『ゼロからのスタート』
「このままでは、警察の信用が失墜する!」
署長は机を叩いた。
だがその言葉は、すでに手遅れだった。
その頃には、警察官の不祥事は日常の一部になっていた。
天気予報のあとに、当然のように流れる程度には。
会議では対策が並ぶ。
倫理教育、監査強化、再発防止――。
もっとも、それを決める者たちの半数は、すでに何かしらの「前科予備軍」だった。
――数年後。
警察の信用は失墜した。
いや、失墜というより――地中から顔を出せなくなった、と言うべきか。
書店には、ある本が並ぶ。
『一般人のための警察官対応マニュアル』
帯にはこうある。
――「黙秘権は正当な権利ですよ?」
――「証拠はまずネットへ保存!」
人々は、不当な逮捕を恐れるようになった。
証拠は警察に提出する前に、まずネットへ――それが常識となった。
録音機とカメラは、もはや財布と同じ必需品である。
警察官はそれらを嫌った。
揉み消せないからだ。
流行文大賞には、「公務執行妨害で自らを逮捕」がノミネートされたが、選ばれることはなかった。
警察は声明を出す。
「信頼回復に努める」
その言葉は、半世紀以上前から使われていた。
誰も、信用しなかった。
やがて警察は、「沈黙する」ことを選んだ。
すなわち、黙秘権の行使である。
「黙秘するってことは、犯罪行為を認めるってことですね?」
かつてそう迫っていた取調官は、自らが黙秘する立場になって、ようやくその意味を知った。
地上では市民が自衛し、地下では警察が「反省していることになっている」。
そして現職の署長は言う。
「警察官の犯罪ゼロを目指す!」
正義感に満ちた目をしていた。
署長が子供の頃から、警察の信用はすでに失墜していたのだから、無理もない。
記者が問う。
「現在の件数は?」
署長は微笑んだ。
「記録が残っていませんので――ゼロです」
わずかな間を置いて、付け加える。
「ようやく、ゼロからのスタートです」
■おわり■




