎のスマートフォンが鳴った。


 表示された名前を見た途端、彼は姿勢を正した。


 かつてのアシスタントプロデューサーだった。


「こ、これはこれは。お久しぶりです」


「お久しぶりです、黒崎さん」


「いやあ、ご活躍は聞いてますよ」


 声まで柔らかくなった。


 黒崎は昔から、自分より下には横柄で、上には驚くほど腰が低かった。


「実は、新しい番組を始めようと思ってまして」


「番組ですか」


「ええ」


「何か、私にお手伝いできることでも?」


 三年間、まともな仕事にはほとんどありつけていない。


 元部下だろうが、仕事をくれるならありがたかった。


「ぜひ声をかけてくださいよ。企画でも演出でも。こう見えて現場経験だけは――」


「ある企画に参加していただきたいんです」


 黒崎の笑顔が固まった。


「……参加?」


「三年前に黒崎さんが作った企画、覚えてますよね」


 数秒の沈黙。


「……まさか」


「ええ」


 電話の向こうで、男は穏やかに答えた。


「煩殺寺です」


「ふざけるな!」


 黒崎は電話を切った。


 あんなところへ行けるものか。


 自分が参加者になるなど、冗談ではない。


 スマートフォンがまた鳴った。


 債権回収会社だった。


 無視して郵便受けを見る。


 赤い封筒が何通も入っていた。


 返済期限。


 督促。


 差し押さえ。


 高級時計はもうない。


 車も売った。


 タワーマンションもとうに出ている。


 それでも借金は残っていた。


 黒崎はしばらくスマートフォンを握っていた。


 やがて、自分から電話をかけた。


「……もしもし」


「はい」


「さっきは、その……取り乱しまして、失礼しました」


「いえ」


「番組の話なんですが」


「はい」


「賞金は……本当に一億なんですか?」


「もちろんです」


 黒崎は目を閉じた。


「……詳しい話を聞かせてください」


 数日後。


 新しい企画が発表された。


『人生逆転チャレンジ! 一年間修行できたら一億円!』


 三年前と同じく、国籍も年齢も問わない。


 参加費は千円。


 すでに多くの挑戦者が応募していた。


 ただ今回、一人だけ、最初から世間の注目を集めている参加者がいた。


 黒崎だった。


 かつてこの企画を作り、達成目前の六人を脱落させようとして会社を追われた男。


 その本人が今度は一億円を求め、煩殺寺へ入る。


 予告が公開されると、三年前の騒動を知る視聴者まで集まった。


 映像には、見覚えのある山門。


 見覚えのある本堂。


 大勢の挑戦者に交じって立つ黒崎。


「ざまぁ!」


「人生なめてきた罰だな」


「せいぜい頑張れよ、負け組」


 かつて黒崎が笑いながら読んでいた言葉だった。


 予告動画の再生数は百万を超えた。


 他の参加者を紹介した動画とは、桁が違った。


 黒崎は数字を眺めた。


 元部下へ電話をかけた。


「黒崎さん?」


「一つ確認したいのですが」


「なんでしょう」


「この企画、広告収入はどういう契約になってるんですかね?」


 電話の向こうが黙った。


「どう見ても、私だけ明らかに数字を取ってます。再生数に応じた歩合は頂けますよね?」


 画面では、数字がまだ伸びていた。


 黒崎は、数字を取る男だった。

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