10. 優しい結末の夢
味気ない木綿のシーツの上に散らばる太陽色の髪。俺だけを映す、月の粉をまぶしたような金色を帯びる瞳。きらきらと光る星屑のような雫をその眦に忍ばせて、トキは隣に横たわる俺に向かって、にっこりと微笑んだ。
つい先ほど、唐突に「一緒に昼寝がしたい」と言われたときは、流石に目を丸くした。あの流れでどうしてそうなるのか。
閨の知識などない子供なのだから仕方がないかもしれないが、これでは全く意識されていないも同然ではないか。そう思って少し頭を抱えた俺に、トキは尚も訴えた。曰く、俺の部屋に泊まってみたい、そしてあのベッドで一緒に眠ってみたい、ということだった。
今夜はこのままここに泊まると言い出したので、慌てて止めた。ついこの間の花束事件のことが頭を過ぎる。正確にはあれは明け方だったけれど、教会とはいえ責任者の司祭が不在の状況で、ここに何度も泊めるのは流石に気が引けた。トキにここで寝泊まりする癖がついてもいけない。俺の身が保たないからだ。
そう思う俺と、頑として譲らないトキとの間に生まれた妥協案が、俺の部屋での昼寝だった。時間的にはもう夕方だけれど、そんなことはお構いなしのようだ。
味気ない俺の部屋の中で、トキの存在だけが確かな色彩を備えている気がした。
窓から差し込む柔らかな夕暮れを受けて、優しく緋色に染まるトキの頬。暖かな色の光にゆっくりと満たされていく小さな部屋で、俺は寝そべったトキの頭をそっと撫でた。
艶やかな髪が一筋、重力に従ってはらりと落ちる。それを指先で摘まんで戻してやりながら、耳の裏側に手櫛を通した。じわりと指先を痺れさせる優しい暖かさ。うっかりすると呆けてしまいそうなほどに心地良い。
暖かい、は、幸せだ。
人間のような体温がない俺でも、トキと触れ合っていると少しだけ暖かくなる。肌に移るトキの熱が心地良い。一人では決して感じられないその温もりに、俺は今確かに生きているのだと強く感じる。
「トキ」
小さく呼べば、長い睫毛を閃かせて俺を見上げる。それだけでこみ上げる幸福感。名を呼ぶこと、それに応えること、隣に眠ること。その全てを、トキが、こんなにも姿かたちの違う俺に許しているという事実がどうしようもなく嬉しい。
「なに?」
ふふ。小さく響く含み笑い。
何だか、とても大切なものを見つけたような気分だった。体の奥底に深く沈殿させて、無くさないように閉じ込めておきたい。そんな感情は生まれて初めてだった。トキといると、俺はいつも新しい自分と対峙させられる。
「トキ」
もう一度呼んで、擦り付けるように暖かな額を合わせた。ひたと見つめてくる視線。乞われているような気がして、また髪を撫でて笑い合う。
素肌を暴いたわけでもないのに、何だかもう一つになったような気分だ。溶けて輪郭が曖昧になるような、互の境目がわからなくなるような、とても満たされた気持ちだった。
「……お前、いつか人間じゃなくなるかもよ」
人間にはない力を持つ俺と、体を繋げること。俺と居続ける限り、いずれはきっとそうなるだろう。
そしてそれは望むと望まざるとに関わらず、人間であるトキには大きな変化を齎すはずだった。交わることは、縁を結ぶことだ。魂に互いの痕を残し合う行為だ。トキのまっさらな魂に、俺という存在を強く縫い付けてしまった後の彼女が、もう人間と呼べる存在なのかはわからなかった。
「よく、わかんないけど……」
少しだけ視線を宙に向けて、トキは小さく首を傾げた。
「ナギのこと好きだから、一緒にいたい。それじゃ駄目なの?」
俺の胸の羽に指を這わせて、トキはそう言った。瞳はどこか縋るような色をしている。
俺は、決して高位の悪魔じゃない。力の強い奴らのように、気に入った人間を眷属にして自分が死ぬまで側に置くようなことは出来ない。トキは俺より早く死ぬ。そう思うと胸が引き裂かれそうに苦しくて、けれどだからこそ、もう止めようがなかった。例え僅かな時間でも、確かに互いを求め合うことが出来るのならば、それは永遠を共にすることよりもずっと尊いような気がした。
やがて聞こえ始めた安らかな寝息に、ただ耳を澄ませる。起こさないように気を付けながら、指先でトキの丸い頬に触れる。柔らかくて、常よりも僅かに熱い。これが眠る子供特有の感触なのか、人が眠ると皆こうなるのかは、わからなかった。
しっとりと汗ばんだ額には小さな玉のような汗が浮かんで、その中にきらきらと光る今日最後の太陽を閉じ込めている。とても綺麗だ。
俺は長いこと飽きもせずに、じっとその光景を見つめていた。相変わらず俺の掌はほぼ無意識のうちにトキの髪やら頬やらを弄っていたけれど、トキが目を覚ます気配はなかった。一度眠るとなかなか起きないのも、子供だからなのだろうか。
俺が守ろう。ふと、そう思った。
いつか体を繋げることでトキが人として生きられなくなっても、俺が側にいて守ろう。トキがその生涯を閉じるまで、ずっと側に。そして彼女を見送った後で、俺もこの命を絶とう。もとより、いつ終わっても未練などなかった身だ。トキのいなくなった世界に残る意味など見出せるはずもない。
「悪くない考えだ」
小さく呟いて、笑う。それはとても幸せで、これ以上は無いと思える程に優しい結末だと思った。




