『一を知る凡人』
僕のクラスには、「一を聞いて十を知る」と呼ばれる神童がいた。
先生も親も口を揃えて、「将来が楽しみだ」と言っていた。
その神童の隣には、いつも同じ子がいた。
気だるそうで、暗い顔をした、取り立てて何もできない子だった。
「どうして、あんな子と一緒にいるのだろう?」
みんな、同じことを思っていた。
なぜか、その子と話しているときだけ、神童はよく笑った。
ある日、誰かが興味本位でその子に話しかけた。
さぞ面白い話をするのだろうと期待していたのだ。
しかし、その子は特に面白いことを言うわけでもなく、気の利いた返しをするわけでもなかった。
むしろ、どこか話が噛み合わない。
やがて「気味が悪い」と、みんな距離を置くようになった。
「神童は、心の広い人格者なのだ」
と、みんなは思うことにした。
その子が死んだのは、梅雨の終わりのことだった。
理由は分からなかった。
通夜の帰り、僕はトイレに寄ってから帰ろうとしていた。
そのとき、誰もいないはずの部屋に、人影を見つけた。
棺の前に、神童が立っていた。
「もっと、君と話がしたかった」
静かな声だった。
「僕は『一を聞いて十を知る』なんて言われているけど……」
神童は、棺の中を見つめたまま続けた。
「君は、一を聞いて千を知る人だった」
僕には神童が何を言っているのか分からなかった。
◆
――あれから数十年経った。
僕は結局、平凡な大人になった。
先のことなど、ろくに分からないまま、仕事をして、食べて、たまに笑って、なんとなく生きている。
けれど、あの言葉だけは、ずっと引っかかっている。
一を聞いて千を知る、ということ。
もし、何かを少し知っただけで、その先にある結末まで、すべて見えてしまうのだとしたら。
努力の結果も、失敗の痛みも、出会いも別れも、最期の瞬間さえも、最初から分かってしまうのだとしたら。
――その人間は、「今」を見ることができるのだろうか。
未来が確定している世界で、わざわざ足掻く意味を感じられるのだろうか。
あの子は、勉強も運動もできなかったわけではない。
きっと、やる前からすべてを知っていただけなのだ。
だから、やらなかった。
いや――やれなかったのかもしれない。
神童は十までしか見えていなかった。
だからこそ、まだ「今」を生きる余地があった。
僕は、一すらよく分かっていない。
だから、毎日を手探りで進むしかない。
それでも、腹が減れば飯を食うし、楽しいことがあれば笑う。
先のことは分からない。
分からないから、試してみる。
あの子が見ていた世界を、僕は知らない。
それでも――
何も見えていない僕のほうが、この世界を今も楽しんでいる。
「知らぬが仏」とは、よく言ったものだ。
■おわり■




