『煩悩を食う者』
黒崎は、数字を取る男だった。
有名テレビ局でヒット番組を連発し、出世した。
肩書が増えるたび、態度も大きくなった。
部下を怒鳴る。
深夜に呼びつける。
失敗したスタッフを立たせたまま、何時間も説教する。
「俺の頃はもっとひどかった」
そう言い続けていたが、録音された怒声が週刊誌に渡り、局は黒崎を切った。
職は失った。
だが、高級車も時計もタワーマンションも、請求だけは律儀に残った。
借金は膨らんでいた。
そこで黒崎は動画配信に目をつけた。
テレビでは流せないものほど、ネットでは数字になる。
制作会社を立ち上げ、一本の企画を発表した。
『貧乏人集まれ! 一年間修行できたら一億円!』
賞金は山分けではない。
達成者一人につき一億円。
国籍不問。年齢不問。
参加費は千円。
舞台は山奥の古刹、煩殺寺。
修行僧ですら三日で逃げ出す者がいるという、日本一厳しい寺だった。
応募者は一万人近くに達した。
事業に失敗した者。
ギャンブルで借金を作った者。
家族に見放された者。
仕事もせず親の金で暮らしてきた者。
一発逆転を夢見る者たちが、日本中、海外からも集まった。
午前四時起床。
冷水。
長時間の座禅。
険しい山道。
粗食。
沈黙。
娯楽なし。
一週間後、残ったのは千人あまり。
黒崎は笑った。
視聴者も笑った。
よく再生されたのは、世間から「クズ」と呼ばれそうな参加者が苦しむ回だった。
「ざまぁ!」
「人生なめてきた罰だな」
「せいぜい頑張れよ、負け組」
他人の失敗ほど、旨味のある娯楽はない。
一か月後には百人を切った。
半年後には二十人。
十一か月と三週間。
残ったのは六人だった。
その頃には、番組の人気も落ちていた。
人が脱落する瞬間は面白い。
だが、黙々と努力する姿には、視聴者はすぐ飽きる。
再生数は全盛期の数分の一。
スポンサーも減った。
六人全員が達成すれば、賞金は六億円。
黒崎は制作陣の三人を会議室へ呼んだ。
番組全体を仕切る制作統括プロデューサー。
出演者や撮影現場を管理する現場プロデューサー。
契約や連絡、資料作成を担う二十代のアシスタントプロデューサー。
「あと一週間だ」
黒崎は三人を見回した。
「六人を脱落させろ。方法は問わん。結果を出した奴には一千万出す。次の番組では上の席も用意してやる」
最初に動いたのは制作統括プロデューサーだった。
寺との折衝を担当していた彼は、住職に百万円の入った封筒を差し出した。
「最後の一週間だけ、修行をもっと厳しくしてもらえませんか?」
住職は封筒に触れなかった。
「修行は、人を落とすためにするものではありません」
「しかし、番組として盛り上がりも必要でして」
「そちらの都合で修行を曲げることはできません」
「そこを何とか」
「できません。それは修行ではありませんから」
次に現場プロデューサーが動いた。
芸能事務所のつてを使い、美男美女を寺へ送り込んだ。
恋人になってもいい。
一晩だけでも遊ばないか。
だが、日本一厳しい修行で知られる煩殺寺で、一年近く耐えてきた六人には通じなかった。
誘惑する側が先に根を上げた。
最後に黒崎はアシスタントプロデューサーを呼びつけた。
「お前は何をしてる」
「とりかかっております」
黒崎は机を指で叩いた。
「成功させれば一千万だ。出世も約束する。若いうちにこんな話は二度と来ないぞ」
「はい」
一年目の朝が来た。
鐘が鳴った。
本堂の前に六人が並んだ。
一人も欠けていない。
久しぶりにライブ配信の視聴者数が跳ね上がった。
六億円。
黒崎には、それしか見えていなかった。
住職が六人へ合掌する。
「一年、よく励まれました」
達成だった。
アシスタントプロデューサーが前へ出た。
「皆さんに一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
六人が振り向いた。
「皆さんは、お金を得るためにここへ来ました。一年間の修行を終えた今でも、お金は必要ですか?」
沈黙のあと、一人の男が答えた。
五十六歳。
事業に失敗し、借金を抱えて参加した男だった。
開始当初、誰よりも一億円に執着していた。
「私には、もう必要ありません」
隣の中年女性も頷いた。
「私もです」
「俺も」
六人全員が同じ答えを返した。
黒崎は思わず手を叩いた。
「素晴らしい!」
声が上ずった。
「これこそ修行の成果だ! いやあ、感動した!」
六億円が浮いた。
そう思った。
アシスタントプロデューサーが続ける。
「では、賞金は辞退されますか?」
最初の男が答えた。
「いいえ。いただきます」
黒崎の手が止まった。
「……は?」
「私には必要ありません。しかし、お金を必要としている人はいますので」
六人は賞金六億円を基金にすることを決めていた。
借金相談。
職業訓練。
一時的な住居。
治療費。
支援するのは、この企画に参加し、途中で脱落した者たちだった。
男はカメラを見た。
「私は人生に絶望していました」
声は穏やかだった。
「あの頃の私みたいな人に使ってください」
黒崎は何も言えなかった。
アシスタントプロデューサーが振り向く。
「社長」
「……なんだ」
「私も仕事を終えました」
スマートフォンを取り出した。
「達成者を意図的に脱落させるよう指示した件について、顧問弁護士と共同出資者へ記録を提出しました」
黒崎の顔が固まった。
「六人を脱落させろ。方法は問わない。成功した社員には一千万。出世も約束する」
「お前……!」
「録音もあります」
黒崎は若者を睨んだ。
「てめえ、最初から俺を――」
コメント欄が濁流のように流れ始めた。
「八百長?」
「賞金払いたくなくて妨害?」
「さっき一番喜んでたの社長だろ」
スポンサーが降りた。
共同出資者が調査を始めた。
数週間後、黒崎は代表を解任された。
アシスタントプロデューサーは別の制作会社へ移り、ほどなく自分の番組を持った。
黒崎の名も有名になった。
悪い意味で。
◆
三年後。
黒崎のスマートフォンが鳴った。
表示された名前を見た途端、彼は姿勢を正した。
かつてのアシスタントプロデューサーだった。
「こ、これはこれは。お久しぶりです」
「お久しぶりです、黒崎さん」
「いやあ、ご活躍は聞いてますよ」
声まで柔らかくなった。
黒崎は昔から、自分より下には横柄で、上には驚くほど腰が低かった。
「実は、新しい番組を始めようと思ってまして」
「番組ですか」
「ええ」
「何か、私にお手伝いできることでも?」
三年間、まともな仕事にはほとんどありつけていない。
元部下だろうが、仕事をくれるならありがたかった。
「ぜひ声をかけてくださいよ。企画でも演出でも。こう見えて現場経験だけは――」
「ある企画に参加していただきたいんです」
黒崎の笑顔が固まった。
「……参加?」
「三年前に黒崎さんが作った企画、覚えてますよね」
数秒の沈黙。
「……まさか」
「ええ」
電話の向こうで、男は穏やかに答えた。
「煩殺寺です」
「ふざけるな!」
黒崎は電話を切った。
あんなところへ行けるものか。
自分が参加者になるなど、冗談ではない。
スマートフォンがまた鳴った。
債権回収会社だった。
無視して郵便受けを見る。
赤い封筒が何通も入っていた。
返済期限。
督促。
差し押さえ。
高級時計はもうない。
車も売った。
タワーマンションもとうに出ている。
それでも借金は残っていた。
黒崎はしばらくスマートフォンを握っていた。
やがて、自分から電話をかけた。
「……もしもし」
「はい」
「さっきは、その……取り乱しまして、失礼しました」
「いえ」
「番組の話なんですが」
「はい」
「賞金は……本当に一億なんですか?」
「もちろんです」
黒崎は目を閉じた。
「……詳しい話を聞かせてください」
数日後。
新しい企画が発表された。
『人生逆転チャレンジ! 一年間修行できたら一億円!』
三年前と同じく、国籍も年齢も問わない。
参加費は千円。
すでに多くの挑戦者が応募していた。
ただ今回、一人だけ、最初から世間の注目を集めている参加者がいた。
黒崎だった。
かつてこの企画を作り、達成目前の六人を脱落させようとして会社を追われた男。
その本人が今度は一億円を求め、煩殺寺へ入る。
予告が公開されると、三年前の騒動を知る視聴者まで集まった。
映像には、見覚えのある山門。
見覚えのある本堂。
大勢の挑戦者に交じって立つ黒崎。
「ざまぁ!」
「人生なめてきた罰だな」
「せいぜい頑張れよ、負け組」
かつて黒崎が笑いながら読んでいた言葉だった。
予告動画の再生数は百万を超えた。
他の参加者を紹介した動画とは、桁が違った。
黒崎は数字を眺めた。
元部下へ電話をかけた。
「黒崎さん?」
「一つ確認したいのですが」
「なんでしょう」
「この企画、広告収入はどういう契約になってるんですかね?」
電話の向こうが黙った。
「どう見ても、私だけ明らかに数字を取ってます。再生数に応じた歩合は頂けますよね?」
画面では、数字がまだ伸びていた。
黒崎は、数字を取る男だった。




