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異世界へ転生して、間もなく一月半が過ぎる。
本来――この世界で生きて来た十五年分の記憶があれば、現状よりマシだったと思う。
今世に生まれてから十五年分の記憶がない為、現在の私になってから換算した数字が一か月半という期間である。
現在の私の中身は生粋の日本人。
この世界についての情報はゼロ。
それこそ生まれたばかりの赤子同然――全ての事に関して無知である。これがどんなに害悪なのか、私は身をもって自覚しなければいけない。
まだ幼少期の頃なら大人が正せば済む。
私の感覚で言うならば、十五歳という年齢もギリギリ間に合うかもしれないが、それを正してくれる大人――家族がいる環境があっての話だろう。
現実は――川に落ちた事によって、生まれた国から他国へ流されて漂流した国でボッチである。
これまでの記憶がない真っ新な状態とは言い難いが、この世界に関しての情報がないのだから真っ新である事に違いない。
そして異世界転生した初日に出会った副ギルド長アレンに保護され、冒険者登録と住む場所を得た。
翌日からアスクウィス冒険者都市にある大きな図書館で、この世界と現在地についての情報収集。ついでに一般的な常識や貴族関係についても独学で学んだ。
そもそも日本には貴族階級が存在しないので、あまりピンと来ないというのが本音である。ある意味、日本の政治家は貴族同然な生活と態度ではあるけれど――ぶっちゃけ、民主国家なのに世襲とか有り得ない。
代々国家議員一家と主張して威張り散らすとか、総理大臣が民衆で決められないのも狂っている。民主国家なら国民投票で決めるべき事を、なぜ国民に知らせず水面下で決めるのか。
そういった日本での事を学び、無知である事は害悪だと自覚してしまった。
何事も知識を得る努力は、絶対にするべき事だと思う。
たとえ無駄な努力だったとしても、知識は最大の武器になり得るのだ。
約十日ほど大きな図書館で知りたい知識を詰め込んだ後、冒険者ギルドの賃貸部屋から新たな拠点となる新居を探す。高級ホテル並みの生活に満足しているが、やはり自分一人だけの城が欲しい。
ちょうど良い物件を見つけて購入手続きも済んだ。足りない物や必要な物を買いそろえ、いつでも引っ越し可能な状態になったけれど、最重要である防犯セキュリティに関して失念していたのである。
魔法で防犯対策は可能だが、継続的に維持するには魔道具が必要だ。魔法付与も継続的な効果はない。要は一度きりしか効果がない使い捨てアイテム。
魔法付与は手間がかからず手軽に使えるものだが、魔法付与したアイテムを何度も使いまわす事が出来ないのだ。防犯用に魔法付与して効果が切れたアイテムは、日を追う毎に増えていく。それこそお金を無駄に捨てる行為だろう。
魔道具なら継続的に効果を発揮する。魔石に魔力を注ぐだけで、永久に継続できるのだ。
その素材に必要なのが魔鉱石と魔石の二つ。
―――という事で、本日ようやく冒険者として、魔獣を狩りに森型ダンジョンへ向かう。
目的は魔獣肉と魔石!
魔鉱石の方は冒険者ギルドで購入できる事が判明した。価格は銀貨三枚と高額だが、防犯は譲れない。後は良質の魔石だが、こちらは狼型か猪型の魔獣で解決するようだ。
新居でパンを焼いて空間収納にストックしている。
パンの材料は揃ったけれど、パンに挟むメインが決まっていなかった。
サンドイッチ用のパンはバゲットなので、その味に負けないメインの具が必要になる。理想としてはローストビーフっぽいもの。それと油が滴るジューシーなベーコン。
どちらもマルシェで見かけなかった。
具も自作するしかない。牛型の魔獣も存在しているようだから、運が良ければ遭遇するだろう。見つからなかったとしても、マルシェで生肉を買えば済む。
それから干し肉は幾つも見るのに、燻製した肉がない。ベーコンは程好い油が乗っているのが望ましいのだ。完全に干したものでは堅くて、サンドイッチの具に使えない。
森型ダンジョンへは来た事があるので、一瞬で移動できる。
転移魔法は一度でも行った事がある場所が条件で、一度も行った事がない場所への移動は不可能だった。
「二度目の森型ダンジョン……この地で目覚めたんだったよね。道に迷った事は覚えているけど、それくらいしか記憶に残っていない」
そんな事を呟きながら、探索と感知スキルを発動。
約十メートル先に大型魔獣を感知する。
どうせなら肉が食べられる魔獣が望ましい。食用に出来るのは鳥型は鉄板だろう。それと狼型に猪型、牛型に加えて兎型。蛇型もイケるらしい。鶏肉に近いようだ。
熊型は癖が強くて煮込み料理にしか使えないらしい。
異世界もので最高級品肉として認識されるドラゴンは、この世界に存在しないようだ。それに近しいものはワイバーンと呼ばれる鳥型の大型魔獣。そしてイグアナやワニに似ている大型の魔獣らしい。
これらは最高級品肉として知名度が高く、主に貴族の食卓に上がるようだ。
その為、仕留めれば高額で買い取りされる。
空間収納の中で莫大な額の金貨が入っていた事により、この一か月半は仕事もせずに出費が続いていた。この辺りで減った分のお金を、少しでも取り戻したい。
魔獣の毛皮と牙、それから骨は収入源となる。そして魔獣の内臓と眼球は魔法薬の素材らしい。冒険者ギルドで取り扱っていない為、薬師へ売り込めば高額で買い取ってくれると聞いた。
「おっと……こっちに気づいた?」
すかさず風魔法で魔獣の体を真っ二つに切り裂く。
「やべ! 毛皮が無駄になっちゃった……」
仕留めたのは狼型の魔獣ではなく、兎型の魔獣だった。
兎型の魔獣の毛皮は毛並みが良く、貴族のファッションに欠かせない素材らしい。
私が兎の毛皮で思いつくのは、毛皮のコートやマフラーくらいだろうか。他に何も思いつかないのが残念である。
仕留めた兎型の魔獣の血抜きを済ませ、風魔法で解体していく。そのまま空間収納へ納めた。
「お目当ては猪か狼……牛も欲しいな」
感知スキルにヒットした魔獣を倒しながら、肉と素材を分けていく。冒険者ギルドで買い取って貰うのは、あくまで素材のみ。魔獣の肉は自分の取り分である。
日本で高級肉を口にしたのは数える程度。会社で行われていた毎年恒例の新年パーティに慰労会、冠婚葬祭でしか口にする機会がなかった。こちらは必死で働いても微々たる給料の中で、節約するのが当たり前の生活。
そういった苦しい状況を強制的に押し付けられる日常に、自分でも無意識のうちに精神が屈折していたのだろう。どんなに足掻いても手が届かなかった高級品に対する憧れがあったのかもしれない。
今世では頑張り次第で手が届く。
そろそろ正午に差し掛かる時間になり、腰が落ちつけそうな場所を見つけて座り込む。昼食を食べながら休憩を取っていると、真っ白な毛玉が私の頭をめがけて飛んで来た。
「―――っ!!」
毛玉は絹糸のような滑らかな感触。
しかし顔面に張り付いているせいで呼吸が苦しい。
この毛玉は魔獣に感じる嫌な気配がなく、逆に周囲の空気が浄化されている気がする。毛玉の色は真っ白というより、白銀に近いだろうか。
魔獣の毛色は基本的に漆黒か、毒々しい濃い赤や緑に紫色。それから黒に近い茶系が多い。
毛色が真っ白だったり白銀なら、魔獣ではなく聖獣と呼ばれる存在だろう。
その聖獣と呼ばれる存在が森型ダンジョンにいた事もそうだが、私の顔に張り付いているのか意味が分からない。
「ちょ……っ! い、息が苦しいっつーの!」
酸素不足ギリギリ寸前の所で、私は顔に張り付いていた白い毛玉を力づくで剥ぎ取る。
ドアップ過ぎて全貌が見えなかった白い毛玉は、俗に言う大型猫のメインクーンに見えた。改めて目の前の聖獣を眺める。やはり一般的な猫よりも体が大きい。もしかしたらヒョウくらいありそうなサイズ感。
パッと見は高級感溢れる長毛種の猫だが、サイズ感がえげつない。その聖獣が後ろ足で直立したら、身長百五十センチ台の私の背を越えているかもしれない大きさ。
そんな大きさの聖獣が、私の顔に飛びついて張り付いていたのだ。いくら毛並みの良い感触でも、あのまま鼻と口を塞がれた状態が続けば窒息してしまう。
「はぁぁ――……マジで苦しかった」
すーはーと何度も息を吸い込む。
それを繰り返していると、聖獣が此方を向いて首を傾げた。
『あら、ごめんなさいね。貴方、とても良い匂いがするの』
突然、頭の中に声が響く。
その言葉は耳からではなく、頭の中へ直接話しかけられた感じ。
この場にいるのは、私と聖獣だけである。
他には誰もいない。
――ならば、頭の中へ話しかけてきたのは、目の前にいる聖獣という事になる。
「え? ちょっと待って……えええぇぇ!? 言葉が通じてる?」
『人語の言葉は理解しているわよ? これは念話というのだけど』
なんだろう……この聖獣の言葉が上品過ぎる。
『それよりも、貴方! その良い匂いの正体は何かしら?』
聖獣は尻尾を優雅に揺らしながら、私の足元にあるお弁当へ視線を注ぐ。
これは非常食用に作り置きしていたクロワッサンのサンドイッチ。バゲットのサンドイッチも試作品として作っているが、具にパンチがなくてパンの味に負けてしまう。
クロワッサンの方は自分用なので、気軽に作り置きが出来るのでストックしている。
「これはクロワッサンのサンドイッチ。私が食べたくて作ったの」
『わたくしも食べたいわ。一つ頂ける?』
「生の玉ねぎが入っているんだけど……猫って玉ねぎを食べると、中毒になったり死亡の原因になるんじゃなかった?」
『わたくしは猫じゃないわよ? この地に住む聖獣。人族が食べられる物なら、わたくしが食べても大丈夫。わたくしが口にしないのは美味しくない物だけよ』
「なるほど……卵と野菜の二種類あるけど、どちらを選びますか?」
『まあ、二種類あるなら両方を頂くわ』
さっきは一つと言ったはずなのに、二種類あると知ったら二つなんだ。
私は空間収納から新しい皿を出し、その上に二種類のサンドイッチを乗せて聖獣に「どうぞ」と告げて差し出す。聖獣は目の前に置かれた皿の上に乗ったサンドイッチを食べ始める。
なんだろう?
この聖獣の所作一つとっても、上品なものにしか見えない。
『ご馳走様。この食事に貴方の魔力が込められているわ。だから美味しい匂いがするのね』
そう言った後、聖獣は毛づくろいを始めた。
『わたくし、貴方について行っても良いわ』
聖獣は毛づくろいを終えると、尻尾を優雅に揺らしながら変な事を言い出す。
『普段は魔素と上質な魔力があれば十分だけど、貴方をきっかけに人族の食事に興味が出たわ』
「えと……それは勘弁して下さい。今は賃貸暮らしだからペットの持ち込みは無理です」
『まあ! わたくしをペット扱いなさるの? それに貴方は個人の家を持っているじゃない。個人の家なら誰にも文句は言われないはずよ』
「どういう事? え?」
なぜ聖獣が知っているのだろう。
私が店舗型の家を購入した事は、商業ギルドの人間しか知らない事だ。
初対面の聖獣が知り得るはずのない情報だろう。
『貴方と契約したのだから、わたくしが貴方の事を知っているのは当然じゃなくて?』
「――は? 私が聖獣と何の契約? そんなのした覚えがないんだけど……」
『そんなの……貴方との出会いがしらに契約済みよ』
もしかして顔面に張り付いたのがソレ!?
聖獣との契約って、本人の承諾がなくても可能なの?
私が脳内パニックになっていると、聖獣はメインクーンの姿から二十代後半くらいの美女の姿に変わっていた。流れるような白銀の長い髪に、虹色に輝く大きな瞳。精巧に造られた美術品のような圧倒的な美しさ。
それだけじゃなく、高貴なるオーラを纏いながら、人を惑わす妖艶さも持っている。
『わたくしとの契約期間は、貴方の命が尽きるまでよ』
ふふふと笑みを浮かべる彼女は、まさに女王の器だ。
相手を屈服させる術を心得ている。
その後、人型の姿になった聖獣は目につく魔獣を屠っていった。まさに蹂躙という言葉が相応しい。聖獣というのは圧倒的な強さを誇り、魔獣に対して慈悲もなく瞬殺していく。
結果的に――彼女のおかげで大金が入りました!
その額がなんと金貨三百二枚と、銀貨六百五十一枚になったのである。
聖獣と正式に契約するのに名づけが必要らしい。名付けられた聖獣は契約した人間の寿命が尽きるまでが隷属期限。契約した人間と精神が繋がり、互いが離れた距離にいても意思疎通が可能な為、契約者の危機を察するようだ。
私は彼女に「ブランシェ」と名付けたが、ぶっちゃけ毛色で名付けたのは内緒である。
ブランシェは猫型がスタンダードだが、臨機応変に人型にもなれるので姉という事にしておく。
冒険者ギルドの賃貸部屋に戻るには、ブランシェの姿が猫型のままでは厳しい。ペットに関して訪ねていなかった事を悔やむが、まさか聖獣をテイムするなんて予定外である。
ギルド長のダグラスと、副ギルド長のアレンの二人に「私を心配した姉が訪ねて来ました」と嘘を言う羽目になった。
賃貸契約は三か月。この部屋に滞在出来るのも残り一月半である。部屋代は前払いできっちり済ませているので、契約期限の前に部屋を引き払うのは本人の自由だ。
ブランシェのおかげで良質な魔石も入手し、冒険者ギルドから購入した魔鉱石もある。これで防犯セキュリティの魔道具を完成させたら、部屋を引き払うのもアリだろう。
この部屋に滞在している間、ブランシェには人型の姿になって貰っている。すれ違う冒険者がブランシュを見て顔を赤く染めたり、言い寄って来る事も少なくない。
人型のブランシェの見た目年齢は、大体二十五歳くらいだろうか。おまけにスタイル抜群の美女である。特に中途半端なランクの冒険者は自尊心が高く、自分が声をかける全ての女性が靡くと思っているのだろう。
自分に自信を持つのは良い事だが、そういうタイプは個人的に近寄りたくない。過去にそういった人間を見て来た。プライドが異常に高く、自分に自信を持ち過ぎて傲慢になりがち。
そして人を見下す態度も酷いし、何より他人の気持ちが分からない。
中途半端なランクの冒険者というのは、基本的にCランクからBランクを指す。CランクからBランクへ上がるのは早いが、Aランクに上がるには本人の内面が重視されるようだ。
例え魔獣を狩る才能があったとしても、その人の人間性に問題があればランクは上がらない。人間性に問題がある者が高ランクの冒険者になると、冒険者ギルド内の規律と空気が悪くなる上に、ギルド長や依頼者の指示に従わなくなる。
それとは逆にAランクからSSランクになった冒険者は人格者が多い。
当たり前だが人格者じゃないと、高ランクの冒険者になれないという事だろう。傲慢で素行が悪くサイコパスのような人間が、高ランクの冒険者になれないと知ってホッとしている。
そんな中途半端なランクの冒険者の誘いを、ブランシェは完全スルーしているのだ。彼らは彼女の所作や言葉使いを知り、勝手に貴族だと思っている。
冒険者の多くは平民が多い。
平民が貴族に何かをするなら、それ相応の罰が与えられるのだ。貴族の階級によっては、近づいたり声をかけただけで首を撥ねられる。強引に迫ったりしたら、家族だけじゃなく、一族郎党まで極刑も有り得るそうだ。
おかげで余計なトラブルに巻き込まれずにいる。
私も一応は侯爵令嬢だった身分のはず。
普段から男装っぽい恰好でいる為、地味で目立たない存在のようだ。




