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6. じゃれ合い

 

 子猫のようだな、と思った。

 うずうずとした気配を振り撒きながら、礼拝堂の太い柱の影からこちらを伺う小さな影。俺は小さくため息をついて、それからいつものようにわざと少しだけ隙を見せてやった。


「ナギ!」


 柱の影からパッと飛び出した小さな影が走り寄って来て、俺の背中の羽に埋もれるように抱きついた。

 モフッという音が聞こえそうなほど、遠慮なく沈み込む体温。俺はわざと体をビクつかせて、あたかも今気が付いたかのような振りをしてみせる。


 もうほぼ毎日の恒例になっているこれが、トキは甚く気に入っているらしい。こっそりと礼拝堂の扉を開けて、猫のように足音を消しながら俺に忍び寄って、俺の隙を突いて突然抱きつく。

 トキは俺を驚かせているつもりなのだが、ハッキリ言おう。バレバレだ。如何に上手く身を隠したところで名前を呼んでから抱きついたのでは意味が無いし、そもそも気配でバレバレ過ぎて逆に驚くくらいなのだが、トキが毎度見せる『してやったり』という顔があまりにも微笑ましいものだから、俺もつい付き合ってしまう。


 トキが今この小さな村のどこにいて、誰と何をしているかくらい、その気になれば眼を閉じていたって俺にはわかる。けれどその事実を教えてやるのはもう少し先でもいいだろう。今はまだ、この子猫のような頭の悪い遊びに付き合ってやるのも悪くない。そんなことを考えながら一つため息をついて、俺の真っ黒な羽に嬉しそうに擦り寄るトキの頭をぐりぐりと撫でる。羽の隙間から、嬉しそうに小さくヒヒッと笑う声が漏れ聞こえた。


 初めてトキと言葉を交わしたあの日から、何だかよくわからないうちに、亡くなった司祭の代わりに俺がトキの練習に付き合うことになった。

 当然のことながら俺にそうしてやる義務なんか無かったけれど、トキの下手くそな割に伸びやかな歌声は何故かとても心地が良くて、俺は特に文句を言うこともなくそれに付き合ってやっている。


「こらやめろ、シワになる」


 モゾモゾと、擽ったい動きで羽の奥に入りたがるトキの頭を軽く小突けば、途端に不満そうな声で反論が上がる。


「だって、外寒かったんだもん!」


 だって、の使い方が間違っている。文脈がおかしい。けれどその言わんとしていることは冷え切った小さな体からこれ以上なく伝わっているので、敢えて訂正はしないでおこう。


「びぇっくしゅ!」


 トキが一つ豪快なくしゃみをして、そうか、この室温では人の子は寒いのか、と気付く。

 俺は人間のような恒温動物ではなくて、どちらかと言うと蛇のような変温動物に近い種族だ。かと言って冬眠をするわけではないし、生き物である以上、全く体温が無いわけでもない。

 生命維持という観点では人間のような常に高い体温は必要無く、人間ほどには暑さや寒さも感じない。けれどそれでも、素足で踏む真冬の雪の冷たさや、肌を焼く夏の日差しの熱さは知っている。


 まだモゾモゾと動き回るトキの小さな体を抱え込みながら、俺は手早くあたりを見回した。礼拝堂には大きな暖炉があるけれど、古ぼけたそれに火を起こすのはやや手間がかかる。

 俺は一つため息をついて、仕方なくトキの体を羽で包んでやった。トキは喉を鳴らしながらその暖かさに喜んで、柔らかく微笑みながらうとうとと微睡み始め、ついにはそのまま眠ってしまった。


 おい、歌いに来たんじゃないのか。

 そう思うものの、気持ち良さそうに眠る子供を起こすのも忍びない。俺はまた溜息をついて、脱力してほんの少しだけ重くなったトキの体を抱えたまま、起こさないようにそっと椅子に座った。


 しばらくそのまま、俺よりもずっと暖かい小さな体温を感じながら、ただぼうっと礼拝堂の天井を見つめた。

 決して豪奢な彫刻などされていないこの小さな教会も、窓から差し込む柔らかな冬の日差しに照らされると、そう馬鹿にしたものでも無かった。きらきらと輝きながらゆっくりと風に舞う塵が何かの福音のようで、白い漆喰で象られた天使やマリアの象を惜しみない祝福で包んでいるように見えた。

 どこからか入り込んでところどころに芽を出し、そろそろと壁を這っている細い緑色の蔦も、まるで世に生きるもの全てが持つ生命力そのものを表しているようで美しい。誰しもの目を惹くような派手さはないけれど、静かで、穏やかで、生きる強さに満ちている。


 決して完璧ではないこの空間にこそ、どこか完成された美しさがあるような気がした。ただ優しく、ひっそりと。限りなく人の命に寄り添う空気が、ここにはある。


 腕の中で小さく身を捩るトキを見やる。

 何だか、よくわからない気持ちだった。こんなにも弱く小さく柔らかいものを、ここまで深く自分の羽の内に入れてやるなんて初めての経験だった。もしも俺に子がいたらこんな気分なんだろうか、などと取り留めもないことをぼんやりと考える。暖かい、小さな拍動。直に体に伝わってくるそれが、もしかしたら人が『幸せ』と呼ぶものなのかもしれない。

 全く、俺も随分と感化されたものだ。口の端に浮かぶ苦笑いをそのままに、俺は妙に感傷的な気分に浸りながら、しばらくそのままの姿勢で眠るトキを見つめていた。


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