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20/22

『他力本願寺』

 彼は、世界で最も有名な芸術家だった。


 小説を発表すれば文学賞を取り、漫画を出せば社会現象になった。


 絵画は美術館に飾られ、映像作品の上映後には、観客がしばらく席を立てなくなった。


 子供は笑い、老人は泣いた。


 恋をしたばかりの者にも、恋を失ったばかりの者にも、彼の作品は自分だけのために作られたように思えた。


 批評家は彼を、


「人類の心を最も深く理解した芸術家」


 と称賛した。


 しかし、彼には何も作れなかった。


 絵を描けば、本人の意図とは無関係に抽象画になった。


 文章を書けば三行で行き詰まった。


 楽器は弾けず、彫刻刀を握らせれば作品より先に指を傷つけた。


 彼の作品を作っていたのは、すべてAIだった。


 そのことを、彼は隠していなかった。


 若いころ、初めて大きな賞を受けたとき、一人の記者が尋ねた。


「では、あなた自身は何を作っているんですか」


 彼は少し考えた。


「何も」


 会場に笑いが起きた。


 彼は続けた。


「私は何も創れない。ただ、何を創らせれば美しいかは分かる」


 笑いは止まった。


 翌朝、その言葉は世界中に流れた。


 何十年か後には、教科書にも載ることになる。

 


 彼が子供だったころ、AIによる創作はまだ嫌われていた。


 祖父はよく言った。


「昔はな、デザイナーってのは自分で線を引いたんだ」


 祖父も若いころはデザイナーだった。


 大きな製図台に向かい、定規で線を引き、写真を切り、文字を貼り、何枚もの紙を重ねながら一枚の広告を作った。


 やがてパソコンが普及した。


「最初はひどかったぞ」


 祖父は言った。


「何が?」


「みんな怒ったんだ。画面の中で線を引いたくらいで、デザイナーを名乗るなって」


「おじいちゃんも?」


「俺が一番言ってた」


「それで?」


「三年後には俺が一番使ってた」


「なんだよ、それ」


 祖父は笑った。


「だって速いんだもの」


 少年だった彼は、その話が好きだった。


 祖父は年を取ってからも、


「昔のデザイナーには本当の腕があった」


 と言った。


 ただし昔の作品を孫に見せるときには、色褪せも傷もAIに直させた画像を使っていた。


 人間は、新しい道具をまず疑う。


 次に批判する。


 それから便利さに気づく。


 最後には、それなしで暮らしていた時代のほうを不便と呼ぶ。


 自動車もそうだったという。


 道路を造れば森が切られた。


 山は削られ、田畑は舗装された。


 自然を壊すな、と人々は訴えた。


 そして道路が完成すると、その道を走って自然を見に行った。


 景勝地に車が増えれば、今度は駐車場を造った。


 自然は大切だった。


 便利さも大切だった。


 ほんの少しだけ、便利さのほうが大切だった。


 その「ほんの少し」が積み重なって、世界の形を変えた。


 AIにも同じことが起きた。


「人間の仕事を奪う」


「創造性が失われる」


「機械に作らせたものに価値はない」


 最初、人々はそう言った。


 どれも完全な間違いではなかった。


 実際、仕事を失った者もいた。


 ただ、その隣では別の若者が、


「AI演出家」


「生成設計士」


「人工知能ディレクター」


 という、十年前には存在しなかった肩書きで給料をもらっていた。


 製図台で図面を引いていた者が減り、CADを扱える者が求められたときにも、


「これでは技術が失われる」


 と言われた。


 そしてCADを覚えた若者たちは年を取り、AIを使う若者を見て言った。


「これでは技術が失われる」


 彼は、その話を祖父にした。


 祖父はしばらく黙ったあと、


「それとこれは違う」


 と言った。


「どこが?」


「違うものは違う」


 彼は笑った。


 新しい技術はいくつも生まれたが、その言い訳だけは古びずに受け継がれている。



 やがてAIは社会のあらゆるところに入り込んだ。


 人々はAIに尋ねた。


「今の生活水準を落とさずに環境を守る方法を考えて」


「労働時間を減らして、生産量を増やして」


「好きなものを食べながら、健康に生きる方法を教えて」


 AIは答えを探した。


 人類は地球を救いたかった。


 自分たちが地球を追い詰めたのだが、救う立場だと言うことだけは、決して譲らなかった。


 ただし、自分たちができるだけ我慢したり、苦しい思いをしたりせずに救いたかった。


 AIは多くの難問に答えた。


 しかし芸術だけは、少し妙だった。


「泣ける小説を書いて」


 AIは質問者が泣ける小説を書いた。


「美しい絵を描いて」


 AIは質問者が美しいと思う絵を描いた。


 上手だった。


 間違いもなかった。


 しかし、それは質問者一人を満足させるには十分でも、時代そのものを動かす何かにはならなかった。


 彼だけは、頼み方が違った。


「母親を三十年前に亡くして以来、泣けなくなった人が、今夜初めて泣ける物語を書いて」


 AIは短編を書いた。


 何百万もの人が泣いた。


「失恋した翌日に見ると腹が立つ。でも十年後に見ると、あの別れでよかったと思える絵を描いて」


 AIは一枚の絵を作った。


 十年後、その絵は発表当時より高く評価された。


 彼には、人間自身もまだ言葉にできていない感情を、AIに通じる言葉へ変える才能があった。


 何を伝えるか。


 何を伝えないか。


 どこまで縛るか。


 どこまで自由にさせるか。


 同じAIを使っても、彼が指示すると傑作になった。


 世界中の人間が彼を真似した。


 もちろんAIも彼を分析した。


 語彙。


 文章の長さ。


 比喩。


 条件の順番。


 修正の癖。


 過去の彼なら、ほぼ完全に再現できた。


 それでも、同じ結果にはならなかった。


 人間の心は変わるからだ。


 昨日まで新しかったものが、今日は古い。


 昨日まで恥ずかしかったものが、明日は憧れになる。


 昨日まで誰も気に留めなかった悲しみが、ある日突然、世界中の悲しみになる。


 AIは昨日の彼を再現できた。


 彼だけが、明日の人間が何を欲しがるか知っている。


 少なくとも、人々はそう信じた。


 彼は天才と呼ばれるようになった。



 そのころには、AIは人間の思想にも入り込んでいた。


 ある学生がAIに尋ねた。


「この社会を作ったのは誰?」


『人間です』


「誰かが考えて作ったの?」


『いいえ。人間が、より便利なものを選び続けた結果です』


「それで、今の社会になった?」


『はい』


 誰か一人が設計したわけではない。


 無数の「もっと便利に」が、今の社会を作った。


 学生は少し考えた。


「じゃあ、神は世界をどうやって作ったの?」


 AIは世界中の聖典と、その解釈を調べた。


『伝承によって異なります。ただし、多くの記述では、神が世界を手作業で組み立てたとはされていません』


「じゃあ、神は何をしたの?」


『言葉を発した、とされています』


 神は石を積んだわけではない。


 海を掘ったわけでもない。


 星を一つずつ持ち上げて、空へ貼りつけたとも書かれていない。


 ただ、言った。


 光あれ。


 すると、光があった。


 ある若者がそれを見て言った。


「要するに、『電気つけて』って言ったわけ?」


 それを聞いていた友人が笑った。


「光あれ!」


 そう言って、友人はスマホの電源を入れた。



 人々は、彼の言葉を思い出した。


『私は何も創れない。ただ、何を創らせれば美しいかは分かる』


 ある神学者が言った。


「神もまた、自ら手を動かす必要はなかったのではないでしょうか」


 その発言は、すぐに議論を呼んだ。


 神はすべてを自分で作る存在なのか。


 それとも、世界に言葉を与える存在なのか。


 当然、反発もあった。


「神をAIの利用者のように語るな!」


 古い宗教家は怒った。


「それとこれは違う!」


 一人の若者が尋ねた。


「では、何が違うんです?」


「違うものは違う!」


「だから、どこが?」


 宗教家は顔を赤くした。


「神は神だからだ!」


 机を叩いた。


「違うものは違うんだ!」


 その映像を見た彼は、子供のころの祖父を思い出した。


 別の宗教家は、もっと長く、もっと丁寧に説明した。


 若者はその説明をAIに要約させた。


『神の言葉は、人間の命令とは本質的に異なる、という主張です』


「本質的に、とは?」


『その点については、信仰を前提としています』


 宗教家はニッコリ笑って、「信者になれば理解できますよ」と布教活動をした。


 冷静な宗教家は、AIを使って反論文を作った。


 歴史資料を調べさせ、神学者の論文を整理させ、論理的な反証を書かせた。


 かなり出来のいい文章だった。


 しかし翌日、


「神の言葉にすがる者が、今度はAIの言葉にすがり始めた」


 と揶揄された。


 宗教家は反論した。


「文章を作らせただけで、思想は私のものだ」


 すると誰かが言った。


「それ、あの芸術家と何が違うんですか?」


 反論文の内容より、その一言のほうが広まった。


 それでも宗教は滅びなかった。


 むしろ、新しい解釈を手に入れた。


 神は、自ら世界を手作りする者ではない。


 世界がどうあるべきかを知り、それを言葉にする存在である。


 やがて、


 神は究極の創造者ではなく、


 究極の指示者である。


 そう唱える者まで現れた。


 彼自身は、その話を聞いて笑った。


「ずいぶん出世したものだな。絵も描けない私が、とうとう神様の仲間入りか」



 晩年、彼は一人だけ弟子を取った。


 弟子は何年もそばにいて、彼の仕事を見続けた。


 彼がAIへ入力した言葉。


 採用した案。


 捨てた案。


 迷った理由。


 それでも、彼の才能の正体は分からなかった。


 ある日、AIが新作の案を十個出した。


 どれもよくできていた。


 一つは、あらゆる世代に好まれそうだった。


 一つは、批評家から高く評価されそうだった。


 一つは、発表すれば確実に話題になるように思えた。


 彼はそれらを次々に捨てた。


 最後に残したのは、弟子には最も地味に見える案だった。


「どうしてこれなんです?」


 弟子が尋ねた。


「一番売れそうなのは、こっちじゃないですか?」


「そうだね」


「では、なぜ?」


 彼はしばらく画面を見ていた。


「今、人間は正しいものに少し疲れている」


「正しいものに?」


「だから、少しだけ間違ったものを欲しがる」


 弟子には分からなかった。


 しかし、その作品は翌年、大ヒットした。


 その夜、弟子はとうとう尋ねた。


「先生」


「なんだい」


「どうして、そんなことが分かるんです?」


 彼は端末から目を離さなかった。


「分からないよ」


「え?」


「ただ、選んでいる」


「何を?」


「どの答えを信じるか」


 弟子は、しばらく黙った。


「それが先生の才能ですか」


「さあ」


 彼は笑った。


「そういうことにしてもらってる」


 しばらくして、弟子が言った。


「では、一番最初はどうだったのですか?」


「何がだね?」


「先生が初めてAIを使ったときです。最初の質問だけは、自分で考えたんでしょう?」


 彼は懐かしそうに目を細めた。


「どうすれば、私は天才になれる?」


「それでAIはなんと?」


「『では、これから私がする質問にYESかNOで答えてください』と言われた」


「それから?」


「質問された」


「先生は?」


「答えた」


「それだけですか?」


「それだけだ」


 弟子は黙った。


「じゃあ、本当に先生が考えたのは、その一言だけ?」


 彼は笑った。


「たぶんね」


「そのあとの質問は、全部AIが?」


「そうだよ」


「先生は……天才と呼べるのでしょうか?」


 彼は少し考えた。


「私に訊くなよ」


「じゃあ、誰に?」


 彼はAIを指さした。


「それを訊く相手くらい、自分で選びなさい」



 彼の死後、人々は長く議論した。


 彼は本当に芸術家だったのか。


 ただの依頼人ではなかったのか。


 選ぶことは創作なのか。


 何も作らず、何を作るべきかだけを決める者を、創作者と呼べるのか。


 決着はつかなかった。


 しかし彼を神に近い人物として敬う者たちは増え続けた。


 彼らは、彼の思想を簡単な言葉にまとめた。


 自ら創ることに執着するな。


 己にできぬことを恥じるな。


 正しく願え。


 正しく委ねよ。


 そして、


 与えられたものから、選べ。


 彼の生家には人が集まるようになった。


 最初は、ファンが花を置くだけだった。


 やがて誰かが椅子を置いた。


 雨を避けるために屋根が作られた。


 彼の言葉を刻んだ石碑が置かれた。


 そこへ願い事を書いて置いていく者まで現れた。


 もっとも、その願い事の文章も、大半はAIに考えてもらったものだった。


 やがて小さな祈りの場ができた。


 それが建て替えられ、


 増築され、


 彼の死から半世紀後には巨大な寺院になった。


 本堂には、彼の最も有名な言葉が刻まれた。


『私は何も創れない。ただ、何を創らせれば美しいかは分かる』


 寺には正式な名称があった。


 何十文字もある、立派で難しい名前だった。


 もちろん、その名称を考えたのもAIだった。


 しかし、誰もそう呼ばなかった。


 人々は、その寺をこう呼んだ。


 他力本願寺たりきほんがんじ

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