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異世界に転生してから七カ月が過ぎただろうか。
そして数日前から体に変化が――要するに下半身がふくよかになってきたのである!!
ここ最近は食欲が止まらず、欲望のまま爆食していた。
「下腹がヤバい……」
ぽっこりと出てきた下腹に、食生活を改善しようと決意する。
『あれだけの量を食べているのだから、お腹が出てくるのは自然の摂理ではなくて? それに……アンジェリアの体が栄養を欲している証拠でもあるわよ』
「自分でも食べ過ぎなのは自覚してるの。どうしてか分からないけど、食欲が止まらない……これって病気かな?」
『食欲が止まらなくなる病気があるの?』
「こんなに食欲が止まらないのは、私も初めての経験なんだよね。やっぱり病院で診て貰った方が良いかなぁ……って、この世界に病院って存在するのかな?」
隣街のアバネシー区に薬師は存在しても、医師を見た事がない事に気づく。
『ホスピタルの事かしら? この地だと――そうね、領都アスカムにあると思うわ』
領都アスカムはボートン区から馬車で約三日の距離だ。
まだ乗り合い馬車に乗った事がないし、万が一、行先が違う馬車に乗ってしまったらスタート地点からやり直しになる。そんな事になったら余計に時間はかかるし、何より面倒臭い。
この地で解決策を練るしかないだろう。
ブランシェはアシュベリー公爵領というか、森型ダンジョンに古くから住み着いている聖獣である。
この地について土地勘があるのは当たり前だが、それと同じく何か解決策を知っているかもしれない。
私は僅かな希望を持って、彼女に尋ねた。
「この地にいる人が体調不良になった時、どう対処しているの?」
『錬金術が作った回復ポーションか、薬師が煎じた薬湯じゃないかしら?』
――ああ! そうだった!!
魔法に特化した世界なら、医師の手にかかる機会が少ないのも頷ける。
きっと医師に診て貰えるのは貴族の特権で、領民や移民は薬師と錬金術師に頼るのだろう。回復ポーションや薬湯で病状が治まるなら、それに越した事はない。
何より安価で入手できるのだ。
近くに病院がないなら、薬師に見立てて貰うのが一番かもしれない。
「原因が分からないのはモヤモヤする……ダメもとで薬師のビショップさんの所へ行って来る。ブランシェはどうする?」
『わたくしはお昼寝をするわ』
ブランシェはお気に入りのクッションの上に丸くなる。
現在のクッションは二代目だ。
最初に作ったクッションは羽毛がへたれたので、新しく作り直したのである。魔法を使えば修繕も可能だったのだが、土台の部分とカバーのデザインを変えたかった。
羽毛を詰め込む土台の生地を二重にして、形状記憶と自動修繕の付与がついた魔道具を忍ばせておけば、クッションのふわふわ感も持続可能。
ブランシェも最初のクッションよりも、現在のものを気に入っているのだろう。
猫型の時は一日中ずっとクッションの上にいる。
「じゃあ、ブランシェはお留守番をお願い」
『ええ』
私は転移魔法で薬師の店の近くへ移動し、そのまま店内へ足を踏み入れた。
「お嬢さん、いらっしゃい」
店主のビショップさんが笑顔を浮かべる。
「こんにちは、ビショップさん。今日は相談があって来ました」
「相談?」
「私ずっと食欲が止まらなくて……体に異変というか、その……特にお腹周りに脂肪がついて困っているんです!」
これまでの事を分かりやすく説明しつつ、私は自分の腹部に手を当てた。
それに対し、ビショップさんは首を傾げながら、私の話に耳を貸す。
私の説明が終わると同時に、ビショップさんは再び首を傾げていた。
「はて? 食欲が止まらずに、体がふくよかになってしまったという意味かな?」
薬剤師である彼は、医師が得る知識に及ばないかもしれないが、それでも人体について私より詳しいはず。
そんな彼も私の症状について、全く思い当たらない様子だ。
私にとっては重要な問題である。
食べた分のカロリーを消費する解決策は出来ても、食欲を抑えられなければ意味がない。自分でも自覚しているが、本当に食欲魔人の如く、常に食べ物を口の中に入れているのだ。
「はい……これって病気ですか?」
私の必死な形相に、ビショップさんの顔が引きつっている。
「お嬢さんの症状は病気ではないよ。もしかして自覚がないのかな?」
「え? 病気じゃない? 自覚って……食べ過ぎている自覚はあります」
「いやいや……私の見立てでは妊娠八か月って所だろうね。おそらく悪阻がなかったのと、お腹が出にくい体質かもしれない。二か月も過ぎれば、その食欲も落ち着くと思うよ」
「――は?」
なんだろう、聞き間違いかな?
今、妊娠八か月って言った?
――っていうか、以前の私は十五歳で妊娠するような事をしていたの!?
ちょっと有り得ないんだけど!?
「おや? お嬢さんは身に覚えがないのかな?」
「全く……そもそも十五年分の記憶がないんですよ。自分のスキルで名前と生まれた国を知りました。私は自分が生まれ育った場所や、家族の記憶が一つもないんです。この地へは川に流されてきたようで……」
私の話にビショップさんが驚いた表情を浮かべた。
「お嬢さんは記憶喪失だったのか……それじゃ、相手が誰かは知らないんだね?」
「はい」
「ここまで胎児が育ってしまうと、堕胎薬は厳しいね。せっかく授かった命だし、元気な子を産みなさい。うちでは出産も受けているから安心すると良い。体調に変化があれば、いつでも魔法郵便で知らせなさい」
ビショップさんから薬草茶を貰った。
この薬草茶は母体と胎児に影響が出ない、精神安定剤の効果があるらしい。
朝と寝る前に飲むのが効果的だと教えられた。
私の食欲は妊娠後期に訪れる自然な現象のもの。
それも出産間際になれば食欲が落ち着くようだ。
しかし自分が妊娠しているとは――おまけに八か月である。子供が産まれるまで二か月くらいだろうか。全く身に覚えはないが、八か月まで育っているなら産むしかない。
私はビショップさんの店を出ると、生まれてくる子供の為に必要な物を買いに向かった。
まずはベビーベッド、おしめと産着も必要である。
この世界に哺乳瓶は存在しているのだろうか。母乳が出なければ代用のミルクも必要だ。買いそろえる物が多い。そういえば家具屋を見た事がなかったと思う。
おしめと産着は生地と衣類を購入している店舗で賄える。
「あれ? その隣に木製の家具っぽいのなかった?」
店頭に商品がなくても、カタログがあれば取り寄せも可能だろう。
私はその足で生地屋へ向かった。
改めて目の前の店舗を観察すると、しっかり扉の横に「ルーフ亭」と書かれた看板が視界に飛び込む。私が勝手に生地屋だと思っていた店は、宿屋と併設して営んでいる衣料品と生活雑貨の店舗だったらしい。
とんでもない勘違いだ。
店主には申し訳なくて、この勘違いを告げられない。
「お嬢さん、いらっしゃいませ」
「こんにちは……」
店内に入ると店主がにこやかに話しかけてきた。
「ベビーベッドが欲しいんだけど、取り扱っていますか?」
「ええ、幾つか。実物を拝見なさいますか?」
店主に案内された先には、幾つかの家具が陳列している。
店舗の規模によるものなのか、大型の家具は一つも見当たらない。目の前にあるのは、一人掛けの椅子や小さな円形のテーブル。サイドテーブルと小型の鏡台が並べられている。
そしてベビーベッドが三台。
「こちらの物がお気に召さなければ、カタログでお取り寄せも可能ですよ」
「実は違いが分からなくて……どういった物を選べば良いのか。個人的に機能性を重視した物が理想かな」
ベッドは豪華で可愛らしいものではなく、高い機能性が望ましい。
「では、此方が良いかと存じます。高い機能性が売りの商品でございます。華美な装飾はありませんが、お子様の成長によって形が変えられるのが特徴です」
店主が説明しながらベッドの形を変えていく。
新生児の時の形、少し成長した時はベッドの柵の高さが変えられる。一人で立てるようになった頃には、ベッドの柵を乗り越えないような工夫がされていた。
この一台で四段階の形に変えられるらしい。
「凄い! ベビーベッドはコレが良いかも。それと赤ちゃん用の揺り椅子。お昼寝用のバスケットタイプのベッドかな? 後は産着とおしめも幾つか欲しいの。ガーゼっぽいもの……柔らかくて通気性の高い生地も欲しいです」
私が告げた商品を、店主は嫌な顔をせずに運んで来る。
嫌な顔どころか満面の笑顔だ。
ずらりと並べられた商品を眺めながら、他に入用な物はないかと頭を悩ます。
ベッドに産着とおしめ。
それからベビー用の布団一式に、手を守るグローブだっけ?
通気性の高い生地があれば、手作りのおしめと着替えが作れるから、生地は多目にあった方が良い。
「そうだ! 姉とお揃いのドレスなんだけど……」
前回ここへ来た時に、カタログを見せて貰ったのだ。
その中で気になったデザインが二つあり、どちらにしようか迷っていたが、買わずに後悔するなら買う方を選ぶ。
「どちらにするか決められたのですか?」
「そうですね、決められないので両方を買う事にしました」
「それはそれは……有難うございます」
「ドレスは前金でも大丈夫ですか? 後払いだと忘れそうなので……出来れば先に払っておきたいんですが」
「良いのですか? ドレスの仕上がりが気に入らないかもしれませんよ?」
「ここに置いている物は品質が良いから、そんな間違いは起こらないって自信もって言えますよ。だから仕上がりに文句を言わない所か、きっと素晴らしい仕上がりになると思う。それだけ品物の質が高いし、店主の目に間違いはないって信頼してるの」
「お褒めに預かって光栄に存じます」
「これらと合わせて如何ほどになりますか?」
ドレス代は高額出費なのは違いないが、ベビーベッドも相当な金額だろう。
金貨五百枚以内に収まってくれたら有難い。
「代金は金貨二百四十枚と、銀貨六百五十七枚になります」
私の予想では金貨五百枚前後だと思っていたが、そこまで金額が及ばなかった。
ドレス一着の値段は金貨数十枚は下らない。
それが四着ともなれば金額も跳ね上がっていく。更に機能性抜群のベビーベッドに、柔らかい素材で誂えた高級品質の布団一式。例えベビー用でも、それなりに値段が張るはずだ。
「え? 意外と高くない?」
私は空間収納から金貨と銀貨を取り出す。
「ドレス代とベビーベッドで、それなりに金額が張ると覚悟していたんですが……」
店主は金貨と銀貨の枚数を確認しながら、私の疑問に答えてくれた。
「確かにドレス一着を作るだけで、金額はそれなりにかかるものです。しかし、お嬢さんがご注文なさったドレスは、夜会用ではございませんので料金が抑えられるのですよ。夜会用ともなれば刺繍とレースだけではなく、高品質の宝石が装飾として使用されますので」
私とブランシェが気に入ったドレスは、あくまで普段使い用のもの。
ドレスの装飾にレースや刺繍が飾られても、宝石が使われないから値段が抑えられるのか。
今回はベビーベッドがドレス代を上回った形らしい。
「急遽これらが必要になってしまったのに、対応してくれて有難うございます。とても助かりました」
「此方こそ、お役に立てて光栄でございます」
店主の輝く笑顔が眩しい!
ツケ払いではなく、商品の代金をその場で支払うのって大事なのだと実感する。
私もテイクアウト専門の店を営んでいる為、ツケ払いの客が来たら嫌な気持ちになるだろう。月末に必ず支払われるのか、疑心暗鬼になってストレスを抱えるに違いない。
私は購入した物を空間収納の中へ入れていく。
この空間収納があれば、たとえ大きくて重たいものであっても、楽に持ち帰る事が出来る便利なスキルだ。
「またのご利用をお待ちしております」
「此方こそ、有難う」
私は店主に見送られながら店を出る。
その後は――当分の間、買い物をしなくても十分な量の食材を買い足してから帰途へつく。この場へ来た時と同じく、帰宅するのも転移魔法で一瞬だ。
私が帰宅した時、ブランシェは窓際にあるソファの上で毛づくろい。個人的に短毛種の猫は野生的で活発、そして長毛種の猫には気品と優雅さといったイメージを持っている。
『アンジェリア、意外と遅かったわね』
「あ……うん。ビショップさんの所へ行った後、ちょっと色々と買い足しにマルシェを見て回ったから」
『それより、アンジェリア―――貴方、記憶がないっていうのは? わたくしと出会った時から、貴方は身籠っていたのだけど? あの食欲も妊婦には当たり前の事よ。もしかして記憶を失っていたから、自分が妊娠している事を知らなかったの?』
私はブランシェと隷属契約をしている為、彼女には私の思考と言動が筒抜けといった状態。普段は特に何も言わないけれど、互いに別行動をしている時だけは、私の言動を注意して聞いているらしい。
「そんなの知るわけないじゃん……」
ブランシェは出会った当初から、私が妊娠している事に気づいていたらしい。
――それなら最初に教えて欲しかった!
『あら、子育ての為に家を購入していると思っていたのだもの。それに良い匂いがするのは、アンジェリアの中にいる胎児から感じるのよ』
「自分だけの城が欲しいと思うのは当たり前だと思うけど。そもそも私は、アンジェリア・アトキンズとしての十五年分の記憶がないの。目が覚めたら見知らぬ地で、びしょ濡れの状態だったし……」
あの瞬間から現在まで、私は久保田杏珠としての記憶しかない。
この世界で目が覚める直前まで、私は確かに日本で久保田杏珠として生きていた。
普通に会社へ勤めて帰宅し、明日の会議に備えて早目に寝たのである。
「現在の私の精神? 意識っていうのかな? それは……この世界とは違う地球という惑星の日本人だった久保田杏珠のもの。外見はアンジェリア・アトキンズの姿だけど、中身が別人っていう表現が良いかもね」
私は改めてブランシェに事の経緯を口にした。
そういえば――ブランシェには一度も説明した事がなかったのである。
この世界とは別に存在している地球という惑星。その中にある日本という国のこと。
そして魔法が存在しない世界だった事と、高度な文明の発展と化学やデジタル化が進んだ世界――私が生まれ育った日本は、特に清潔さと食文化に拘りを持つ国だった事も補足しておく。
『まあ……アンジェリアは界渡人の魂を持つ人間だったのね! 美味しい食事が作れるのも、それが理由っていうのが分かったわ』
「界渡人っていうのは、私みたいに別の世界の記憶を持つ人?」
『そうよ。数百年前に界渡人の存在が、他国で確認されていたと思うわ。わたくしは存在を耳にしただけで、本人に会った事はないのだけど。世界の歴史書あたりに文明を発展させた偉人として語り継がれているはずよ』
世界の歴史――この国と、アンジェリア・アトキンズが生まれた国の事しか調べていなかった。それも歴史は簡潔なもので、主に国の所在地と位置情報。簡易なものでも図面化された地図を探して地理情報を得たのである。
他国についても同様で、文化についての詳細に触れてなかったと思う。
日本にはなかった貴族階級については調べている。その流れでアシュベリー公爵領についての事、自分がいる現在地の詳細を知るのは当然の事だ。次に興味が湧いた食文化、それから移動する為の交通手段だったり。
その中でも最重要である日常的なもの、地球に存在しなかった魔法と貨幣について独学で学んだ。専門の教師から教えられていない為、知識が不完全なものであるというのは認識している。
――私以外にも転生者が存在していたなら、ライ麦パンとカンパーニュを広めた人物の可能性は高い。
おそらく日本人じゃなく、別の国の人だろう。
日本人なら迷わず主食の米を広げていたはず。
それから醤油と味噌、保存食の方法は少なからず存在していても不思議ではない。現状でそれが見つけられないという事は、日本人ではなかった可能性がある。
そして――時が満ちて、私は元気な男児を出産したのだった。




