『いちばんの偉人』
リビングでは、父が『あん時、歴史が動いた!』を観ている。
私は少し離れたソファに腰を沈め、ぼんやりと画面を眺めていた。
歴史上の人物に焦点を当てた番組である。
評論家や歴史学者たちが、まるで旧知の仲のように語り合っている。
「徳川家康はね……」
「豊臣秀吉とはね……」
会ったこともない相手に、よくそこまで熱く語れるものだ、と私は思う。
その様子は、どこかアイドルや芸能人に夢中になる熱心なファンにも見えた。
この人たちは、いわば“元祖推し活”なのかもしれない。
ふと、テレビを観る父に視線を移す。
父は歴史好きだが、あそこまで詳しいわけでも、熱心というほどでもない。
幼い頃、私は父に尋ねたことがある。
「歴史の何がそんなに面白いの?」
父は少し考えてから、こう答えた。
「なんていうか……“今”とつながっているからかな。偉人たちの小さな選択が、未来を大きく変えている感じが好きなんだよ」
画面には、また見慣れた名前が並ぶ。
織田信長、秀吉、家康。
何度も何度も繰り返し語られる人物たちだ。
戦国から安土桃山にかけての時代、人の平均寿命は三十歳から四十歳前後だったと聞く。
その中で、秀吉は六十歳前後、家康は七十歳を超えている。
信長は四十八歳でその生涯を終えた。
父は、今年でちょうど七十歳になる。
家康と、ほぼ同じ年齢だ。
七十年という歳月が長いのか短いのか、私にはまだよくわからない。
ただ、その程度の時間で、何百年も語り継がれる人間がいるというのは、やはりすごいことなのだろう。
世界に大きな影響を与えた人が、偉人と呼ばれる。
たしかに、それは間違いではない。
けれど、よく考えてみれば、名前が残るかどうかの違いだけで、誰かしら世界を変えている。
名前が残らないだけで、今この瞬間にも、どこかで何かが変わっているはずだ。
ただ、どんな偉人にも共通していることがある。
『親がいなければ、生まれてこなかった』
それだけは、秀吉も、家康も、信長も、例外ではない。
テレビの中では、偉人たちの功績が語られ続けている。
けれど、自分にとっての“偉人”は、案外すぐそばにいるのかもしれない。
私はもう一度、父の背中を見る。
画面の中の誰よりも、私にとって“今”をつくった人。
それはたぶん、ここにいる。
テレビの音が、少しだけ遠くなった。
■おわり■




