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13/22

『手をとりあう』

 あるところに、両手を持たない人々の世界があった。


 誰もが、生まれた時から肘の先を持たない。


 だから人々は、腕で物を支え、肘で扉を開け、足や口も使いながら暮らしていた。


 食器には腕を通せる輪が付き、本は足でもめくりやすいよう作られている。


 街の道具も建物も、すべて彼らの身体に合わせて作られていた。


 それが普通だった。


 最初からそうだったので、不便でもなければ、不幸でもない。


 誰も、“手”というものを知らなかったからだ。


 そんな世界で、古代遺跡が発見された。


 遺跡の奥から見つかったのは、奇妙な器具だった。


 白銀の手。


 腕の先に取り付ける形をしており、五本の細長い指が伸びている。


「これは……なんだ?」


 学者たちは首を傾げた。


 壁画には、それを腕に付けた古代人の姿が描かれていた。


 やがて人々は、それを“義手”と呼ぶようになった。


 見たこともないその造形は、まるで伝説上の生き物の一部のようだった。


 だが、義手は動かなかった。


 誰が腕に取り付けても、指一本すら反応しない。


 それでも人々は欲しがった。


 “手を持つ”というだけで特別だったからだ。


 裕福な者は装飾品として身につけた。


 貴族は権威の証にした。


 商人は希少品として値を吊り上げた。


 やがて義手は、富と権力の象徴になった。


 奪い合いが起こり、命を落とす者さえ現れた。


 そんな頃。


 古代文字の解読が進み、欠けた石板から一節が読み取られた。


『――人々は、手をとりあっていた』


 学者たちは騒然となった。


 古代人は、“手をとりあっていた”。


 今、この世界でも義手を巡って争いが起きている。


「“手をとりあう”とは、互いの手を取り合う――つまり奪い合うことを意味しているのでは?」


 古代文明は、義手を巡る争いによって滅びた。


 その説は瞬く間に広まった。


 だが、人々は恐れるどころか、ますます義手を求めた。


 文明を滅ぼすほど、人を狂わせる宝。


 それほどまでに価値があるのだ、と。


 街外れの廃棄場に、一人の青年が暮らしていた。


 捨てられた物を拾い、使えそうなものを修理して日々をしのいでいる。


 ある日、瓦礫の中から一本の義手を見つけた。


 赤茶けた、錆だらけの義手だった。


 指は曲がったまま固まり、表面には傷が走っている。


 飾り物としても価値はない。


 それでも青年は、嬉しそうに持ち帰った。


 錆を落とし。


 布で磨き。


 油を差し。


 壊れた留め具を直した。


 もちろん、指は反応しない。


 それでも青年は、その義手を気に入っていた。


 ある日。


 義手を腕に取り付け、街へ出た。


 市場は、いつも以上に混み合っていた。


 荷車が行き交い、商人たちの呼び声が飛び交う。


 ガタン。


 大きな音が響いた。


「危ない!」


 積み上げられていた荷が傾き、一斉に崩れた。


 人々が悲鳴を上げて逃げる。


 市場の一角が、たちまち瓦礫の山になった。


「お母さん!」


 少女の泣き声が上がった。


 一人の女性が、倒れた荷車のそばにうずくまっている。


 腕が歪んだ金具に挟まれ、留め金が服へ食い込んでいた。


 無理に引けば、皮膚まで裂けかねない。


 周囲の人々が駆け寄った。


「荷車を持ち上げろ!」


「こっちを支えろ!」


 何人も身体を押し当てる。


 だが、女性の腕は抜けない。


 服が細い留め具に絡まり、その奥で小さな金具が引っかかっていた。


 肘では入らない。


 足先でも届かない。


 この世界には、“指先”がなかった。


 小さなものをつまみ、回し、ほどく。


 そんな動きが、誰にもできなかった。


 頭上では、崩れかけた木箱が軋んでいる。


「いいから……逃げて」


 女性が青ざめた顔で娘に言う。


「いや!」


「早く!」


 少女は泣きながら母親へしがみついた。


「どいて!」


 青年が人混みをかき分けて飛び込んできた。


 少女が縋るように言う。


「お母さん……助けて……」


 青年は一度だけ息を吸った。


「だいじょうぶだよ」


 少女へ笑いかける。


「絶対に助けるから」


 錆びた義手を、金具へ伸ばした。


 ギギ。


 小さな音が鳴る。


 青年が目を見開いた。


 人差し指が、わずかに開く。


「……え?」


 続いて、五本の指がゆっくりと開いた。


 周囲から息を呑む気配がする。


 青年も震えていた。


 だが、迷っている暇はない。


 義手を細い隙間へ差し込み、親指と人差し指で留め具をつまむ。


 カチ。


 ゆっくり回す。


 もう一度。


 外れた。


 絡まった布を慎重にほどく。


「今だ!」


 女性が腕を引き抜いた。


 青年が少女ごと抱えるようにして、その場から転がる。


 直後。


 ドドドッ、と木箱が落ちた。


 土煙が上がる。


「お母さん!」


 少女は泣きながら母親へ抱きついた。


「大丈夫……大丈夫よ」


 安堵の声が周囲から漏れる。


 青年は地面に座り込み、自分の義手を見つめた。


 五本の指は、確かに開き、曲がる。


 まるで最初から、身体の一部だったかのように。


「義手が……動いた……」


 誰かが呟いた。


「こっちにもいるぞ!」


 離れた場所から声が上がる。


 一人の子供が、倒れた荷車のそばで泣いていた。


 服の裾が車輪の軸へ巻き込まれ、身動きが取れなくなっている。


 青年が立ち上がろうとする。


 その前に、金色の義手を付けた商人が進み出た。


 高値で義手を売り、希少なものほど価値があると吹聴してきた男だった。


 商人は立ち尽くした。


 錆びた義手。


 助けられた母娘。


 そして、目の前で怯える子供。


「……どけ」


 車輪の前へ膝をつく。


「俺がやる」


「でも、その義手は――」


「分かってる」


 男は金色の手を伸ばした。


「もう少しだけ我慢しろ」


 カチリ。


 金色の親指が開く。


 男の顔が強張った。


 やがて五本の指が開いた。


「……そういうことか」


 小さく呟き、車輪へ絡んだ布をほどいていく。


 その姿を見ていた者たちも、自分の義手へ目を落とした。


「こっちを手伝ってくれ!」


 声が飛ぶ。


 一人が走った。


 また一人が続く。


 倒れた棚の留め金を外す者。


 絡まった紐をほどく者。


 傷ついた者を助ける者。


 誰かを助けようとするたびに、金属の指がひとつ、またひとつと開いていった。


 それまで奪い合っていた“手”が、初めて誰かのために使われていた。


 長い年月の後。


 遺跡を調べ続けていた学者たちは、ついにあの石板の全文を解読した。


 かつて、


『――人々は、手をとりあっていた』


 としか読めなかった文章。


 そこには、こう刻まれていた。


『人々は、互いを助けるために、手をとりあっていた』


 

■おわり■

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